「どうぞ、お嬢様」


 そう言ってレイは、ヘレナの手を恭しく握る。馬車を降りれば、真新しい木材と塗りたてのペンキの香りが風に乗って届いた。ヘレナの住んでいた屋敷よりは一回り小さいものの、上品でどこか洗練された佇まいの屋敷だ。


(レイの知り合いの方のお屋敷かしら?)


 そう思いつつ、何とも言えない違和感がヘレナを襲う。
 レイがヘレナの屋敷で執事を始めて以降、外出している様子を殆ど見たことがない。知り合いらしい知り合いが彼に居るとは、到底思えなかった。


「こちらでございます」


 レイはそう言って、我が物顔で敷地を突き進んだ。ヘレナは首を傾げつつ、レイの後に続く。それからレイは何処からともなく鍵を取り出し、屋敷の扉に手を掛けた。


「ちょっ……ダメよ、レイ!」


 余所様のお家に勝手に入るという行為は、とても褒められたことではない。焦るヘレナに、レイは平然と笑った。


「ご安心ください。こちらはお嬢様のお屋敷ですから」

「……へ?」


 重厚な扉が音もなく開き、屋敷の全貌が明らかになる。ヘレナは思わず息を呑んだ。
 傷一つない真新しい大理石の床。落ち着いた色合いの壁紙や可愛らしい調度品類。大きな花瓶にはヘレナの髪色によく似た色合いの美しい花々が飾られている。


(全部全部、わたしの好きなものばかり……)


 壁紙や扉、床の色合いや階段の手すりといった細部に至るまで、全てがヘレナ好みに作られている。ヘレナのためのお屋敷――――レイのその言葉に、嘘偽りが無いように思えてくる。


「だけど、わたしのお屋敷って……そんな、まさか」


 他国に屋敷を構えるような伝手は、ヘレナにも、亡き両親にも、現侯爵である兄にも無い。聖女としての活動は慈善事業のようなものだから、殆ど給金は貰っていなかったし、ここまで立派な屋敷を建てるような財産はヘレナには無かった筈だ。


(第一、どうしてこんなところにわたしのお屋敷があるのかしら?)


 ヘレナは二日前、初めて追放の事実を知らされた。事前にそういう匂わせがあったわけではなく、本当に寝耳に水の出来事だった。
 それなのに、この屋敷はまるで彼女が『追放される』ことを予見していたかのように存在している。ヘレナはそっと、レイのことを覗き見た。


(さっきの出迎えもそうだけれど)


 レイにはこうなる未来が見えていたのだろうか?そう思うと、何とも言えない気持ちに苛まれる。


「こちらは正真正銘、お嬢様のお屋敷でございますよ」


 そう言って優雅に微笑むレイに、ヘレナは唇を尖らせた。