病み上がりのミッシェルに完成したドレスを渡しに行くと、とても喜んでくれた。

「こんな素敵なドレスは見たことがないわ! 本当にありがとう!」

(喜んでもらえて良かった……)

 マリーはそう安堵しつつも、胸に再びモヤモヤとした感情が生まれる。
 よく見れば、いびつな縫い目があるレースだ。ドレスの形だって、マリーの目からしたら十分な出来ではない。デザイン自体は悪くないが、その仕上がりはプロの仕立屋にはとうてい及ばない、素人のような作品だ。マリアが作ったと言い張っても不自然でないように、手を抜いて作ったから。
 それが後ろめたくて、マリーはミッシェルの目が見られない。
 誉め言葉を受け取るのだって心苦しいくらいだ。たとえミッシェルが本心で言ってくれているものだとしても。

「私、全然手伝えなかったのに……マリアに任せきりにしちゃって申し訳ないわ……」

 そうミッシェルは肩を落としている。

「ううん、気にしないで。舞台、楽しみにしてるからね!」

 そうマリーが言うと、ミッシェルはドレスを抱いて満面の笑みを浮かべる。

「うん! 絶対に最高の舞台にしてみせるわっ!」

(……これで良かったのよ。私の役目はマリア様に成りきることだもの)

 そう思いながらも、マリーの胸の奥には(おり)のようなものが溜まっていくように感じられた。




 一週間が経ち、マリーがブローチのことは杞憂だと思い、完全に忘れ去ってしまっていた頃──カルロに話しかけられた。

「マリア、一緒に食事をしましょう」

 そうお昼の休憩時間にカルロに誘われ、マリーは目を白黒させる。まわりにいた生徒達もぎょっとした様子だった。

『え? カルロ様がマリアを誘った……?』
『嘘でしょ』
『あの二人って不仲じゃなかったっけ?』

 そんな周囲からの視線が痛いほど突き刺さってきた。

「え……? カルロ様と? な、なぜ私と……?」

「僕が婚約者と食事をしたって、何もおかしくないでしょう?」

「そっそれはそうかもしれませんが……」

 確かに普通の婚約者同士なら、一緒に昼食を取ってもおかしくないのかもしれない。けれど、この二人で言うとありえない。
 カルロは少しため息を落として言う。

「それに……きみと話したいこともありましたし」

「あ……ああ、なるほど。そうなんですか……あ、でもカルロ様はいつもご友人の方と召し上がっていらっしゃるようでしたが、今日はよろしいのですか?」

 そう問うと、カルロは肩をすくめる。

「別に構いません。皆さん僕が婚約者と仲を深めることに何の異議もないはずですし。──それに僕にはマリ……マリアとの時間のほうが大切です」

 そう真顔でさらりと言われて、ドキリとする。マリーは慌てて赤くなった顔を逸らした。

(私に言われている訳じゃないのに……勘違いしちゃダメ)

「そう、ですか……」

 マリーはどう対応するか悩んだ。

(こういう時、マリア様なら何て言うのかしら……? 『私と同席するのはレンディス様以外はお断りよ!』とでも言って断るとか……? でも、さすがに皇太子にそれを言うのは不敬すぎるし……。それに私に用があるなら、仕方ない……よね……?)

「わ、分かりました……」

「では、行きましょうか」

 カルロは片手を差し伸べてくる。

(え!? エスコート? が……学校で!?)

 さすがに校内ではエスコートしている男子は見たことがない。

(それとも、ただ手をつなごうという意味……?)

 戸惑いながらカルロの手を見つめていると、彼は何かに気付いたようにそっと手をおろした。

「……すみません。では、行きましょう」

 少し気まずそうな表情をされて、マリーは申し訳なさをおぼえた。
 カルロの手を取れないのは、もちろんそれがマリアらしくないというのもあるが、一番の理由は男性が怖いからだ。

(マリア様だったらカルロ様にエスコートしてもらおうとはしないはずだから、これで良かったのかもしれないけど……)

