高校3年の冬を迎え、大学受験はもう目の前にあった。

俺は信二と同じ大学を受けることに決めていた。

信二はここ最近、猛烈に勉強をした成果が出始め、早慶大学を受けることを決意した。

俺も早慶大学には、教育学部に受講したい講師がいるし、その選択に乗っかることにした。

中学の恩師である流川には季節に一度、会いにいくことを続けていた。

そしてその変わらない生徒への細やかな指導や勉学を教えることへの情熱を感じるごとに、俺も教育者になりたいとの思いが強くなっていった。

出来れば心が柔らかい小学校か中学校の教師になりたいと思った。

小学生へ勉強を教えるテクニックは、家庭教師のバイトでの成功体験があるので、多少の自信があった。


ある冬の朝、通学路から少し外れた路地裏で、同じ学校の女子生徒が、他校の男子生徒三人に絡まれているところを目撃した。

その路地は学校までの道のりをショートカットするために、いつも俺が使っている秘密の抜け道だった。よく近づいてみると、その女子生徒は、俺がテストの成績で、いつも僅差で負けてしまう神宮司美也子だった。

神宮司美也子は秀才で校内一の美女だと評判が高い女だ。

テニス部の副部長で、図書委員長を務めていて、後輩への面倒見もいいパーフェクトな女だと、客観的に見て俺もそう思っていた。

俺は美也子を助けるというよりは、自分が通る道を塞がれていたことに腹が立ち、そのチンピラみたいな男子生徒に突っかかっていった。

「おい。どけ。勝手に道塞ぐんじゃねーよ。」

俺が虫けらを扱うようにそう告げると、そのチンピラ三人組は俺の胸倉を掴んだ。

「はあ?お前、誰?ひとりで粋がってるんじゃねーぞ、こら!」

俺は相手をするのも面倒くさかったが、中学の時の狂犬と呼ばれた血が騒ぎ、少々手荒にその三人をぶっ飛ばし続けた。

自分たちが不利な状況だと判断したその三人組は、文字通り尻尾を巻いて逃げて行った。

ぶるぶると震えている神宮司美也子を冷ややかに見ながら、俺は忠告した。

「こんな誰も通らないような道を歩いているアンタも悪いぜ。今度から気を付けろよ。」

俺はすぐ近くに転がっていた美也子の片方のローファーを拾い、手渡してやった。

「鹿内君・・・ありがとう・・・。」

美也子は涙をポロポロ流しながら、俺に礼を言った。

女はすぐに泣く。これだから関わるのは面倒なのだ。

俺は美也子の方を振り向きもせず、その場を立ち去った。

それから一週間後、担任から職員室へ呼び出された。

「鹿内。お前、学校外で中央高校の生徒を殴ったらしいな?あちらの学校の教頭から訴えがあったぞ。本当の事なのか?」

あの三人組は自分達のことを棚に上げて、俺のことをチクったらしい。

「本当です。」

俺は隠しても仕方がないと思い、正直に告白した。

「今、校長と生活指導の先生とで、お前の処分を検討している。結果が決定次第お前に伝えるから教室で待っていろ。」

言われた通り教室で待っていると、担任が教室に戻ってきて、俺に告げた。

「鹿内。お前を2週間の停学処分とすることになった。本当は一か月に決まりそうだったんだが、神宮司がお前に助けてもらったと直談判しに来てな。どうして最初からそれを言わなかった?」

「別に神宮司を助けたつもりはありません。道を通るのに邪魔だったので。」

「ま、2週間頭を冷やせ。」

受験前の2週間の停学処分は痛かったが、勉強は家でも出来るし、特に問題はなかった。

・・・と思っていたのだが、新たな問題が俺の身に降りかかった。

美也子が、どこで俺の家の住所を調べたのか知らないが、毎日家まで来て、ご丁寧に授業のノートを渡しに来るようになったのだ。

罪滅ぼしのつもりなのだろうが、正直迷惑なだけだった。

ノートを渡しに来た初日に、俺は美也子を傷つけないように遠回しな表現ではねつけた。

「気持ちだけ受け取っておくよ。もう来なくていいから。」

しかし美也子はそんな俺の言葉を優しさと曲解して、それからもノートを運び続けた。

相手にするのが嫌だったので、ノートは郵便受けに入れておいてもらうよう指示した。

次の日に前に届けてもらったノートを郵便受けに返しておき、まるで一方通行の交換日記のような状態になった。

ノートだけでなく、ちょっとしたチョコレートの袋と、それに付けられた小さな付箋に「ごめんね」「ありがとう」などの言葉が綴られていて、それを見るたび、余計なことをしてしまった、という気持ちが強くなっていった。

