藤沢那月という人は、怖いことばかり私に教えてくる。広瀬くんが止めようとしても、藤沢那月は私を見下ろし話すのを止めなかった。


──私が思い出せなかった虐めの内容も、喋っていた。


教科書に落書きは当たり前で、破かれて。
紙を丸めたものを投げつけてきたり。
体に体当たりは当たり前で。
階段から突き落とそうとした時もあったとか。

プールに突き落としたり──…。


それを聞いて泣きそうになっていると、「あいつ、実際はすげぇ性格悪いから、お前離れた方がいいよ」と、笑みを浮かべた。


「そんなこと…、潮くんは、優しいです」

「お前にだけな」


私の前だけ…。
恐る恐るその人を見上げれば、まず初めに腕のギプスが目に入った。──潮くんの暴力。


「──…あなたは、昔、潮くんと仲が良かった人…ですよね…。卒業アルバムで、見ました…面影があります」

「……」

「その怪我は、潮くんが…?」

「なんだ、広瀬に聞いたのか?」


顔を顰めていると、「虐めるな、可哀想だろ…」と広瀬くんが止めに入った。


「だったら教えてやるよ、あいつの本性」

「那月…」

「潮に騙されたくなかったら、俺と一緒にいた方がいい」


潮くんに騙されたくなければ?

この人と…?

潮くんは、悪い人なの?

でも潮くんは本当に優しい。
私は今の潮くんを大事にするって決めたのに。
過去よりも…。


藤沢那月は潮くんの連絡先を知らなかったらしく、私のスマホを使って、潮くんを呼び出した。

「今すぐ来いよ」と、面白そうにしている藤沢那月が電話をしているスマホの方で、怒鳴っている潮くんの声が聞こえた。


「こわ、」と、全く怖いと思っていない藤沢那月は、私に隠れてろよと言った。


「私…潮くんのことを知りたいです、でも、こんなふうには知りたくはありません」

「あっそ」

「藤沢さん…」

「俺はお前のために言ってるのにな?」

「…」

「嫌なら帰れ」


どうすればいいか分からなく、顔を下に向けていると、広瀬くんが「とりあえず何かあれば俺が止めるから」と、私に隠れてるように言ってきた。


すぐ近くだったこともあり、潮くんはすぐに来た。よほど急いで来たのか、肩で息をしていて、汗が流れていた。

はあはあと息をしながら、潮くんは周りを見渡し、すぐに藤沢那月を睨みつけた。


「凪は?」


その低い声は、聞いたことも無いぐらい、怒っている声だった。


「帰った」

「っ、もう凪に関わるなって言っただろ!!!」


隠れている私の耳に、潮くんの怒鳴り声が届き、肩がビクッ、と動いた。


「聞いたぞ?あの女から」

「凪をあの女って呼ぶな」

「記憶、出来るようになったんだって?」

「それがなんだ、お前には関係ねぇだろ!」

「良かったじゃねぇか、昔のことは思い出してないんだろ?」

「…」

「お前が虐めてたこと、思い出さなくて良かったなぁ」

「てめぇ、」


潮くんが、藤沢那月に近づく…。
私は声を出さないように、必死に自分の手の平で、口元をおさえた。


──やめて、と、心の中で思いながら。


「つか、俺のおかげだろ、記憶できるようになったの」

「ふざけるな!!」

「まあ、プールよりも、海に落とした方が思い出したかもしんねぇけど…」

「藤沢!!!」


その刹那、潮くんが、藤沢那月の胸ぐらを掴んだ。相当怒ってるらしい潮くんの顔が、怖く。


「なんだよ、まだ怒ってんのか?殴んのか?この間のだけじゃ足りなかったのかよ。すっげぇ痛かったのに」

「お前が凪にあんな事するからだろ…!!!」

「あんな事?」

「ずっと水ん中に…、放置して帰りやがって!!死んでたらどうするつもりだったんだ!!」

「ああ、でも、お前もあいつのこと殺そうとしたじゃん?同じだろ」

「あ?」

「赤信号は渡るもんだって、お前、教えてたじゃん」



私は途中から耳を塞いでいた。
信じようとしていた潮くんが、壊れていくような感覚。
それでも私は優しい潮くんを知っているから。
私のことを大切に思ってくれていることを知っているから。


崩壊を必死に止めようとした。
「凪」って、私の名前を愛おしく呼び、愛おしく頭を撫でる潮くんを必死に思い出していた。


それでも、藤沢那月が何かを言ったのか、腕を振りかざす潮くんが視界の中に入ってきて、──…崩壊が止められなかった。


涙を浮かばせながら思い出したのは、血を流している私を見下ろし笑っている小さい頃の潮くん。



信じたい、信じたい。
潮くんを信じたい。

でも。



「やめて、」と、止めに入った私の体は、藤沢那月を庇っていた。私がいた事に驚いている潮くんは、目を見開き、「なぎ…」と、戸惑いがちに呟いた。


涙を流しながら私は潮くんを見つめてた。
潮くんの目は泳ぎ、困惑気味になっていて。
藤沢那月は、こうなることが分かっていたように笑っていた。


「なぎ、」

「やめてください…」

「……っ、」

「どんな事があっても、…暴力はだめです、」

「凪…、そいつは、」

「暴力は、痛いものだと、分かります…。だからやめてください……」


潮くんが私に腕をのばし、触ろうとする。
きっと、30分前の私なら、潮くんを受け入れていた。30分前の、私なら──。


潮くんを信じていた。




「暴力は、絶対にだめです……」