「ララ様……ララ様ったら」

 呼ばれていることにようやく気付き、慌てて顔を上げる。
 放課後サンルームに集まり、普通科の女生徒達と歓談をしていたところだった。

「えっ、あ、すみません。もう一度おっしゃって?」

「もう〜、ちゃんと聞いておいてくださいませ! ララ様はお付き合いなさっている方はいらっしゃるの?」

 女が集まれば話の種になるのは恋話だ。内心ため息を吐きながら、ララは平然さを装ってティーカップを口元に運ぶ。

「おりませんわ」

「あら、どうして? ララ様は華やかだし、衣装のセンスもおありだわ」

 確かに見た目が派手な自覚はあった。
 赤みがかった背中まである巻き毛はゴージャスだと褒められるし、目鼻立ちもハッキリしている。しかし華やかと言えば聞こえは良いが、悪く言えばけばけばしいのだ。
 見た目のせいで高飛車に見えるのか、男性からアプローチされたことはほとんどない。たいていの男は奥ゆかしい女を好むからだろう。けれど、この赤毛と癖毛はどうやっても直せない。顔立ちだって生まれながらのものだ。

「きっとララ様のお眼鏡にかなう方がいらっしゃらないのよ」

 他の女生徒がそう言う。

(人を高望みする女、というレッテルを貼らないでほしいわ……)

「そんなことございませんわ。皆様素敵ですけれど、なかなかご縁に恵まれなくて……」

 ララは引きつった笑みにならないよう気をつけながら、そう言った。
 騎士科や魔法科ならいざ知らず、王立学園の普通科に入学する女生徒の目的は結婚相手を探すことだ。ララ以外の女生徒も大半は同じ目的だろう。行儀見習いのためというのは建前だ。
 今朝も届いた父からの手紙には、有力貴族と縁があったかどうかの問いかけがあった。それを思い出して、ララは心の中で再び嘆息する。

(できれば、自分で選んだ相手と結婚したいけれど……)

 もし卒業するまでにそういう相手が現れなければ、父が選んだ相手と婚約しなければならなくなる。下手したらお爺ちゃんみたいな年の資産家と。
 ララは腕時計をチラリと見て、ティーカップを置く。

「あら、もうこんな時間。私はこれで失礼しますわ」

 そう言って席を立つ。今日は生徒会にも顔を出す用はないので早々に帰ることにした。もう迎えの馬車が来ている頃だ。
 寮生ではない外部から通う貴族の子息子女は、たいてい馬車を迎えに来させている。
 次第に広がり始めた暗雲からぽつぽつと小雨が降り始めた。
 ララは急ぎ足で馬車の停車場に向かう。
 弧を描く道なりには一台豪華な馬車が停まっているだけで、いつもならいるはずのヒューストン子爵家の馬車は見当たらない。
 仕方なく屋根のある待合所のベンチで待とうとしたところで、見知った相手がいることに気付いた。

(マルク様だ)

 彼はベンチに腰掛け、視線を手元の本に落としている。
 女生徒に囲まれているわけでもなく、近くに護衛もいない。珍しく一人のようだ。
 ララは校舎に戻るか迷った。けれど雨の中をまた走るのも嫌だし、ここは生徒なら誰でも使える場所なのだから……と己を鼓舞して、マルクに腰を降ろした。
 マルクがこちらに気付いたように顔をあげる。

「こんにちは。迎えを待っているのかな?」

「え、ええ。マルク様は?」

「僕はキリが良いところまで本を読みたくてね。馬車を待たせていたんだ。もうそろそろ行くつもりだけど」

「そっ、そうなんですね……」

(──せっかく話せたのに)

 会話がすぐに終わってしまったことをララは残念に思った。
 入学して間もない頃、石畳に足を取られて転びそうになった時にマルクに助けてもらった時から、彼はララの憧れだ。

(マルク様とお付き合いされる女性は、いったいどんな方なのかしら……)

 その女性を想像して、少しうらやましく思う。

(マルク様はお優しいから色んな女性と浮名が流れているけれど、本命と言われるような方はいらっしゃらないのよね……)

 だからだろうか。そばにいると妙な期待と緊張を覚えてしまうのは。
 唐突にマルクが笑みを浮かべて言った。

「きみさえ良ければ、邸まで送っていくよ。見たところ、きみの家の馬車も来ていないようだし」

「えっ!? いや、そんな……悪いです。もうすぐやってくると思いますので、お気になさらないでください」

 さすがに王子に送ってもらうのは恐れ多い。
 マルクは心配げに眉根をよせる。

「でも、雨だから足場も悪い。馬車に何か問題が起きたのかもしれないよ。それなら早く帰った方がいい。それに屋根があるとはいえ外で長時間待つと体も冷えてしまうだろう」

「…………」

 確かにマルクの言う通りだ。
 夏が近づいているとはいえ、雨が降っているせいか長袖でも肌寒く感じる。
 いつもなら待っているはずの馬車の姿がないことでララも急に不安になってきた。

