わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

(来た来た)


 お目当ての相手の登場に、イゾルデはウットリと目を細める。


「お待ちしてましたわ」


 そう声を掛ければ、アルマはビクリと身体を震わせた。


(本当に、何から何まで忌々しい女ね)


 オドオドと自信なさげな態度も。自分の意思を持たず、人に流されてばかりの生き方も。ヴェルナーの愛情を一人享受していることも。彼女の全てが気に食わなかった。


(わたくしが彼女なら、何があってもヴェルナーさまを放しませんのに)


 そう思うと、高笑いをしたいような気分に駆られる。


『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』
『もしもあなたが、ヴェルナーさまを愛しているなら――――』


 全部綺麗ごとだ。
 本当に愛しているなら、何を置いても相手の側に居続けるべきだとイゾルデは思う。そのためには、誰かを騙したり、奪ったり、不幸にすることだって厭わない。その覚悟を持ち合わせた自分と、いつも受け身のアルマでは、最初から勝負になる筈がなかった。


「さあ、早くこちらの馬車にお乗りになって? 必要なものは全部積んでありますわ」


 イゾルデはアルマを馬車へと促す。
 行先がどこなのかは告げていない。書置きでもされて、ヴェルナーに居場所を知られるわけにはいかないからだ。
 馬車だって最高級のものを準備した。どうやってアルマが移動しているのか、悟られないためだ。妻の失踪にイゾルデが関わっているとは、さすがのヴェルナーも思わないだろう。彼の手の届かない遠くまで追いやってしまえば、見つけることは困難だ。二人が再び出会うことは無い。


「…………」

「どうなさったの? 早く馬車にお乗りなさい? 日が暮れる前に次の街に着かなければ、宿に泊まれなくなってしまいますわ」


 旅程はたっぷり一ヶ月。町から町へと移動をし、その都度宿を取らせる。
 人の往来が少ないこの時間に出発すれば、朝、ヴェルナーが事態に気づいたころにはかなり遠くまで行けるという寸法だ。


「さあ、早く――――」

「あの……もう一度、チャンスを戴けませんか?」

「は?」


 思わぬ返答に、イゾルデが顔を引き攣らせる。アルマは唇を引き結ぶと、意思の強い瞳でこちらを見上げた。


「ヴェルナーともう一度話をしたいんです。できれば、イゾルデさまも一緒に」

「な……にを馬鹿なことを言っているの?」


 馬車に乗せれば自分の勝ち――――そう確信していたイゾルデは、普段の淑やかな口調を忘れ、ついつい嘲るような口ぶりになってしまう。


「ヴェルナーに言われたんです。『ずっと一緒に居たい。おじいちゃんとおばあちゃんになるまでずっと』って。だから――――」

「そんなの、ただのリップサービスですわ。ヴェルナーさまはお優しいから、罪滅ぼしのためにそう口にしているだけ。惑わされてはいけません」


 アルマの肩をぐいっと掴み、イゾルデは笑顔を浮かべる。内心焦っていたが、ここでしくじれば取り返しがつかない。彼女のようなタイプには余裕のある態度と笑顔がよく効く。現にアルマは動揺を隠せず、瞳を忙しなく彷徨わせていた。


「だけど……!」

「それとも、やっぱりあなたはご自分の方が大切なのかしら?」


 心が凍り付きそうな冷笑を湛え、イゾルデはアルマを見下ろす。効果はてきめん。唇を震わせたまま、アルマは口を噤んだ。


「魔術師の癖に、病を得たわたくしを蔑ろにするの? 『力になれず申し訳ない』っていうあの言葉は嘘だったのかしら? あなたが居なくなれば、わたくしは幸せになれるのに」

「そ……れは…………」


 ――――効いている。イゾルデは口の端を吊り上げ、小さく首を傾げた。


「いいえ、わたくしなんて些末なことね。
ヴェルナーさま……あなたはヴェルナーさまの願いではなく、ご自分の想いを優先するの?」


 アルマはその瞬間、つぶらな瞳に涙を浮かべた。唇を震わせ、苦し気に顔を歪ませる。


「ヴェルナーさまの幸せを願えないあなたが、彼の側に居るなんてあり得ませんわ。
あなたはヴェルナーさまのことを、愛してなんていないのよ! 愛していないならわたくしに――――」

「アルマ!」


 背後から聞こえた声音に、二人は一斉に振り返る。闇夜を切り裂くかの如く、一人の男性が、全力でこちらへ駆けてくるのが見える。


(ヴェルナーさま……!)


 イゾルデは愕然と目を見開いた。