潮くんいわく、私の場合、記憶の事に関して〝理解できる日〟と〝理解できない日〟があるらしい。

素直に記憶喪失の事を受け入れることができる日もあれば、素直に受け入れられない日もあると。

聞けば、昨日は〝少しだけ理解が難しかった〟って言っていて、今日は〝ものすごく理解できる日〟らしい。

〝ものすごく理解できる日〟と言われても、私にとってこうして受け入れるのが当たり前だから、あんまりよく分からなかった。


「全く理解できない日の私は、どんな私なんですか?」


その質問に、潮くんは「俺の好きな凪だったよ」と笑っていた。


潮くんは「知りたい」と言った私に、「学校行ってみる?」と提案してくれた。
私は記憶喪失なのに学校に行っているらしい。

ああ、そういえばさっき、潮くんが「高一の時に付き合った」って言っていた。
じゃあ今は、17歳だから、高校2年生ってことになるはず。

本当に、学校に通っていたことは覚えていないのに、高校っていう単語を知っていることに不思議に思う。



「ここが凪の家」


いったん、学校に行くには制服に着替えなければならないから。
潮くんが連れてきてくれたのは、とある茶色いマンションだった。私はここのマンションの一室に住んでいるらしく。
見覚えのないマンションを見て、本当に住んでるの?と思ったけど、潮くんが言うことだから本当なんだろう。


「中に、凪のお母さんがいると思うよ」


お母さん?
そう言われて少し驚いた。
そうか、私にも、家族がいるんだ。


「お母さんだけですか?」

「うん、凪はお母さんと2人で住んでる」


ということは、お父さんや、キョウダイはいないらしい。特にその事に関しては気にならなかったけど、マンションのとある一室に潮くんが案内してくれた時、少しだけ緊張した。


だって、会ったことがないお母さんという人が中にいるから。来たことも無いここが、私の家らしいから。


潮くんがインターホンを押す。
その仕草がとても慣れていた。

少し緊張しているのか、握られている手が汗ばむのが分かった。

なんて言えばいいんだろう?

初めまして?
こんにちは?

でも、昨日確か、私は家が嫌だと裸足のまま飛び出してしまったと潮くんが言ってた。
ということはもしかしたら、すごく怒ってるんじゃないか…。


「凪?」


顔を下に向けていると、名前を呼ばれ、潮くんの方を見る。
潮くんは「ただいまでいいからな」と、私の考えを分かっているようだった。

潮くんは私の事をお見通しのようで。
不安が、和らぐ。


玄関の扉が開き、出てきたのは、40歳ぐらいの、茶髪でショートカットの女性だった。
「おかえりなさい」と、笑う女性を見て、ああこの人がお母さんなんだって無意識に思った。

優しそうなお母さんだった。


「た、ただいま…」


潮くんの手を握りながら言うと、お母さんは穏やかに笑っていた。


潮くんと一緒に部屋の中に入った。
廊下には、色々な張り紙がされていた。
とある扉には〝トイレ〟と書かれていた。
そして〝なぎのへや〟と書かれた張り紙もあった。

ここが私の部屋らしい。
中に入っても、女の子らしい部屋だなって思うぐらいで。
本当に私は、記憶が無いんだなぁ…。


「凪、俺もいったん帰って、制服に着替えてくるから、凪も着替えてて」

「帰るんですか?」

「うん、自転車の鍵も取りに行ってくる」

「自転車の鍵?」

「足、痛むだろうから」

「大丈夫ですよ、ほんとに」

「俺が大丈夫じゃない。何かあれば、凪のお母さんに聞きな。凪のお母さんも、凪の事、大事に思ってるから」

「…分かりました…」

「家近いから、10分ぐらいで戻ってくる」

「近いんですか?」

「近いよ。ここのマンションは2棟で、俺は3棟に住んでるから」