 ──私はこのまま、男性が怖いままで良いのだろうか……。
 ふと、そんなことを思った。





 食堂の奥には、【王の学徒】と呼ばれる十人の成績優秀者しか使えない特別室がある。
 そこにカルロに案内されそうになり、マリアは戸口で立ちすくんだ。

「あ、あの……カルロ様? 私はここには入れないのではないかと……」

 及び腰になっているマリーに、カルロはにっこりと微笑む。

「いえ、僕が同席しているので大丈夫ですよ。他の【王の学徒】の方々もパートナーや従者を連れて入ることもありますから、ご心配なく」

「パ、パートナー……? でも……」

 食堂にいる一般の生徒達は、誰しも目を丸くしてカルロとマリーを見つめていた。
 帝国で一番有名な犬猿の仲だったカップルが、仲睦まじく特別室で食事をしようとしているのだから当然だ。

「大丈夫ですから」

 そう言われて、部屋に押し込まれてしまった。
 特別室にいた【王の学徒】らしき格好をした二人の生徒がカルロとマリーの姿に目を丸くした。
 彼らは慌てて席を立つと、「どうぞどうぞ」と笑顔でマリー達に一番良い席をゆずって出て行った。

(他にも空席はあるのに……)

 ボックス席が三つあるので、空いているならどこに座っても良いはずだ。困惑しているマリーに、カルロは肩をすくめた。

「どうやら気をつかってくれたみたいですね」

「そ、そうなんですか……」

(そういえば、今の方々はカルロ様といつも一緒にいるご友人だったような……)

 特別室の調度品は一般の食堂よりもずっと高級そうなものばかりだった。庭園の噴水や薔薇園がこの位置からよく見える。
 机の上の鈴を鳴らすと、間もなく給仕がやってきてマリーは目を丸くした。
 これまで食堂では自分で食事を取りに行くスタイルだったのに、特別室はこんなに待遇が違うのか、と驚いてしまう。

「マリアは何を食べますか?」

「え? あ、ぁ……では、Aランチで……?」

 気が弱いマリーは今さらはっきりと断ることができず、いつも食べているAランチを伝える。カルロも同じものを注文し、給仕が去って行った。
 マリーが何気なく机に置かれていたメニュー表を見ると、Aランチはハンバーグ定食のはずなのに鴨肉のコース料理(Aランチ)と書かれており、のけぞりそうになった。

「あ、あれ? 鴨肉?」

「メニューも特別室は違うんです。鴨肉は嫌いでしたか?」

「あ、いえ、大丈夫ですが……」

 まさか学校のランチでコース料理を食べることになるとは予想外だった。
 運ばれてくるお皿を前にだらだらと冷や汗を流す。

(一応、テーブルマナーはお姉様達に教わったけれど……)

 作法を思い出しながら、緊張のあまり味のしない昼食をゆっくりと食べていく。
 途中でカルロのやり方を参考にすれば良いのだと気付き、さりげなく彼の方に視線を向けた。

(すごく綺麗に食べるんだなぁ……やっぱり皇子様だわ)

 エマやロジャーも食事の仕方は上品だったが、カルロはその上をいくようだ。それでいて、それが普段通りだと分かるくらい自然だった。

(あの夏祭りの日はお肉にかじりついていたのに)

 それを思い出して笑みがこぼれそうになり、慌てて表情を引き締める。

「どうしました?」

 そう問いかけてきたカルロに、マリーは気になっていたことを尋ねた。

「あ、あの……カルロ様。私にいったい何のご用でしょうか?」

 カルロは「ああ」とうなずき、ナプキンで口をぬぐってから満面の笑みを浮かべた。

「用はありません」

「……は? え……っと?」

(用はない……?)

 どういうことなのかと、マリーは目を丸くする。話があるから誘われた訳ではなかったのか。
 カルロは悪びれもなく言う。

「マリアとお話したかったんです。先ほども言いましたが、婚約者と仲を深めることは何も悪いことではないでしょう?」

 やたらと『婚約者』を強調されて、面食らった。

「それは……そう、かもしれませんが……?」

「そうでしょう? ですから、今後は毎日一緒に昼食を食べましょう」

 さらりとそう言われて、さすがにマリーは慌てた。

「ま、毎日ですか!?」

(毎日って……それはさすがに……いや、待てよ。ということは、婚約破棄してほしいって提案しやすくなるから良い面もあるの……かも? でも一緒の時間が増えると、ぼろが出ちゃうかもしれないし……あまり距離を縮めるのは、やっぱりよろしくないよね……?)

