杏介が小学生のとき、母は病気で亡くなった。
父親と二人になった杏介は、父が大手企業の課長だったこともあり経済的には何不自由しなかったが、元々寡黙である父との生活はひどく素っ気なかった。

だからといって、その生活が嫌だったかというと、そうでもない。
杏介なりに、父と二人上手く生活ができていると思っていた。

だが突然、その生活が一変した。
父が恋人を作り、『新しい母』だと杏介に押し付けてきたのだ。

杏介の同意もなく勝手に共同生活がスタートし、ちょうど思春期に入ろうとしていた杏介にとって、それは邪魔な存在でしかなかった。

その『新しい母』も、初めは杏介に気に入られようと媚を売るような態度だったのだが、杏介のツンとした態度に嫌気がさしたのか、次第に疎ましくされるようになった。

後から入ってきたのは『新しい母』のはずなのに、いつの間にか自分がいらない子のような存在になっていることに気づいて、どんどんと居心地が悪くなっていく。

だから杏介は高校卒業後に迷わず県外の大学へ進学した。
とにかく家から出たかった。
そして実家に戻ることなくこの地で就職し、今でも滅多に家に帰らない。

杏介にとって『新しい母』は要らなかった。
ただそれだけのこと。

紗良はどうだろうか。
海斗に『新しい父』をと思っているだろうか。

今のところそんな感じは見受けられないし、父の日の絵をプレゼントされたけれど『父親役をしてほしい』なんていう素振りは見えない。