「恋人の振り?」

「そうなの。お願いできないかしら?」


 翌日、わたしは一人の男性をガゼボへ呼び出していた。

 彼の名はバルディヤ様。
 隣国ザリンスティーチ帝国の皇太子で、我が国に三か月間留学に来ている。

 王太子の婚約者ということもあり、わたしと彼はかなり親しい間柄だ。
 お互い、将来国交を担う役割があればこそのお付き合いではあるけれど、行動を共にすることが多いし、何より一緒に居て居心地がいい。もちろん、これまではネイサンも一緒に過ごしていたのだけど。


「ごめんなさい。本当はこんなこと、貴方にお願いすべきじゃないと分かっているの。だけど、あの男――――ネイサンに復讐するためにはこれしか方法が無くて」


 身分や外見、教養諸々がネイサンと同等以上に優れている男性って考えた時、真っ先に思い浮かんだのが彼の顔だった。

 光り輝く銀の髪に、印象的なワインレッドの瞳。鍛え上げられた肉体に豊富な知識。一つでも秀でている部分があればっていう中、バルディヤ様はどれを取ってもネイサン以上。
 彼がわたしの恋人だと言えば、ネイサンは間違いなく悔しがるだろう。


「復讐? ネイサンに? ニコルのお願い事だし、叶えてあげたいとは思っているけれど……一体なにが?」

「実は――――婚約を破棄されまして」

「婚約破棄!?」


 未だ正式に婚約破棄が成立していないせいか、このことは明るみになっていない。バルディヤ様が驚くのは当然だ。正直言って恥ずかしいし、情けないし、言葉にするだけで苛立つけれども。


「嘘だろう? まさか、今さら他国の姫君を迎えることになったのか? だけど、近隣に年頃の姫は居ないし……」

「そうだとしたらどんなに良いか。政略も何も存在しない。新しいお相手は伯爵家の御令嬢よ。サブリナ嬢、知ってるでしょう?」


 バルディヤ様はわたしが浮気されたとは夢にも思わなかったらしい。呆然と目を見開き、手のひらで口元を押さえている。


「ねえ、お願い。貴方が帰国する迄の一ヶ月間だけで良いの。わたしの恋人の振りをしてもらえないかしら? 当然、タダでとは言わないわ。わたしが持っているものなら何でも差し出すから」


 一帝国の皇子を相手に、こんな交渉をするなんて馬鹿げている。
 だけど、わたしは父から、彼の利になるだけの手札を授かっていた。第一、この交渉が上手くいかなかったら、父や兄達が本気で城に乗り込みかねない。それだけは避けなければ。

 昨晩準備したリストを差し出せば、彼は静かに目を走らせ、微かに笑みを浮かべる。


「良いよ。今この瞬間から、俺はニコルの恋人だ」


 バルディヤ様はそう言うと、わたしの手を取り、指先に触れるだけのキスを落とす。鮮やかな紅の瞳に見上げられ、心臓がドクンと大きく跳ねる。

 よろしくお願いします、と返したら、彼は穏やかに目を細めた。