カーテンの隙間から穏やかな陽光が射し込み、ポットから温かな湯気が立ち上る。


「どうぞ、楽になさってね? こんな風にお茶に招かれるのなんて初めてでしょう?」


 目の前の女性がそんなことを口にする。優し気な言葉の中に隠された鋭い棘。わたしはグッと背筋を伸ばす。

 ここは蒼玉宮――――侯爵令嬢ソフィア様の宮殿だ。


「宮女出身ですもの……色々と心細くていらっしゃるでしょう?」


 ニンマリと意地悪い笑みを浮かべつつ、ソフィア様は首を傾げた。


(いえ、全然)


 そう答えたい気持ちを抑えつつ、言葉の代わりに笑みを返す。


「これはね? アーネスト様のために特別に取り寄せた茶葉なの。けれど、陛下はしばらくこちらにはいらっしゃれないと仰るし……ミーナ様から感想を伝えていただけると嬉しいのだけど」

「はい、必ず」


 そう言ってわたしは頷いた。
 ソフィア様は表面上は穏やかに目を細めつつ、立場の弱い宮女上がりの妃を気遣う聡明な女性を演じている。けれど、言葉の端々から、彼女の気位の高さや、わたしに対する嫌悪感、嫉妬心が見え隠れした。
 宮女時代、ソフィア様についての良い噂はあまり聞いたことがない。

 知識と教養、身分を重んじるソフィア様にとって、下級宮女は目障りなだけの存在だった。仕事の出来栄えに難癖を付けては泣かせている、という話は有名で、正直言ってわたしだって関わりあいたくない。


(だけど……)


 わたしにはアーネスト様を殺した犯人を見つける、という使命がある。

『妃になれば、他の妃達の動向を探りやすい』

 アーネスト様は、わたしを妃にする理由について、そう口にしていた。それはつまり、彼女達の中に怪しい人物がいるということ。

 だったら、降ってわいた機会を逃すわけにはいかない。どんな些細な情報でも構わない。アーネスト様を殺した犯人の糸口を見つける。それこそが、わたしが契約妃として、ここに居られる理由なのだから。


「本当に、どういう経緯で見初められましたの? 即位から一週間、毎晩のように陛下が金剛宮を訪れているそうじゃありませんか」


 ソフィア様は真っ青な瞳を細めてそう尋ねる。冷たい色。真冬のキンキンに冷えた水みたいな、そんな印象を受けた。


「お話したいのは山々ですが……陛下から固く口止めされているものですから」


 ニコリと微笑み返しつつ、わたしは大きく息を吸う。

『意識していないと、すぐに相手に呑まれてしまうよ』――――それがアーネスト様の教えだった。
 実際問題『前世で暗殺者に仕立てられたのがキッカケです』なんて他人に言うわけにはいかないし。アーネスト様が毎晩金剛宮に寝に来ているのは事実だけど、皆が期待するような事は何もない。肯定も否定もしないまま、煙に巻くのが一番良いのだ。


「陛下ったら、わたくしの宮殿には、まだ一度も足を運んでくださっていませんのよ? ずっとお待ち申し上げていますのに。侯爵令嬢であるわたくしを差し置いて、宮女風情を寵愛するだなんて、あんまりだとお思いになりません?」


 焦れったくなったのだろうか。ソフィア様は少しずつその本性を露にする。


(言葉がオブラートに包めていませんよ?)


 そう言ってあげたいけど、それじゃ火に油を注ぐようなもの。それに、こんなあからさまで安い挑発――――傷つくこともなければ、乗ってやろうとも思いはしない。だって、わたしにとっては宮女に取り立てて貰えたこと自体が奇跡みたいなものだもの。


「本当に、身に余る幸福ですわ」


 心からの想いを口にすれば、ソフィア様はそっと眉間に皺を寄せる。どうやら、わたしの返事が大層不服らしい。頬を軽く染め、扇で唇を隠してそっぽを向く。彼女の侍女たちが、困惑した表情で顔を見合わせていた。


(あぁ……そっか。このままだと、彼女達に後からしわ寄せが行くのかも)


 ソフィア様は、他人の上に立っていないと気が済まないタイプだ。格下のわたしを呼びつけて優越感に浸るつもりが、現状ちっともその目的を達成できていない。代わりに侍女達をいびる様子は想像に難くなかった。


(何とかした方が良いんだろうなぁ)


 小さくため息を吐きつつ思案する。部屋を見回しながら、なんとなしに口を開いた。


「それにしても、こちらの蒼玉宮は大層立派ですのね」


 すると、ソフィア様はこの話題がお気に召したらしい。パッと瞳を輝かせ、ズイと身を乗り出した。


「えぇ、えぇ! それはもう! この蒼玉宮は歴史ある、素晴らしい宮殿なんですのよ! この宮殿を賜ることがどういうことか、あなたはご存じ? 先々代の皇后様も、この宮殿のお妃様だったのですから」


 そう言ってソフィア様は、侍女の一人に目配せする。侍女は心得顔でその場から下がると、ややして一つの箱を手に、わたし達の元に戻って来た。


「あなたは見たことが無いでしょうけど」


 そう前置きをして、ソフィア様は箱を開く。中には四つの大きな宝石が仕舞われていた。


「これが蒼玉――――サファイアよ。とても美しいでしょう?」


 ソフィア様は頬の辺りにサファイアを掲げ、ウットリと目を細める。黒いストレートヘアと、白い肌、青の瞳にサファイアの蒼が映える。

 蒼玉宮――――サファイアを基調とした美しい宮殿。
 他の三つの宮殿も全て、宝石をシンボルとしている。

 翠玉宮はエメラルドを。
 紅玉宮はルビー。
 そして金剛宮は――――。


「これが金剛石――――あなたの宮殿のシンボルよ」


 そう言ってソフィア様は、その辺の道端に落ちていそうな大きな石ころを手に取った。


「どう? 醜い石でしょう」


 醜悪な笑み。彼女の後に控えた侍女たちをチラリと見つつ、わたしは少しだけ眉をへの字に曲げた。


(本当は別に醜いなんて思っちゃいないけど……)


 どうしてこの石が宮殿のシンボルに数えられたのか、その理由については何となく気になる。だって、他の三つの石に比べると、明らかに美しさの点で見劣りしているもの。そんな風に思っていたら、ソフィア様がすぐに答えをくれた。


「この石はね、他のどの石よりも硬いの。硬くて、加工が出来ない、ただそれだけの石。だけど、傷がつかないっていうのは為政者にとって縁起が良いのでしょうね。だから、宮殿の名前に据えられた。それでも、これまで金剛宮に妃が入ることは無かったのよ? 位の低い妃たちですら皆、他の宮殿に間借りさせてきたのですって。きっと歴代の皇帝は、こんな醜い石を象徴とした宮殿に、妃を置くことを良しとしなかったのね」


 そう言ってソフィア様は満面の笑みを浮かべる。


「びっくりするぐらいミーナ様にお似合いよ? 羨ましいぐらいだわ」

「それは―――――――どうも、ありがとうございます」


 嫌味もここまで来るといっそ清々しい。引き攣った顔でそんな返事をするのが精一杯だった。