「そうだ。来週の体育からは女子がサッカーらしいよ。珍しいよね、前の学校で女の子がサッカーを授業でやることはなかったから」
「サッカーなの?それ本当?」
「本当だよ。先生が言ってたから。みずきは体育好きではないよね?」
「うん…。運動部でもないし、体力もないし、チームでプレイするのが一番苦手なの」
「そうなんだ。じゃあ放課後暇なら学校の裏庭で一緒に練習しようよ」
「一緒に?」
うん、と平然と答える朝陽君に益々私の心の中は混乱していた。
他の女の子には同じようなことをするのだろうか?とか、私だけではないはずだし彼にとってそれはボランティアみたいなものだとか、そう思うのにどうしても自分が特別だと思いたいという嫌な感情が芽生えてくる。これが恋をするということなのかもしれない。
欲張りになってもっと彼と近くなりたいと思うのだ。
「でも…」
「俺も暇だからさ」
「分かった。ありがとう」
「朝陽―!ちょっと数学の問題教えて」
「いいよ」
朝陽君はすぐに友達に呼ばれて席を立つ。
やっぱりどうみたって私と朝陽君では釣り合わない。だけど、そんなことどうでもよくなるほどに彼に惹かれていた。

…―…

放課後
朝陽君との約束があるから自然とその時間になるのが楽しみだった。
今日は塾もない。お母さんには後で図書館に寄ってから帰ると言えば問題ない。
「昇降口で先に待ってて。俺職員室に行ってから行くから」
「分かった」
放課後を知らせるチャイムと共に騒がしい教室内で朝陽君が勢いよく通学用カバンを肩に掛けると私にそれを伝えてから教室を出ていく。
先生に何か用があるのかもしれない。
軽い足取りで昇降口まで向かった。


靴を履き替えて昇降口で彼を待った。その間も何人の生徒が私の脇を通り過ぎる。
小学生の頃を思い出した。
『ねぇ、一緒に帰ろうよ』
『いいの?』
『もちろん!でも、私たち、先生に用があって職員室に行くから…教室で待ってて』
あまり関わりのない女の子たちから声を掛けられたことがあった。彼女たちはクラスの中心人物で、私なんかとは仲良くしてくれないと思っていたから凄く嬉しかった。
でも、待てど暮らせど彼女たちが教室に来ることはなかった。忘れ去られたのかもしれないし、元々そういうつもりで声を掛けてきたのかもしれない。
真相はわからない。それを聞く勇気すら持ち合わせていなかった。
暗くなってきてようやく誰も来てくれないことを悟った私は泣きそうになりながら帰った。もう少しだけ私に勇気があれば、どうして迎えに来てくれなかったのかとそれだけでも聞くことが出来たのに。

自然と顔が床に落ちていく。
と。
「みずき」
私の名前を呼ぶ声がして振り返る。そこには当たり前のように笑って私に近づく朝陽君がいる。それだけなのに泣きそうになった。


「ごめん、ノート貰いに行ってたんだ。よし、練習しよう。…みずき?」
「あ、ごめん。来てくれてありがとう」
「感謝されることはしてないんだけど。何かあった?」

ううん、と言ってかぶりを振ると私は口角を上げた。心配そうに顔を覗き込む朝陽君は私の笑顔を見ると安心したように口元に弧を描く。

学校の裏庭に行くと、
「サッカー部からボール借りてくるから待ってて」
と言い走って背を向ける。
朝陽君はすぐに戻ってきた。サッカー部からボールを借りることが出来るんだ、驚いた。
そしてサッカーボールを使用して私に色々と教えてくれた。
とはいっても、高度な技術ではなく初心者向けの練習だ。
まず私はサッカーボールを蹴ることも下手だ。彼が飛ばしてくれたボールを受けとることも出来なかった。コントロールというのだろうか、やはりこのあたりはセンスが必要なのかもしれない。

「基本はね、止める、飛ばす、運ぶなんだけど」
「止める?」
「そうそう、飛ばすとかはキックね、ヘディングとかもあるけどさすがにしないよね。キックはあとで教えるね。じゃあ最初は止めるを覚えよう」
「分かった!」
「止めるって言うのは、トラップって言うんだけど…―」

朝陽君は丁寧に初心者でもわかるように教えてくれた。体を動かすこと自体が苦手なのに、朝陽君に教わると楽しかった。
何とか朝陽君までボールを飛ばしたり、止めたり…そのあたりは出来るようになった。
来週の体育の授業はいくらかストレスが軽減されたように思う。
「そろそろ帰ろうか」
終わったころには辺りは夕暮れに包まれている。外からは陸上部や野球部の声が聞こえる。
「今日はありがとう」
「いえいえ。俺も楽しかったから」
「来週頑張るね」
「うん、適度に頑張ろう。よかったら今週みずきの塾がないときは一緒に練習しようよ」
「ありがとう」
私たちの歩く影がすっとアスファルトに向かって伸びている。
その影を見ながら、もう少し近づきたいなと思っていた。私たちの影は手が触れそうなほど近い距離を作っている。
「テスト勉強もしなきゃいけないよね」
「そうだったね、朝陽君は完ぺきでしょ?」
「そんなことないよ。俺も出来ないこと多いから」
「それ他の人が聞いたら嫌味に聞こえるかもしれないよ」

朝陽君は噴き出すように笑っていた。

朝陽君といると心が落ち着くし、気持ちが軽くなる。感謝してもしきれない。
次の週の体育の授業では、チームに迷惑をかけることなく何とか終わることが出来た。朝陽君も遠くから見ていてくれたようで、私がボールを受け取った際にはものすごく嬉しかったと言っていた。
期待に応えることが出来たのも嬉しいけど、彼が興奮気味になって私のことを褒めてくれるのが一番うれしかった。