「いつもありがとう。
ごめんなさいね、こんなに頻繁に来てしまって」


 美しい微笑みを湛え、そんなことを口にするのは、この町の領主の娘であるイゾルデさまだ。
 初診の日から二ヶ月。週に一度はこの診療所に来て、治療を受けていらっしゃる。お薬はたっぷり二週間分は出しているので、対症療法と話を聞くのがメインだ。


「いえいえ。こちらこそ、力が及ばず申し訳ございません」


 魔法で血の巡りを良くしつつ、わたしはゆっくりと頭を下げる。
 もしもわたしがもっと優秀だったら、イゾルデさまはこんなに頻繁に治療を受ける必要はない。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


(だけど、診る限り、イゾルデさまの身体の状態はそこまで悪くないのよね……)


 魔力量や適正にもよるけど、魔術師は人間の身体に流れる『気』を見ることが出来る。そこから、病の原因を探ったり、治療を行っている、というわけだ。

 だけど、私から見て、イゾルデさまの身体は健康な人間と大して変わらない。

 恐らくは気持ち――――心の問題なんだと思う。とはいえ、『心』が人間の身体に及ぼす影響はかなり大きい。睡眠不足も食欲不振も血行不良だって、放っておいたら別の病気の原因になる。
 だから、こうして治療を受けていただくこと自体は全く問題ないのだ。


(だけど……不甲斐ないなぁ)


 イゾルデさまはいつも『ありがとう』って笑ってくださる。だけど、もしも所長や先輩方が治療をしていたら、こんな風に何度も足を運ばせずに済むのかもしれない。そう思うと、自分で自分が情けなかった。


「あの、宜しければ他の魔術師をご紹介しましょうか? わたしの他にも女性の魔術師は居ますし、彼女達の方が経験も豊富なので……」


 普段ならば『失敗を恐れず、とにかく経験を重ねろ!』と怒られる所だけど、相手は領主の娘様だ。腕の良い魔術師が担当して然るべきなので、提案したところで誰からも文句は出ない。寧ろ遅すぎたぐらいだ。


「まぁ……! そんなことを仰らないで? わたくしはあなたに治療をお願いしたいのよ」


 そう言ってイゾルデさまは穏やかに目を細める。ついつい護ってあげたくなるような、愛らしく品のある笑みに、胸が震える。


(孤児院出身のわたしには、こんな表情は出来ないなぁ)


 意味もなく覚えた劣等感に、わたしは思わず頭を振った。


「ですが、わたしは現状何の力にもなれていませんもの」

「そんなことないわ。わたくし、本当に感謝しているのよ? アルマさんに魔法を掛けてもらうと、身体がとっても楽になるもの」


 そう言ってイゾルデさまは、わたしの手をギュッと握る。甘い香りがふわりと漂い、反射的に息を呑み込んだ。


「だけど、イゾルデさまの不調の原因を、わたしは見つけられていません。原因を取り除かなければ、不調は繰り返しやってきますから。
……あの、個人的な事に立ち入るようで恐縮なのですが……何か心当たりはありませんか? もちろん、言いたくなかったら答えなくても構いません。ただ、少しでもイゾルデさまのお役に立ちたくて」


 この二か月間、ずっと温めていた言葉を思い切って口にする。
 イゾルデさまはほんのりと目を丸くすると、ややして口の端を綻ばせた。


「そう……そうね。だったら少しだけ、わたくしの話を聞いてくださる?」


 そう言ってイゾルデさまは声を潜める。彼女は困ったように微笑みながら、小さく首を傾げた。


「これまで誰にも話したことが無かったの。あなたにだけ、お話しするわ。
……わたくしの体調不良はきっと――――恋の病に侵されているからだと思うの」


 イゾルデさまの言葉に、わたしは思わず息を呑む。もしかしたら、って思っていなかった訳ではない。女性にとって恋愛が与える影響は物凄く大きいもの。だけど、いざ面と向かって言われると、いささかビックリしてしまう。


「そうでしたか……。だけど、イゾルデさまのお相手ですもの。さぞや素敵な方なんでしょうね」

「もちろん! 強くて優しくて、とっても素敵な方なの。
それに、わたくしだけに見せてくれる笑顔がすごく愛らしくて……一緒に居ると幸せな気分になれる男性なのよ」


 イゾルデさまはそう言って、キラキラと瞳を輝かせる。その表情があまりにも魅力的で『恋をしている』っていうのは、こういう状態のことを言うんだなぁ、なんて思ってしまった。


「――――お聞きする限り、お相手の男性はイゾルデさまを慕っていらっしゃるご様子。それなのに、どうして恋煩いを?」


 イゾルデさまはわたし達平民とは違う。お相手は当然、彼女に見合った高貴な方だろうし、気軽に恋ができる環境にはない。将来が約束されていて然るべきだ。それなのに、彼女がどうして悩んでいるのか、全く見当が付かなかった。


「それがね…………彼は既に結婚をしていて、奥さんがいるの」


 か細い呟き。その声が心なしか震えているように聞こえて、切なさに胸が痞えた。


「――――お相手は幼馴染だそうよ。まだ若いのに、焦って結婚を決めてしまったんですって。彼からその話を聞いた時、わたくし思わず泣いてしまったわ。もしも出会う順番が違っていたら――――ううん、せめて彼が結婚を決める前に出会えていたら良かったのに、って」


 イゾルデさまの感情が、わたしの心に流れ込んでくる。重くて冷たくて、とても苦しい。上手く息が吸えなくなって、わたしは眉間に皺を寄せた。


「彼は……彼もわたくしのことを愛してくれている。だけど、優しいから奥様と別れることが出来ないの。
初めはそれでも構わないって思っていたわ。彼が一番に想うのがわたくしならそれで良いって、ずっと自分に言い聞かせていたの。だけど……」

(どうして?)


 胸が軋み、強く痛む。身体中がザワザワと騒めき、掻きむしりたいような衝動に駆られる。今すぐこの場から逃げ出したい――――怖くて不安で堪らなかった。
 だけど、そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、イゾルデさまはわたしの両手をギュッと力強く握る。


「だけどね、もしもわたくしが彼の妻だったら……そう思うと悲しくなるのです。
わたくしなら、彼の夢を叶えてあげられる。彼の能力に見合った職場や役職を用意してあげられるし、身分だってそう――――爵位が得られるよう働きかけることも出来るのに、って」


 ドクン――――
 そんな嫌な音を立てて、心臓が鳴り響く。


「わたくしは彼を――――ヴェルナーさまを幸せにしてあげたいの」


 宝石みたいな美しい瞳を潤ませ、イゾルデさまはわたしのことをじっと見つめている。目の前が真っ暗になった。