信二とは教室でも部活でも、互いになくてはならない存在になっていった。

高校生活も3年目に突入し、俺は野球部のキャプテンになった。

受験シーズンが始まる夏までの短期間限定だったが。

俺より信二の方が適任だと思ったが、顧問から指名され、自分がどこまでやれるか挑戦してみようと決意した。

俺は迷わず副キャプテンに信二を指名した。

俺の助けになってくれる男は信二以外考えられなかったし、信二も快く引き受けてくれた。


梅雨の晴れ間に高校から少し離れた公的機関が管理するグラウンドで、強豪高校との練習試合があった。

6月とは思えないほどの炎天下で、拭っても汗が止まらなかった。

俺は先発ピッチャーでいつになく調子が良く、相手チームにとっての三振を量産していった。

しかし相手チームは主力選手を温存していた。

ウチのチームも舐められたものだ、と俺は憤慨した。

こうなったら何が何でも今日の試合に勝利してやる。

俺はそう心に決め、チームメイトを集めて作戦を変更した。

手堅くバントをして点数を取っていく予定だったが、途中からストライクボールを思い切りを振り切って、点数を稼いでいこうと皆に告げた。

4点リードされていたが、ウチのチームもヒットが続き、9回裏までの間に3点取り返すことが出来た。

「ここからここから!!締まっていこうぜ!!」

信二の大声がグラウンドに響く。

土埃が渇いた空気に舞って、どの選手のユニフォームも真っ黒に汚れていた。

相手チームも先ほどまでの余裕を失い、目の色を変えて、試合に挑んできた。

俺は9回裏のバッターボックスに立ち、若干の緊張と、胸の奥から湧き上がる闘争本能をむき出しにしながらバットを握りしめた。

マウンドではセカンドベースに選手が塁を進めていた。

対戦相手の投手が赤いキャップのつばをわざとらしく直しながら、不敵の笑みで俺を挑発してくる。一球目、二球目とボール球が続いた。

フォアボールを狙うことも出来たが、俺は三球目の内角すれすれのストライクを狙って、力いっぱいバットを振り切った。

ボールは大きな放物線を描き、観客席の向こうへ落ちていった。

サヨナラツーランホームラン。

俺達のチームは最後の最後で一点勝ち越し、みんながバッターボックスに集まって肩や頭を叩き合い、勝利の喜びを噛みしめた。


ベンチに戻り、帰り支度をしていると、信二が四角いタッパーを持って俺の横の席に座った。

俺は信二の持っているものをチラリと眺めた。

「なんだ?それ。」

信二は嬉しそうな顔に白い歯を見せて、そのタッパーの蓋を開けた。

「ジャーン!これはなんでしょう?」

中身を見ると黄色い皮の付いたみずみずしい檸檬の輪切りが、タッパーの中一面に敷き詰められていた。見ているだけで口の中が酸っぱくなった。

「見ればわかるよ。檸檬だろ?」

「そう!檸檬の砂糖漬け。つぐみからの差し入れなんだ。アイツ、中学に入学して料理研究部に入ったんだってさ。その腕前を披露したくてたまらないんだよ、きっと。」

つぐみという名前を聞いて、俺は内なる激しい動揺を隠せなかった。

そんな俺の内面の変化には気づかない信二は、その檸檬をひとつ摘まむと、大きな口を開けていつものようにもぐもぐと食べ始めた。

砂糖漬けというだけあって、信二は酸っぱそうな顔を微塵も見せず、あっという間に咀嚼し終えた。

「この辺りに兄貴達の家があってさ。今日、俺の高校の試合があると伝えたら、親子三人で応援しに来てくれたみたいなんだよ。俺もサプライズだったから、ちょっと驚いた。」

俺はベンチから立ち上がり、客席の方を向き、つぐみがもう帰ったと分かってはいたけれど、その姿を探した。

誰かを探し、その姿が見えずに淋しさを感じる・・・そんなことは初めてだった。

「弘毅も食えよ。つぐみが、今日ホームランを打ったお兄ちゃんにもあげてって言ってたぜ。

この檸檬の砂糖漬け、甘酸っぱくて、疲労回復にもいいんだって。」

信二はそう話しながら、俺の目の前にそのタッパーを突き出した。

つぐみが俺の雄姿を見てくれていた・・・そのことだけで胸の奥の小さな炎が温かく灯った。

「・・・じゃあ遠慮なく頂くよ。」

俺はその丸く黄色い果物を親指と人差し指でつまみ、口の中へ放り込んだ。

檸檬の酸っぱさと砂糖の甘さが口内いっぱいに広がり、多幸感に脳内がやられた。

そしてこんな素晴らしいものを、ただ伯父だからという理由でプレゼントされる山本信二という男をいまさらながら、憎らしいほど心底羨ましく思った。

そしてそれを喜んではいても、特別なことだと自覚していない信二に腹が立った。

つぐみと血が繋がっているということだけで、あり得ない奇跡なのに、それを当然のことのように思っている信二。

と同時に信二を可哀想なヤツだと気づいた。

信二は血が繋がっているから、けっしてつぐみを女として愛することは出来ない。

可愛い妹として愛でることは出来ても、その生身の肌に触れることは神への冒涜になる。

なにより信二は、そんな背徳な愛とは、遠く無縁なところで生きている。

おれが信二の立場だったら、きっと絶望の淵に立たされた獣のような想いを抱えて生きていくことになるだろう。

檸檬をみつめたまま黙り込んでしまった俺に、信二は不思議そうな顔をした。

「口に合わなかったか?」

「いや・・・すごく美味いよ。つぐみちゃんに礼を言っておいてくれ。」

「おう。」

その甘酸っぱい檸檬はつぐみそのものだった。

俺はその日から、何気なくいつも頼んでいたコーヒーをやめ、レモンティーを注文するようになった。