「あ、あの……でも、カルロ様は、お忙しいんじゃありませんか?」

「マリア以上に優先すべきことなんて、ありません」

 そう断言されて、マリーは息を飲む。

(急にどうしたの……!? まさか、変なものでも食べたんじゃ……? それとも、それがカルロ様の本音……?)

 心の奥底に押し殺してきたマリアへの恋慕が、何かをきっかけにあふれ出してしまったのだろうか。
 マリーは陰鬱な気持ちになり、唇を引き結ぶ。

(やっぱり断らなきゃ……。そうだわ! 海賊王の名前を出せば、きっと……)

「でも、私にはレンディス様が……ひぃッ!」

 その名前を口にしようとした途端、カルロのまとう空気が変わった。笑みを浮かべているのに底冷えするような殺気を放っている。
 あまりの恐怖にマリーは硬直してしまった。
 カルロは悲しげな表情をする。

「きみの口から別の男の名前が出てくるのは嫌なんです……」

「あっ、すみません……」

(はっ……! つい謝っちゃった……でも、マリア様が海賊王の話をするなんて今さらのような……それなのに、どうして……)

「良いんです。でも、これからは気をつけてくださいね。使用人以外は異性と一緒にいるのも浮気ですから。……いや、待てよ。使用人も良くないな……」

 カルロがそう深刻な表情で、そうつぶやいた。

(どうして、急にこんなことに……?)

 急に独占欲が丸出しになってしまったカルロに、マリーは困惑していた。
 このままでは婚約破棄への道がますます険しくなってしまう。

(これまでは二人の仲が冷え切っているから、もしかしたら婚約解消できるかもって期待が少しは持てていたのに……)

 仮にマリアが戻ってきた時、この状態のカルロを見たらどう思うだろうか。
 カルロは手ひどく振られて傷ついてしまうかもしれない。そんな姿を見るのは心が痛む。

(このままだとマリア様とカルロ様の関係が修復不能になってしまうかも……。最悪の場合は、嫉妬に駆られたカルロ様が海賊王を殺してしまう未来だって、ありえる……かもしれない。もし、そんなことになったら……)

 己の想像に青くなった。
 そんなことになればマリアはレンディスの後を追って命を絶ってしまうだろう。おそらく、シュトレイン伯爵家だって黙ってはいない。皇家と伯爵家が対立してしまう。

(穏便に婚約解消に持っていけないと多くの人が不幸になるのに……このままじゃ、少なくとも明るい未来はないわ)

 マリーがおろおろとしながら視線をさまよわせていた時──窓の向こうの薔薇園に見知った姿が見える。
 それはエマとロジャーだった。
 マリーの視線に彼らも気付いたらしく足を止める。
 そして、ここが特別室だということをすぐに察したらしく、エマの表情が固まっていた。

(ああ……『婚約破棄するどころか、仲良く昼食を取っているのはどういうことだ!?』って、おっしゃりたいのよね?)

 エマの気持ちがマリーに伝わった。
 とりあえず、目で『私にもどうしてこうなったのか分からないんです……』と訴えてみる。
 エマは大股で食堂の入り口へと向かった。ロジャーは困った様子で後ろについている。

「ああ……お義姉さんですね。あの様子ではここに乗り込んできそうです」

 マリーの視線を追って、カルロがそう顔をしかめて言った。
 
「えっと……でも【王の学徒】でない方はここには入れないのでは?」

 困惑しながら言ったマリーに、カルロは「おや」と意外そうに眉を上げる。

「知らなかったんですか? お義姉さんも【王の学徒】ですよ。普段はガウンをまとっていないので気付かない生徒も多いですが……」

(しまった……)

 そういえば、以前そう説明されていたのに頭から抜け落ちていた。

「あ、そうでしたね……。ど忘れしていました」

 困った状況にマリーは内心頭を抱える。

(お姉様になんと言って申し開きをすれば良いのか……)

