あれから、三か月が経った。


(……早く帰ってこないかな)


 わたしは今、家の中で一人、鼓動を高鳴らせている。
 日中ソワソワして、仕事が手につかなかったため、所長に相談をして早引きをさせてもらった。おかげでご飯の準備はばっちりだし、何なら食卓にお花を飾ってみたり、クロスを新調してみたり、普段とは違ったことにまで手を出している。


(変なの)


 心の中が温かく、ポカポカと満たされているのに、何故だかとっても気が急いてしまう。待ち遠しくて、少しだけ怖くて、とってもとっても幸せな気持ちだ。


「ただいま、アルマ!」

「!」


 その時、玄関の扉が勢いよく開く。わたしは急ぎ、ヴェルナーの元へと駆け寄った。


「おかえりなさい、ヴェルナー!」


 汗臭い身体を思いきり抱き締めれば、ヴェルナーはほんのりと目を丸くし、優しく微笑む。


「ただいま」


 顔中にたっぷりキスをされて、息苦しい程に抱き締め合う。心の中が甘ったるく、幸せな気持ちで満たされていた。


「今日は随分帰りが早かったんだね」

「うん。……ちょっとね」


 答えながら、小さく含み笑いをする。


「ちょっと?」


 彼は小首を傾げつつ、困ったように微笑んだ。


「ねえ、それより、ちゃんとお見送り出来た?」

「え? ……ああ、うん。きちんと警護してきたよ」


 ヴェルナーはそう言って、真剣な表情で顔を寄せる。仕事以上の関わりは無いって、そう伝えたいらしい。小さく笑いながら、わたしは彼の頬に口付けた。


「分かってるわ。
だけど、良かった。イゾルデさまを敵に回して、この土地でこれからも生きて行けるのかなぁって不安に思っていたんだけど」


 幸いなことに、わたし達は職や家を失うことなく、こうして平和に暮らしている。
 あの後、事態を知った領主さま本人から、物凄く丁重にお詫びをされた。イゾルデさまの企みを、父親として把握していなかったらしい。

 そんなこんなでイゾルデさまは今日、つい先日婚約を結んだばかりの人の元へと旅立っていった。

 元々彼女には、星の数ほど縁談が舞い込んでいたらしい。それら全てをイゾルデさまの意向で断り続けていたのだけど、ヴェルナーの気持ちが絶対に手に入らないんだって悟った彼女は、身を固める決心をした。
 お相手は彼女にべた惚れの資産家――――遠く離れた土地に住んでいるため、この地に戻ることは二度とないかもしれないんだそうだ。


「――――俺はアルマと一緒なら、どんな場所でも構わないよ。もっと小さな家でも、大きな家でも、違う土地でだって、幸せに過ごせる。
っていうか、絶対幸せにする」


 そう言ってヴェルナーは首を傾げる。コツンとおでこが重ねられ、背中をそっと抱き寄せられる。
 彼は未だに、わたしを傷つけたイゾルデさまを許していない。だけど、彼女と関わり合うことより、少しでもわたしと一緒に居ることを選んでくれた。わたしはそのことが、とても嬉しい。


「そんなの、わたしも一緒だよ」


 クスクス笑いながら、わたし達は触れるだけのキスをする。


「だけど、そうだなぁ。そろそろ引っ越しはしなきゃかも。春頃には、この家じゃ手狭になっちゃうから……さ」

「…………へ?」


 服の裾をそっと引っ張り、上目遣いに見上げれば、ヴェルナーは呆然とわたしを見つめる。ややして彼は、わたしと、それからわたしのお腹の間に何度も視線を往復させ、瞳をウルウルと潤ませた。


「えっ? えぇ!? それ――――本当に?」

「うん。今、三か月だって。
ヴェルナー……もうすぐわたし達、お父さんとお母さんになるんだよ?」


 そうなのだ。
 ここ数日、何となく体調が思わしくなかったのだけど、その理由が今日、ハッキリと分かった。優秀な魔術師であっても、お腹の中で赤ちゃんがある程度の大きさにならないと、見ることが出来ない。所長や先輩たちに診てもらったので、間違いないだろう。

 ヴェルナーの手を導き、お腹へと宛がう。小さいけれど確かに存在する赤ちゃんの鼓動。


「あっ……!」


 ヴェルナーにもちゃんと聞こえたらしい。彼は瞳をキラキラ輝かせ、わたしをギュッと抱き締めた。


「アルマ!」


 何度も何度も、わたしの名前を嬉しそうに呼び、ヴェルナーが涙を流して喜ぶ。


(幸せだなぁ)


 あの時、もしもイゾルデさまに言われるがまま、馬車に乗っていたとしたら――――今のこの幸せは無かったかもしれない。ヴェルナーを想いながら、一生泣き暮らしていたんじゃないかな、なんて思う。



『それはないよ』


 いつだったか――――ヴェルナーに胸の内を打ち明けると、彼は何てことない風にそう答えた。


『だって俺、アルマが見つかるまで諦めないもん。アルマが嫌だって言っても、どこまでも追いかけて、絶対に見つけ出して、一緒に家に連れて帰ったよ』


 驚きに目を見開いたわたしに、彼はサラリとこう続ける。それを聞いた時、何だかとっても可笑しくて、涙を流して笑ってしまった。



『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』


 あの時のイゾルデさまの言葉は、今でも心にしっかりと残っている。それはある意味、真理だと思う。
 だけど、それだけが愛の全てじゃない。


 だって、わたしはもう、『夫のことを、愛していないのかもしれない』なんて、とてもじゃないけど言えないから。



「愛してるよ、アルマ」


 耳元で囁かれ、身体がビックリするほど熱くなる。ドキドキと胸が高鳴り、甘ったるい幸福感で心が満たされる。
 明るくて優しくて、誰よりも素敵なわたしの旦那様。


 わたしは夫のことを、
 ――――心の底から愛している。