「ミーナ様、腕を少しだけ上げていただけますか?」

「へっ……は、はい」


 言われた通りに腕を動かし、密かに深呼吸をする。ピリリとした緊張感。幾人もの女性がわたしを取り囲み、あーでもない、こーでもないと言いながら、様々な色の布を宛がっていく。
 わたしのためにやって来た仕立屋達だ。


「ミーナ様のドレスは、急遽仕立てられたものばかりですからね」


 そう口にするのは、侍女のカミラだ。彼女はわたしが妃となったその日から、筆頭侍女として側に仕えてくれている。


(本当は『仕えてくれている』なんて言い方、すごく失礼なんだけど)


 カミラはわたしとは違い、貴族の御令嬢だ。本人曰く田舎の貧乏貴族とのことだが、本来ならわたしみたいな平民上がりの人間に仕えるような身分じゃない。

 一度目の人生で、カミラは金剛宮にはいなかった。妃のいない金剛宮で働くのは下働きの宮女や、騎士達だけだったからだ。
 他の宮殿で働く人間とは接点も無かったので、彼女がどこの誰の侍女をしていたか、わたしは知らない。

 だから、彼女はわたしにとって、気を許せる数少ない存在だった。


(金剛宮に仕える人間が、一番怪しい)


 それが、わたしとアーネスト様の共通認識だった。

 何故なら、アーネスト様が亡くなった日――――あの日は即位から初めて、アーネスト様が金剛宮を訪れた。彼が『今日はここで食事を取る』と仰って、それで女官長達が急いで食事を準備した。


(――――どうしてあの時、わたしが食事を運ぶことになったんだっけ?)


 通常、貴人への食事は彼等に近しい者――――側仕えの侍女等が行うものらしい。事実、わたしの食事は、宮女ではなくカミラが運んでくれている。


(この宮殿に、アーネスト様付の侍女が付いてきていなかったからって事情はあるかもしれないけど)


 それでも、本来ならばもっと身元のしっかりした人間を選ぶはずだ。
 あの時、わたしに食事を運ぶように指示した人間が犯人か――――犯人に繋がる人間だという可能性はとても高い。



「ミーナ様はどれがお好きですか? こちらのデザイン等は、近頃の流行りでございますが……」

「え? えっと……」


 カミラの問いかけで、わたしは自分がドレスを選んでいる最中だったことを思い出す。

 だけど、ドレスのことなんて、ついこの間まで、ただの宮女だったわたしには当然分からない。お給金は安いし、好きな色だとか、デザインだとか、そういうことは考えたことが無かった。


「ダメよ、カミラ。この子にそういう聞き方しても、ダメ」


 その時、聞きなれない声がドアの側から聞こえてきて、思わず顔をそちらに向ける。そこにはピンクブロンドに豊満なボディが特徴の美女――――紅玉宮の主、ベラ様が佇んでいた。


「ベラ! ――――様」

「あら、そんな他人行儀な呼び方しなくても良いじゃない? たった二人きりの姉妹なのに」


 思わぬセリフに目を見開く。見ればカミラは眉間に皺を寄せ、ベラ様のことを軽く睨みつけていた。


(姉妹?)


 俄かには信じがたいが、どうやら本当のことらしい。とはいえ、二人の容姿はまったく似ていない。言われなければ気づかないレベルだ。


「良い? ミーナ様はついこの間まで宮女だったのよ? どんな服が良いかなんて、聞かれても困るに決まってるでしょう?」


 そう言ってベラ様は、仕立屋が抱えていたドレスを手に取り、わたしへと宛がう。


「目の色は――――紫か。そうねぇ……本来なら寒色系のドレスが似合うんだろうけど、何となくあなたのイメージに合わないわねぇ。髪の毛もブラウンだし」


 ベラ様はズラリと並べられたドレスの中から、レモン色の一着を手に取った。フリルがふんだんにあしらわれた、可愛らしいドレスだ。


「元が地味顔だものね。ドレスはこのぐらい派手なモノじゃないと」


 仕立屋にドレスを託し、少し離れた所からわたしを眺め、ベラ様は満足気に頷く。


「ちょっとベラ! 勝手なことをしないでくれる? ここは金剛宮――――ミーナ様の宮殿なのよ! 先触れもなく訪れるなんて、失礼じゃない!」


 いよいよ我慢が出来なくなったらしい。カミラはそう言ってわたし達の間に割り入る。ベラ様はクスクス笑いつつ、嫋やかに首を傾げた。


「先触れならちゃんと出したわよ? あなたが知らなかっただけ。それに、良いじゃない。カミラは頭は良いけど、美的センスは皆無なんだもの。折角良い仕立屋を呼んだところで、似合いもしないドレスを作るなら、時間とお金の無駄だもの。どうせなら良い物を選ばないと」


