俺の帰りは日に日に遅くなっていった。

ある夜、同学年の不良グループに所属する荻原という男が、別の学校の不良にカツアゲされている現場に遭遇した。

俺は気まぐれに、その荻原を助けた。

別に難しいことではない。

倒したい相手に、思い切り拳を叩きつける、ただそれだけのことだ。

荻原はその一件で俺をえらく気にいったようで、所属している不良グループの仲間に

「俺のダチだ」と紹介した。

俺はあんなに打ち込んでいた野球部を退部した。

野球という絆で結ばれていた親父との縁を、バッサリと切りたかったからだ。

そして、余った時間を、その不良グループとつるむようになった。

話してみればけっこう気のいい奴らで、夜中まで仲間の家がやっている自動車工場か、つぶれそうな茶店で、何をするでもなくただ他の奴らの話を聞き流しながら過ごした。

そこで酒と煙草を覚えた。

教えてくれたのは一学年上の、柴田先輩だった。

一学年上と言っても柴田先輩は一年留年しているから、実質は2歳年上だった。

バイクを飛ばすのが好きな、義理人情に厚い男気のある先輩で、俺も一目置いていた。

「弘毅。俺の兄貴が経営しているバーがあるんだ。付いてこいよ。」

「・・・・・・。」

「なに。バーって言っても、客が数人しか入れない小さな店さ。兄貴も昔はヤンチャしてたから、俺達みたいなモンにも居場所を作ってくれているってワケ。」

最初はバーなどという場所は大人が行くところだと認識していたので、正直気が重かったが、柴田先輩には何故か逆らえない自分がいて、大人しく付いていくことにした。

柴田先輩が言った通り、そのバーは狭くて薄暗く、壁にはインディ―ズのロックバンドのポスターが貼られていた。

柴田先輩は俺にカウンターの椅子に座るよう、促した。

「酒、飲むだろ?」

「・・・・・・。」

酒なんて飲んだことがなかったが、俺は頷いた。

「酒はさ、嫌なことをひととき忘れさせてくれるぜ?お前、忘れたいことがあるんだろ?」

「・・・はい。」

あの真夏の夜に起こった出来事を、俺は全て忘れてしまいたかった。

「兄貴。コイツにハイボール作ってやってくれないか?飲みやすいヤツ。」

「あいよ。」

カウンターの向こうで、顎に髭を蓄えた長髪の男が、軽く答えた。

すぐに俺の目の前に、グラスに氷が浮かんだ琥珀色の飲み物が置かれた。

「それ飲んで、忘れちまえ。」

「・・・俺の話、聞かないんですか?」

「俺はそこまで野暮じゃないよ。」

俺はそのハイボールを一気に飲み干した。

初めてのアルコールは苦かったが、ソーダで割ってあるからか口当たりがよくて、すぐに次の一杯をお代わりをしてしまった。

どうやら俺はアルコールに強い体質らしかった。

「柴田先輩は、忘れたいことがあるんですか?」

柴田先輩は煙草を取り出し、ライターで火をつけると、美味しそうにその煙を吸い込んだ。

「俺はもう忘れたいことを忘れちゃったよ。」

それだけ言って、小さく笑った。

「俺にも煙草、下さい。」

「お。酒と同時に煙草もデビューか?」

初めは上手く煙を肺に吸い込めなかったが、ニコチンは俺の嗜好に合ったようで、それからは中毒の如く吸うようになった。

しかし、家にいる女豹との出来事を忘れようと、強い酒を浴びるように飲んでみても、まったくというほど酔えなかった。




仲間の中には女を呼び出していちゃつきだす奴もいた。

夜の街を彷徨う俺は、ここでも女に不自由はしなかった。

飛んで火にいる夏の虫とはよくいったもので、女達は蛍光灯に群がる蛾にように、俺にすり寄ってきた。

俺は早々に童貞を捨てた。

相手の女なんて誰でもよかった。

どうせ俺はあの女に汚された身体だ。

汚れた身体は元へは戻らない、もう誰と寝ようと汚れがさらに色濃くなるだけだ。

だったらどんな女と寝ようが、どうでもいい。

毒を食らわば皿まで、だ。

女など、どいつもこいつも大して変わりない。

俺の本質などどうでも良くて、ただ見栄えの良い容姿に惹かれ、安っぽい香水の匂いを漂わせ、身体をすりよせてくるだけの存在。

そんな風に軽蔑しているくせに、その女達と気まぐれで寝ることもあった。

ただ、たまに疼く性欲だけを満たせれば、それでいいと思った。

俺は後腐れないようなビッチな女や、もう2度と会わないであろう行きずりの女、若い燕を探している年上の金持ちの女などと、節操なくベッドを共にした。

