でもね、芹香。
芹香にもまだ話したことなかったんだけど、実はもう一つだけ私が今でも「お母さん」っていう人を、ほんの少しだけ感じられる方法があるんだよ。
それはね…。
年末年始とかお盆の時期になると、私と拓人は長岡にある長瀬の家…お母さんの住んでいた実家にかならず顔を出すんだよ。
そこには、私の祖父と祖母。
お母さんの両親はまだ元気に暮らしていて、毎年私たちの姿が見られるのを心待ちにしてくれてるの。
ちなみに私ね、小さい頃に拓人から祖父と祖母のことを教えられた時から、ずっと「ソフ」さんと「ソボ」さんって名前だと勘違いしてて、実は今でもそうやって呼んでるんだよ。
ふふっ、おかしいでしょ?
いつも優しい笑顔で私たちを迎えてくれる、とてもあったかい二人。
私たちが長瀬の家に行くと、まずは必ずお母さんに会うために二人で奥の仏間へ足を運ぶの。
線香の香りが鼻をくすぐる程度に染みついた、今でも少し広く感じる白い空間。
真新しい仏壇と遺影。
真新しい襖。
そして、真新しい畳。
それ以外には、とくに何もない部屋。
「昔はこの部屋、客間として誰かが来たときに寝泊まりくらいでしか使ってなかったんだ。まさか仏間として使うなんて思ってもみなかったなぁ…」
そう言葉を溢した祖父の表情は穏やかに笑っていたけど、小さい頃の私でもわかるくらい…瞳はどこか寂しげに見えた。
大きな仏壇には黒い位牌が一つだけ置かれていて、そこから視線を上に移すと一枚だけ飾られたお母さんの遺影。
髪の長い、綺麗な女の子。
今の私とあんまり変わらない…まだ年端もいかないこんな女の子が私を産んだ母親だなんて、物心ついた頃はなんとなく複雑な気持ちだった。
そしていつも拓人は、昔のアルバムをどこかから引っ張り出してきて、少しの間だけお母さんとの思い出にしんみりと浸るの。
そんな拓人の隣にいて、私もその古ぼけたアルバムを一緒になって眺めるんだよ。
なんかさ、これって不思議な親子のコミュニケーション…って感じじゃない?
きっとお母さんは今もこの部屋のどこかにいて、本当の私たち家族の姿はこの部屋にだけ存在してるの。
拓人と私と、二人のことを優しく見守ってくれているお母さんの姿。
世界中でここだけにしか存在しない…っていうか、存在できない幻みたいな家族。
そんな私だから「家族」っていうのをこうして感じることしかできなくて、それがたまにすごく虚しくなるんだよね…。
でもね、芹香。
昔の話をする拓人の言葉を聞きながら、お母さんが今の私と同じ年頃だったんだな、っていう変な想いを馳せたりなんかできるんだよ。
それが意外と楽しかったり、なんか嬉しかったりしてね。
「美月な、プールの授業だけはいつも休んでたんだよ。理由は俺もよくわかんねぇけど」
…あははっ。
それって「遺伝」かもよ。
そう思えば何となくだけど、お母さんと繋がり合えてるような気がして、なんだか少し嬉しかったりするの。
だから別に、このまま泳げなくたっていいような気もしたりね。
「しょうがないよ。化粧直すのだって面倒だし、女の子は色々あるんだからさ」
(お母さんの秘密は、誰にも言わないからね…)
…なんて思ったりしてね。
……
生前のお母さん。
名前は、館林美月。
お母さんは誰にでも優しくて、いつも笑っていてとても明るい子。だけど少し小柄で、少し華奢で…。
こうやって拓人の口から零れる一つ一つの言葉を繋ぎ合わせた物語が、私にお母さんの存在と温もりを少しずつ分け与えてくれた。