 マリーが悩んでいた時、特別室の扉が勢いよく開かれた。
 そこに立っていたのは、やはりエマとロジャーだ。

「マ、マリア……」

「……こんにちは。お姉様」

 困り顔のエマにマリーはとりあえず挨拶する。
 エマはマリー達の席までやってくると、カルロに向かって言った。

「あ、あの……カルロ殿下? マリアとお食事なんて珍しいですね」

 カルロはフォークを置いて、満面の笑みを浮かべる。

「こんにちは、お義姉さん」

「お義姉さん!? 今までエマ・シュトレイン伯爵令嬢と他人行儀に呼んでいたのに、いきなりどうされたんですか……?」

 目を白黒させているエマに、カルロはしれっと言う。

「いえ……よく考えてみれば、愛するマリアの姉ということは、僕にとっても敬愛すべき姉です。これからはお義姉さんと呼ばせてください」

「あ、愛する……?」

 頭が痛くなっているのか、エマは眉間を揉んでいる。
 その目が『どういうことか説明してもらおうか?』と言っている。マリーはエマの目をまともに見られなかった。
 気まずい沈黙が流れる中、エマが言う。

「あの、カルロ殿下。私は妹と話がしたいのですが、マリアを連れて行ってもよろしいですか?」

「ダメです」

 にっこりと笑みを浮かべて拒否され、エマは硬直する。

「ダ、ダメ? なぜ……」

「まだマリアは食事中ですし……。それに申し訳ないのですが、僕はマリアと大事な時間を過ごしているのです。いくらお義姉さんでも二人の仲を引き裂くのは無粋ですよ……と言いたいところなのですが、お義姉さんは僕にとっても大事な姉ですし、良かったらご一緒しませんか?」

 カルロはそう言って、隣の席を示す。
 エマは開いた口が塞がらないようだった。さらに頭が痛くなってきたのか、額を押さえている。

「いや、私達は結構です……。もう食事は済ませたので」

「お話は明日聞くことにしてはいかがでしょう? ちょうど、お二人で出かける用事もありますし」

 エマの背後にいたロジャーがそう言った。
 明日はこの島をエマ達が案内してくれることになっていたのだ。
 ロジャーに言われてそれを思い出したのか、エマも納得したようだ。

「そうだな。それじゃあ、明日じっくり話を聞くことにしよう。マリア、明日の十時に女子寮のそばの広場で。忘れないでくれよ」

 エマはそう言うと、ロジャーを連れて特別室を出て行った。

(明日、事情を説明しなきゃ……)

 そう思うが、マリーは気が重い。
 自分でもなぜこうなったのか分からないのに、うまく説明できるとは思えない。
 頭を悩ませていると、カルロが話しかけてきた。

「明日はお義姉さんと何か約束でもしているのですか?」

 そう問われて、マリーは「それは……」と口をモゴモゴさせた。
 不慣れなマリーのために町を案内してくれるだけなのだが、それを正直に話すと、マリアなら何度も行ったことのあるはずの町になぜ、ということになってしまう。

「あ~……お姉様達と町に遊びに行こうと思って……?」

 そう当たり障りなく返したのだが、カルロは渋い顔になる。

「あ、ちゃんと外出許可は取っていますよ!」

 慌ててマリーが言うと、カルロはため息を落とした。

「いえ……そういう心配をしている訳ではないのですが……。う~ん……、それに僕も同行してはいけませんか?」

「え? カルロ様が? な、なぜ……?」

 エマとロジャーとカルロ。
 三人で外出するなんて、マリーのノミの心臓が持たない。

「マリアが心配なんです。僕は武術の心得もありますし、護衛もつけられます。邪魔にはなりませんよ」

「いえ、そういう心配はしていないのですが……護衛でしたらお姉様が用意してくれることになっていますし」

 皇太子に護衛させるなんて恐れ多いことだ。
 もちろんマリアは一応未来の皇太子妃という立場なので、万が一に備えて学校外では警戒は必要だ。だからエマ達が護衛を用意してくれることになっている。
 とはいえヴァーレン島は入るにも許可証がいるし、厳しい検査もある。町中にも警備兵はいるので、そこまで警戒は必要ないように思えた。
 マリーが思い悩んでいると、カルロはため息を漏らす。

「仕方ありません。無理強いはしたくないので……。ですが、次は僕と二人きりで出掛けてくださいね」

「あっ、はい……」

 そう返してしまった後で、マリーはハッとする。

(あれ? 私、カルロ様と出かける約束をしちゃった!?)

 申し訳なさを感じているところに付け込まれたのだが、マリーはまったく気付いていない。

「デートですね」

 楽しそうにカルロに言われて、マリーは硬直した。

(デート!?)

 このままでは、さらにマリアとカルロの仲が進展してしまう。
 泡を吹きそうになっているマリーを尻目に、授業開始五分前の予鈴が鳴った。