(もしかして事故にでもあったのかしら? なら私はマルク様の馬車に同乗させてもらって早く帰った方がいいのかも……)

「それでは、お言葉に甘えさせて頂いても……よろしいでしょうか?」

 もじもじしながら問いかけると、マルクはきらめくような笑顔で「もちろん」と答えた。

◇◆◇

 あの日、家の馬車がやってこなかったのは、やはりトラブルがあったからだった。
 走行中に車輪が外れて、直すのに時間がかかっていたらしい。
 馭者は『朝に点検したはずなのに、おかしいですねぇ』と、しきりに首を傾げながら頭を下げていた。

(でも、そのおかげでマルク様とお近づきになれた……)

 ララはむしろ、その偶然に感謝していた。
 送ってもらったお礼にと、後日手製のお菓子をマルクにプレゼントし、そのお礼に彼にお茶に誘われる。
 そして、ララとマルクはとても自然に距離を近づけていった。


「──きみを愛している」

 恥ずかしそうな表情でマルクにそう告白された時、ララはこの世界の全てが輝いて見えた。
 マルクはずっとコンプレックスだったララの見た目も好ましいと褒めてくれた。

「いつか、きみを婚約者だと皆に紹介したい。だが今は時期が悪い。僕はハーベルと王太子争いをしていて、危うい立場にいるんだ……。きみとの婚約を支援者達に理解してもらわなくてはいけないから」

 王子ともなれば、婚約者選びも自由にできるわけではない。今後の王宮内の勢力図にも関わってくる。ヒューストン子爵家は国内での力はそれほどないのだ。マルクの後ろ盾になるには弱すぎる。

(だから、私とマルク様の交際は秘密にしなきゃいけないのよ……)

 ララはマルクから、そう説得されていた。親友のリーチェにさえ秘密にしている関係だ。

(……どちらにしても、きっとリーチェには言えなかっただろうけれど。なぜか、リーチェはマルク様を敵視しているから)

 誰かと交際を始めたら教えてくれと彼女からは強く言われていたが、ララはとても伝える気になれない。きっと、リーチェは反対するだろうから。
 リーチェは気付いていないだろうけど、たまにマルクを見つめる目が厳しいのだ。おそらく彼を嫌っているのだろう、と思う。けれど、ララにはその理由が分からない。

「ごめんなさい……私の家がもっと力があれば良かったのですが……」

 愛する人の力になれないことに心苦しさを覚え、ララはうつむいた。
 マルクはゆるく首を振る。

「いや、きみが責任を感じることじゃない。もう少しだけ待っていてくれ。それまで、僕達の関係を秘密にさせてしまうのが心苦しいけれど……」

 マルクに抱きしめられて、ララは天にも昇るような気持ちになる。そして大きく頭を左右に振った。

「……私はマルク様といられるだけで幸せです」

 彼は優しく微笑んで、ララにそっと耳打ちする。

「僕達が一緒になるために、きみも力を貸してくれるかい?」

「もちろんです! 私にできることなら、何でもおっしゃってください!」

 意気揚々と胸に手を当てたララに、マルクが目を細めた。

「では、リーチェをよく観察して、彼女の行動を逐一、僕に報告してくれないか?」

「え……? なぜ、リーチェを……?」

 戸惑うララに、彼は言う。

「彼女は……忌々しいことにハーベルの婚約者だろう?」

「え、えぇ。そうですね」

「ハーベルは僕を疎んでいる。僕がいなくなれば良いと思っているんだ」

「そっ、そんなことは……ないと……」

 そう言いかけたが、二人が対立しているのは誰もが知っている。

「僕はハーベルに何度も足を引っ張られている。魔物狩りの時も功績も横取りされたんだ」

「そう、なんですか……?」

「また奴は僕を陥れようと何かを企んでいるに違いない。リーチェの友人であるきみにこんなことを頼むのは心苦しいが、彼女もハーベルの悪事に関与している可能性がある。だから彼女を監視してほしい」

(親友を監視するだなんて……)

 リーチェが悪意を持つはずがない。
 彼女は人が良いから、全然報われなくても気にせず魔道士団で下働きをしていたくらいなのだ。
 ハーベル王子のことはよく知らないが、少なくともリーチェに関しては、ララは何も悪いことなんてしていないと断言できる。

(でも……)

 リーチェがたまに見せるマルクへの嫌悪の表情が脳裏をよぎった。

(まさか、リーチェはハーベル王子に協力しているの? ……いや、まさかね。彼女に限って、それはないわ。……そうよ、リーチェの潔白を証明するためにも、彼女の行動を見守らなきゃ)

 マルクもリーチェをもっと知れば、彼女がハーベルに加担していないと信じてもらえるはずだ。

「……やりますわ」

 ララがそう言うと、マルクはうっとりするような笑顔で彼女を強く抱きしめた。

「ありがとう。きみは最高の恋人だ」

 耳の奥が溶けるような声でささやかれ、ララはなぜか己が甘美な毒に侵食されていくように感じた。