カミラがアーネスト様に刃を向けた。それは紛れもない事実だ。

 けれど、彼女がどうしてそんなことをしたのか、わたしには理解ができない。

 これまでカミラは、献身的にわたしへと仕えてくれたし、彼女の姉は妃であるベラ様だ。
ご実家はさして裕福ではない男爵家だというし、政治的な理由も見当たらなければ、個人的な恨みも抱きようがない。姉だけが妃になったことを恨むなら、アーネスト様ではなくベラ様へと矛先が向かうはずだもの。

 第一、皇帝に手を出したらどうなるか――――聡明なカミラが知らない筈ない。彼女だけでなく姉であるベラ様も、ご両親だって無事では済まないのに――――。


「どうして?」


 カミラを見つめながら、静かにそう問い掛けた。ロキの件に関する不安や混乱を凌駕するほど、ショックが大きい。先程までの狼狽っぷりが嘘のように、さめざめとした気分だった。

 しばらくの間、カミラは無言を貫いた。現行犯だし、言い逃れの出来ない状況だもの。理由を話そうが話すまいが極刑は免れない。

 それでも、わたしは彼女の口から直接理由が聞きたいと思っていた。


「ギデオンは既に牢の中だよ」


 アーネスト様が長い沈黙を破る。その瞬間、カミラは小さく目を見開き、微かに眉根を寄せた。けれど、それっきり。カミラは静かに目を瞑り、無表情を貫く。


「アーネスト様……ギデオン様が牢の中、って…………」


 正直、まだ混乱している。色んな情報がこんがらがっていて、まともに理解できるかは分からない。
 それでも、今を逃せば、カミラ本人から話を聞くことは永久にできなくなってしまう。


「――――かつてセザーリン地方の辺りは小さな王国だった。それが200年前、海外からの侵略を逃れるために帝国に救済を求め、統合された――――これがミーナの学んだ歴史だね」


 アーネスト様が静かに言う。わたしはコクリと頷いた。


「はい。カミラからそう習った記憶があります」


 あれは確か、アーネスト様と手紙のやり取りを約束した日だった。何故統合という形を取ったのか、カミラに尋ねたことを覚えている。


「あの時、カミラは『歴史は見るものの立場や価値観によって形を変える』って言っていたけど」


 どうにも理解が出来ないまま、わたしはここまで来てしまった。
 アーネスト様は軽く目を伏せると、カミラの側に歩み寄る。けれど、カミラは視線を上げぬまま、静かに深呼吸を繰り返していた。


「ギデオンはセザーリンの――――滅ぼされた王族の末裔なんだ」


 アーネスト様の言葉に、わたしは思わず目を見張った。


「弱小国が大国に救済を求める――それは歴史において、よく行われる表現だ。
けれどその実態は大国による侵略であることが大半。攻め入る側は『救ってやった』と、己を正当化し、攻め入られた方は『侵略をされた』と相手への恨みを募らせる。
しかし、長い年月をかけて大国に吸収されていく間に、人々の記憶は薄れていく。実際に侵略された際に生きていた者だけが、強い憎しみに駆られ、新たに生を授かった者、余所から移って来た者達は、それらを他人事として捉える。そうして、大抵の場合、その地が元々別の国であったことは忘れ去られ、一体化していくものだ。
けれど、セザーリン地方は――――ギデオンの先祖は違っていた」


 神妙な面持ちで、アーネスト様が口にする。これまで無表情だったカミラが、度々表情を強張らせる様子を、わたしは黙って見つめていた。


「セザーリンの王族は、皆俺の先祖に殺された。将来の反乱因子とならないように、徹底的に。
けれど、当時、正式に妃として認められていなかった宮女の子が一人だけ、難を逃れた。それがギデオンの先祖だ。
滅ぼされた王族の子は、亡国の民達に秘匿され、子孫を増やしながら少しずつ力を付けていった。その内、正体を隠したまま貴族に取り入り、爵位を得る者も現れた。そうしてずっと、帝国への復讐の機会を窺がっていたんだ」


