「……え?」


 聞き取れないほど至極小さな声で、レイが何かを口にする。掃除のために開け放した扉から、秋風が優しく吹き込む。風に揺れたヘレナの髪を一房、レイは掬った。


「一度超えたら戻れなくなりますよ? ヘレナ様」

「…………ふぇっ!?」


 その瞬間、ヘレナの肌がぶわりと粟立つ。身体の中心が熱くなり、鼓動が恐ろしい程に速くなった。


「如何したのですか、ヘレナ様? お顔が真っ赤ですよ?」


 そう言ってレイは悪戯っぽく微笑む。いつにも増して距離が近い。彼の指がそっと頬を撫で、ヘレナの背筋がピンと伸びた。


「レッ……レイ、あの…………」

「さぁ、掃除を始めましょうか。こうして――――そう、床の形に沿う様にモップを動かしてください。ゆっくりと、丁寧に。……上手です」


 レイはヘレナの背を覆う様にして、背後からモップを動かす。まるで抱き締められているかのような感覚に、ヘレナの身体が大きく跳ねる。鼓動は先程よりもうるさく、ドッドッと大きく鳴り響いていた。


「ヘレナ様」


 耳元でレイがそう囁く。この屋敷には二人しかいない上、内緒話をする理由もない。おまけに名前を呼んだ理由もないらしく、レイの言葉はその後、どこにも続かない。


「レイ……あのっ、あのね?」

「はい、何でしょう? ヘレナ様」


 レイはそう言って目を細めた。心臓を鷲掴みにするような、魅惑的な笑みだ。身体中の血液ががざわざわと騒いで、ヘレナはゴクリと唾を呑んだ。