そして俺の心を独り占めしようとしてくる女やその身体に飽きたら、どんなに連絡があってもブロックし、容赦なく捨てた。

女を選ぶに当たっては、学校で俺に片思いをしている夢見る女達には決して手を出さない、それが俺のルールだった。

金持ちの年上の女は、こちらから要求せずとも多額の小遣いを俺に与えてくれた。

親父の金なんかに頼りたくない俺には、例え汚い金であったとしても有り難かった。

女達は行為が終わると必ずこう聞いてきた。

「私の事、愛してる?」

「弘毅のこと、愛してるからね。」

「ねえ。愛してるって言って。」

俺は何の感情も込めずに、ただ女達が喜ぶであろう言葉を口にした。

「・・・愛してるよ。」

愛ってなんだ?

セックスイコール愛なのか?

そんなものが愛というのなら、俺は愛なんていらない、そう思った。

俺は女達がいうその愛とやらを武器に、経験だけが増えていった。

女は俺にとって、ただ身体の上を通り過ぎていくもの、そんな存在だった。

ある日、寝物語にみゆきという女が俺に言った。

お決まりの台詞だ。

「私のこと愛してる?」

「うん。愛してるよ。」

「嘘。そんなことを聞く女は面倒くさいって顔に書いてある。」

「・・・・・・。」

「君は可哀想な人ね。」

「可哀想?」

「そう。自分しか愛せない人。ずっとこの先もそんな風に生きていくの?」

「・・・・・・。」

「もし君がその強すぎる自己愛を誰かに向けるようなことがあったとしたら、きっと苦しむわね。それが私じゃなくて残念だけど。・・・いいわ。楽しみましょ。」

そういってみゆきは俺の腰に手を回した。

可哀想か・・・。

確かに俺は自分が一番可愛い。

俺は別に愛なんて必要としていない。

愛なんていつかは終る。

お袋が俺への愛を抹消したように。

そんなものの為に、自分が傷つくなんて馬鹿げている。

だから誰かを愛するなんてことが、俺の人生に起こるはずがない。

・・・しかし、みゆきの言葉は俺の心に強く残った。



俺は喧嘩が強かったから、他校と揉めたときは必ず仲間に呼び出された。

こちらから吹っ掛けることは無かったが、売られた喧嘩はきっちり相手をしてやった。

何人と喧嘩したかなんて聞かれても、そんなのいちいち覚えていない。

ただ敵とみなした相手を打ちのめすだけの日々。

気が付くと、俺は知らぬ間に「狂犬」などという不名誉な称号を付けられていた。

連戦連勝、負けたことなんて一度もなかった。

一度、相手への力加減が行き過ぎてしまい、俺が一方的に激しい暴力行為を行ったことになり、1ヶ月の停学処分となった。

俺は校内で一番の不良だと認定された。

それでも俺は家に帰るのが嫌で、その間柴田先輩の兄の店に入り浸り、強い酒を仰いでいた。

ある時、見覚えのある若い男が隣に座った。

そして俺に、自分は何者かを明かした。

そいつは流川恭介という名の、俺のクラスの副担任だった。

髪を坊主に近い短髪にした男で、着ている上下のスーツは安い量販店で買ったとすぐにわかるようなぺらぺらな生地だった。大きな二重瞼に太い眉を上下させながらほほ笑む、いかにも人の良さそうな童顔の流川が俺に開口一番言った。

「そのお酒、美味しい?」

俺は会話をするのも面倒だったが、無視するには距離が近すぎた。

「さあ。美味くなきゃ飲まねーよ。アンタも自分で飲んで確かめてみたら?」

「そうだね。じゃあ、お兄さん。これと同じもの、僕にもください。」

流川は気安くマスターにそう呼びかけた。

俺のハイボールは味が濃くアルコール度数も高い。

この腹話術師が操る人形のような男は酒が強いのだろうか?

俺は面白い見世物を見るように、その男がハイボールを飲む姿を眺めていた。

しかし男は予想に反して酒に強いらしく、そのハイボールを一気に飲み干した。

流川は酔った様子もなく、にんまりと笑いながらこう答えた。

「うん。美味しいね。」

「・・・どこで俺がここにいるって知ったんだよ?」

「まあ・・・風の噂でね。」

「何か用?」

「うーん。用があるっていえばあるけど、ないって言えばない。

ただ鹿内と話がしたかったんだ。」

「・・・・・・。」

「じゃあまたね。」

それだけ言って、流川は店から立ち去った。

未成年だから酒を飲むなとも、学校に来いとも言わず、ただ自己紹介だけをして帰っていった。