キミは海の底に沈む【完】

──電車が来て、私達はその電車に乗り込んだ。車内は冷房がしっかりときいて涼しく。

あまり混んでいない車内。

藤沢那月と横に並んで座っているけど、私はもう自分の膝元しか見れなかった。



「私…どうすればいいんですか、」

「なにが」


なにが…。
私は、〝澤田凪〟らしい。
この日記を書いていたのは、〝私〟らしい。
ありえない。
だって、こんな日記、書いたことがない。


「…これから」

「家に帰ればいいだけだろ」

「私が、起きた、家ですか?」

「そうだろ」


あの家が、本当に私の家なのなら。
私が記憶喪失で、分からないのなら、今朝いた女の人は、母親…。


「でも、知らない、家なんです…」

「……」

「知らない人が、住んでるんです…」

「……」

「理解しろ、って、言われても無理です…」

「……ああ」

「私は〝澤田凪〟じゃありません…」



泣きそうだった。
この日記は私の事。
だとしたら、ここに書かれている〝潮くん〟という人は、日記通りなら、彼氏ってことになる。


私に、彼氏なんていない。
いないのに。
いないのに。
いないのに。

見ず知らずの人間に、いきなり家族です、彼氏ですって言われても分かるわけがないのに!



ポタポタとまた涙を流せば、「じゃあ周りの人間はどうなる?」と、藤沢那月が小さく呟いた。


「お前から知らねぇって言われて。そこに書いてるから分かるけど潮がお前のことすげぇ大事にしてんのに、知らないって言われて傷つくんじゃねぇの?」


私から知らないと言われる。
〝潮くん〟
この日記では、何回もその名前を見た。
本当に〝潮くん〟ばかりで。
知らない私の彼氏。


「でも、その人のこと、分からないんです…」

「……」

「どんな人、かも」

「……」

「あなたは、よく、知ってそうな口ぶりですけど、知っているのですか…」

「女を大事にするやつだよ、あいつは」

「…女?彼女をっていう意味ですか?」

「でも、簡単に友達を裏切るイヤなやつ」


ふ、と、鼻で笑った藤沢那月。


「お前を今から潮んとこに戻せばいいんだろうけど、俺は潮が嫌いだし、番号も知らない」

「…嫌いなんですか?」

「昨日、久々に会ったけど、やっぱり殺したいなぁって思ったわ」


本気なのか、冗談なのか。


電車が目的地に到着し、おりた私は、今からどうすればいいか分からなかった。


知らない家に帰ればいいのか。
藤沢那月が殺したいほど嫌ってる〝潮くん〟に会えばいいのか。


どうしようと迷い込んでいると、「つーかさ、」と、未だに理解出来ない私の手元からファイルをあっさりと奪った彼は、その白いファイルを片手で持ち。


「こんなんあるから、悩むんじゃねーの」


藤沢那月は足を進め。
駅から出ると、近くにあったゴミ箱にそれを入れようとし。


「ま、まって…!」


慌てた私は、それを捨てないように、彼の腕を掴んだ。


「それは、大事なものではないんですか…?」

「さあ?」

「捨てては、いけない気がします」

「内容、どうでもいいのに?潮ばっかりなのに?」

「でも…」

「だってこれは、お前が書いたもんじゃないんだろ?」

「…そうです、けど」

「大丈夫だろ、捨てても。こんなもんがあるから、余計に戸惑うんだよ」

「……」

「お前も、こんな気持ち悪い日記があったこと、明日には忘れてる」