その様子を高みの見物していた陽平に

「さすが、わが従弟の弘毅君。モテますなあ~」

と冷やかされた。

「いい女じゃないか。彼女にしちゃえば?」

「俺にも好みのタイプってものがあるんだよ。」

「へえ。どんな娘がタイプ?」

まさか4つも年下の中学生を想っているなどとは、口が裂けても言えなかった。

「うまく言えないけど・・・とにかくアイツは俺のタイプじゃねーんだよ。」

「ふーん。あんなスペックが高い女、そうそういないと思うけどね。」

陽平の言葉を無視して、俺はため息をつきながら、そのノートを目に付かない場所に置いた。


停学処分が終わり、俺は図書室で調べ物をするようになった。

そこで図書委員の美也子が、用もないのに俺に話しかけてくることが多くなった。

俺が野球部だということで、たびたび野球の話を振ってくる。

「どこの球団が好きなの?」

「ジャイアンツ。」

「私は阪神タイガースを応援しているの。トラッキー君って可愛いじゃない?」

「・・・ジャビットの方が可愛げがあると思うけど。」

「つば九郎も面白いキャラよね!」

「鹿内君はどこの大学を狙っているの?」

「早慶大学が第一希望。」

「ふーん。どんなミュージシャンが好きなの?」

「・・・ミスチルとか」

本当はミスチルの曲なんて数曲しか聴いたことがなかったが、面倒くさいので有名どころを答えた。

初めは、ノートの件で借りがあるので、無視も出来ず適当にあしらっていたが、そんな俺のそっけない対応にもめげずに、美也子は笑顔で俺に話しかけてきた。

次第に、その美しい外見を鼻にかけないきさくな性格と、勉学や課外活動への一生懸命な態度は、尊敬に値すると思い始めるようになった。

いつしか女嫌いな俺も、美也子と気軽に話をするようになっていた。

「鹿内君!お弁当作ってきたの。一緒に食べない?私、卵焼きなら自信があるのよ?」

「へえ。・・・じゃあ、裏庭で食うか。」

それからというものの、俺と美也子は卒業までに数回ほど、人気のない裏庭のベンチで、一緒に昼食を食べた。

美也子は自分の弁当の総菜を、小さな皿を持参して俺に分けてくれた。

「鹿内君、いつも学食で売ってるパンばかり食べているでしょ?そんなんじゃ、身体に悪いわよ?もっと野菜も食べなきゃ。」

「母親みたいなこと言うなよ。俺だってそれは気にしているぜ?ほら、今日のサンドイッチはレタスが挟まっているし。」

「それだけ?全然足りないわよ!」

何気ない会話で笑い合い、野球の話や読んでいる小説の話で盛り上がった。

「ねえ鹿内君。星の王子様って読んだことある?」

サン=テグジュペリが書いた不朽の名作だ。

「失礼だな。とっくの昔に読んださ。」

「いちばん大切なことは目にみえない・・・って。鹿内君にとって一番大切なことって何?」

俺はすぐにつぐみを思い出していた。

「・・・夢、かな。」

つぐみと逢えるその時を夢見ることで、今の俺は生きていると言っても過言ではない。

まだ見たことのないつぐみという虹をみたい。

「鹿内君って学校の先生になりたいんだっけ。」

「・・・ああ。」

「素敵な夢よね。」

「神宮司は?何が一番大切なの?」

「やっぱり・・・愛かな。愛って目に見えないけど、必ず相手に届くものだと思うの。」

そう言って美也子は俺の目をじっとみつめた。

そんな俺達を周りは恋人同士だと勘違いしているようだった。

「ごめんね。鹿内君。私との仲、誤解されて、迷惑でしょ?」

「言いたいやつには言わせておけよ。俺はお前のこと、大切な友達だと思ってるからさ。」

俺がそう言うと、美也子は少し淋しそうに微笑んで見せた。

そしてそれを振り切るようにこう言った。

「ねえ。鹿内君のこと弘毅って呼んでいい?私のことも美也子って呼んで?だって友達だもの。」

「・・・了解。」

本当は美也子が俺に気があることに気付いていたが、俺はそれに見て見ぬふりをしていた。

初めて出来た女友達を手放したくない、というずるい気持ちもあった。

もし、つぐみを知らない世界線で生きていたならば、俺は美也子の好意を受け入れていたのだろうか?

こんな不毛で苦しい片想いからは手を引いて、美也子との未来を考えた方が楽になれるのではないだろうか?

そう自問自答してみたりもした。

しかし、そんなことは考えても無駄だということを、自分でもよく判っていた。

何故なら俺はもうつぐみを知ってしまったのだから。

どうしようもなく、心はつぐみにしか向かっていかないのだから。

諦めることなんて出来っこないのだから・・・。


そして大学入試が本格的に始まった。

偏差値的には合格する自信があった。

ただひとつの懸念は、俺か信二が早慶大学を不合格になってしまうことだった。

大学が違っても友人関係であることに変わりはないが、月日が過ぎるごとに疎遠になっていくのは必至のことだろう。

そうなればつぐみとの接点がなくなってしまう。

その時は、つぐみと俺の人生は交わらない運命だったのだと諦めるしかないのだろうか、と心に暗い影を落とした。

しかし運命の女神は俺に味方した。

俺も信二も早慶大学に無事合格することが出来たのだ。

そして美也子も早慶大学に入学したと知ったのは、キャンパスライフが始まってからのことだった。