 ベラ様はそう言って目を細める。
 彼女が仕立屋に目配せをすると、奥から更にドレスが運ばれてきた。


「ほら! あなたも、ボサッとしていないで、自分の意見を持ちなさい。今はまだ『何も知らない』で許されるけど、時が経てばそうはいかなくなるもの。あたしがいる間に見る目を養いなさいよ」


 ドレスをぐいっと手渡され、わたしは思わず息を呑む。言われた通りにドレスを自分に宛がい、姿見をじっと眺めてみた。


(うーーん、さっきカミラが選んだものよりは似合っている……かな?)


 真っ白なレース地のドレスは涼やかで、華美じゃないけど可愛らしい。好きかも、って素直に思える一着だった。


「良い? 流行だからって安易に飛びついちゃダメよ。似合う、似合わないデザインっていうのは間違いなくあるし、あたし達は妃なの。寧ろ流行を作る側じゃなきゃ。そこんとこ、ちゃんと分かってる?」


 ベラ様はそう言って胸を張る。


(なんというか……ソフィア様とはまた違った『勢い』のある方だなぁ)


 正直言ってわたしは、さっきからずっと、彼女の勢いに押されている。あまりの圧に、言葉を挟む暇だってない。
 けれど、ドレスを選ぶベラ様は活き活きとしているし、なんだかとても楽しそうだ。


「例えば、あなたが今持っているドレスをあたしが着た所を想像してみて? 悲惨でしょう? 滑稽だし、自分で想像してて気持ち悪い。どんなに可愛くても、どんなに好きでも、似合わないものってあるのよ」


 ベラ様はそう言って悩まし気なため息を吐く。


「ドレスとか、宝飾品っていうのは『自分がどうありたいか、どういう人間か』を示す大事なツールなの。そして、あたし達妃もまた――――陛下を飾る大事な宝飾品なのよ」


 力強い言葉。その瞬間、ピンと背筋が伸びるような心地がした。


(そうか……だからベラ様は)


 彼女がどうしてこんな風に助言をしてくれるのか、ずっとずっと疑問だった。古今東西妃はいがみ合うもの――――そう聞いていたから。


(アーネスト様のためだったんだ)


 そう思うと、何だか心臓がドキドキしてくる。鏡に映る自分を常よりも真剣に見つめると、ベラ様は至極満足気に微笑んだ。


「良いこと? 教養も、美的センスも、ボーっとしていても身につかないの。あたしに限らず、使えるものは使いなさい? それがあたし達妃の特権であり、義務よ。そこにいるカミラは頭だけは良いんだし、暇な時は教師役をさせると良いわ。ソフィア様やエスメラルダ様には遠く及ばないかもしれないけど、戦う武器が何もないよりマシでしょう?」


 気づけばわたしは、コクリと大きく頷いていた。

 ベラ様は女性らしい見た目とは裏腹に、とてもカッコいい女性だった。誰にも侵されない『自分』というものをしっかりと持って生きている。
 そう気がつくと同時に、自分が如何に『空っぽ』のまま生きてきたのか、思い知らされた気がした。


「――――後宮ができる前は、あたしみたいに身分が低くて教養もない『見た目だけの女』っていうのはきっと、王子と婚約者の令嬢との仲を引き裂く『嫌な女』にしかならなかったのよね」


 ベラ様はそう言って自虐的に笑う。


「あなただってそう。後宮がなかったら、陛下の妃になるなんて、絶対に叶わなかった。ここがあるから、あたし達は陛下の側に居られるの」

「……そうですね。そう、思います」


 ベラ様が何を言いたいのか、何となく分かる。

 彼女はきっとわたしを励まそうと――――アーネスト様がエスメラルダ様の元に通って凹んでいるわたしを、鼓舞してくれたのだ。
 心に仄かに熱が灯る。胸が熱く打ち震えた。

「じゃあね、ミーナ様。今度はあたしの宮殿に遊びに来ると良いわ」


 そう言ってベラ様は、ドレスの裾を翻す。
 清々しい気持ちのわたしとは裏腹に、カミラは憎々し気な瞳で、ベラ様のことを見つめていた。