前期試験前の2週間の自由出席期間は、自転車部の連中にとっては走り時。
 洋輔は毎年恒例の富士山へ行った。淳一は奥多摩へ。他の部員たちもそれぞれ思い思いに計画を立てて出掛けて行った。
 私はバイトと卒論に明け暮れた。この時期に会社訪問する学生も居る。私は昨年のうちに内定が取れたので、順当に卒業までの日々を過ごすだけ。

 音楽はBob James。外は土砂降りの雨。雨の音で音楽がはっきり聞こえない。音楽越しの強めの雨の音もなかなか良いね。
 珍しく今夜は飲んでいる。洋輔と飲むと酒量を制限されるし、酒の肴は私の担当だし、面倒臭い。独りだとなんとでもなる。あーほんとに独りは気楽だな。ちょっと飲み過ぎた。
 傘を持たずに外へ出た。雨が冷たくて気持ちが良い。びしょ濡れになるまで歩いてみよう。もうすぐ試験だから風邪引いてらんないな。ま、いっか。
 国道に出た。歩道橋がある。階段を上ろうと思ってやめた。上まで行ったら飛び降りたくなりそうな気がした。こんな雨の夜の歩道橋の上は厭世観に気持ちが突き上げられそうだ。
 階段に腰を下ろして空を見上げた。街頭に照らされて雨が白い糸のよう。空の黒さと対照的だ。
 段々雨が温かく感じられて来た。体が冷えたのかな。眠い。
 向こうから誰かが歩いて来る。男だ。歩道橋を渡るのだろうか。私に気付くよね。ちょっと恥ずかしいな。そして怖い。狂ったフリでもしていよう。男は私の目の前に立って傘を差しかけた。馬鹿な人。私はもうビショ濡れで、傘なんか役立たずなのに。
 見上げると見覚えのある顔だった。
「三浦さん、じゃないか」
 と男は言った。なんだ、横山先生じゃない、と言おうとしたが声が出なかった。急に涙が込み上げて来たから。雨と涙が混じるのがわかる。
「どうしたんだ一体。こんなに夜遅く傘も差さずに。試験前だというのに風邪を引いたらどうする。君らしくないな」
 私を抱えて立たせるとそのまま彼は歩き出した。
 彼は大学の教授。学科が違うので一般教養以外で履修したことはないが、ちょっとしたきっかけで深く付き合うようになった。私は教授の愛人。
「君の部屋はどこだったっけ。あ、あそこか、2階だったかな」
 先生は私の頬にキスをした。先生の唇は温かかった。
「や、君、酒くさいぞ。相当飲んだな」
「バレたか」
 傘を差してはいるけれど、私は元々濡れねずみ。その私を抱えて傘を差し掛けているものだから、彼もそのうち濡れてしまった。
「彼氏は? 君の部屋まで送ってくけど彼氏のパンチはくらいたくないぞ」
 急にまた寂しさが込み上げて立ち止まり、彼の胸にしがみついた。
「寂しい…」
 とつぶやくと、彼は傘を持たないほうの腕で私を包んだ。そのまま部屋への階段を上った。鍵を開けて中に入る。彼にとっても勝手知ったる他人の部屋。
「先生、今日は泊まってって」
「てことは彼は帰って来ないのかな?」
「彼は富士山に走りに行きました」
「自転車部の連中は元気だねぇ」
 私をバスルームに立たせて、彼は服を脱がせてくれた。バスタオルで髪の毛を拭き、そのままタオルを体に巻いてベッドへ。
「今日は大丈夫な日?」
「多分」
「君は酔うと乱れまくるからなぁ」
 先生には奥さんも子どもも居る。3年間よくバレずに続いたものだ。卒業したらこの関係も卒業しなきゃね。
 雨の音が聞こえなくなった。