 アーネスト様は話しながら、縋る様にわたしの手を握る。
 アーネスト様はきっと、帝国が――――彼の先祖が『正しいことだけ』をしてきたとは思っていない。
 併合のおかげで、生活が豊かになった人、助かった人はいるだろう。第一、『今』があるのは、それに繋がる『過去』があるからだ。完全に否定することはできない。

 だけど、その分だけ苦しんだ人がいることもまた、一つの事実だ。アーネスト様はその苦しみに一人で寄り添おうとしているのだと思う。


(わたしが居ます)


 彼の心の拠り所になりたい。そんな風に願いながら、わたしはアーネスト様の手を握り返す。
 アーネスト様は少しだけ微笑んで、それからゆっくりとカミラへ向き直った。


「ギデオンは王国の復興と帝国の乗っ取り――――その両方を計画していた。俺の父と兄が亡くなったのも、彼の計略によるものだ。
そうして俺は、皇帝として即位することになった。
しかし、俺に子が生まれれば、皇族を根絶やしにするという彼の陰謀も頓挫してしまう。
そうして目を付けられたのが、ベラとカミラの姉妹だった。二人はギデオンと同じく、セザーリン王家の血を引く人間だ。ギデオンのように、先祖の怨念と復讐の使命こそ背負っていないものの、二人にも脈々と亡国から見た歴史が受け継がれている。
だからこそ、姉のベラは妃に、妹のカミラはミーナの侍女になった。ベラが何と言われて入内したかは分からないが――――カミラはミーナの妊娠の兆候をいち早く掴むという役割を担っていた。即位の前日、急遽捩じ込んだ妃だから、ギデオンはミーナのことを一番警戒していたんだ」


 次々と詳らかにされる真実。カミラがゆっくりと顔を上げた。


「……どうして気づいたのですか?」


 ようやく観念したらしい。カミラが表情を歪める。


「本来なら気づかなかっただろう――――君たちは殺気を隠すのが余りにも上手いから」


 アーネスト様は自嘲気味にそう口にする。


「初めにおかしいと思ったのは、ミーナがソフィアから毒を盛られた時だ。
君ならソフィアがミーナに恨みを抱いていること、良からぬことをしでかそうとしていることを、十分に予想が出来た筈だ。それなのに、ソフィアから貰ったという『詫びの品』について、君はミーナに言及しなかった。……予め、毒の混入を確認していた可能性も高い。
ミーナが身籠っていた場合、毒が胎児に影響を及ぼす可能性が高いし、強い毒なら母体ごと命を奪える。何より、もしも俺が毒を飲んでいたら――――俺もミーナも、邪魔者を一度に排除することが出来得た。
だから俺はカミラが怪しいと判断して、見張らせてもらうことにした。一度当たりを付けてしまえば、調べるのはずっと容易くなる」

「……だから、私とギデオン様が密会する時間を敢えてお作りになったのですか?」

「そうだよ。だけど八日前のあの時は、ロキが君達を探っていることを匂わせて、引き返すための時間を与えたつもりだったんだ。無意味に終わったけどね」

(ロキ……)


 その途端、ショックで薄れていた不安や恐怖が、一気に息を吹き返す。
 けれど、わたしはふと、あることに気づいた。


「アーネスト様」

「なんだい、ミーナ」

「これだけのこと、たったの数日でお調べになったのですか?」


 ロキは、これらの事柄を調べるために、セザーリン地方へ遣わされたのでは無かったのだろうか? 彼の他に調査員がいたとしても、どうにも計算が合わない。


「まさか。ソフィアの件があってから、ずっと極秘裏に調べさせていたんだ」


 アーネスト様のセリフに、カミラが大きく目を見開く。やっぱり、と思いつつ、わたしは身を乗り出した。


「だっ……だけどアーネスト様! ロキは! ロキはこのことを調べるためにセザーリン地方へ向かったのでは? そのせいでカミラ達に襲われたんじゃ」


 わたしが問えば、カミラは笑う。肯定の意らしい。一矢報いたと思っているのだろうか? 悲しさや虚しさがわたしを襲う。


「俺はここに居ますよ、ミーナ様」


 その時、わたしは自分の耳を疑った。


「……え?」


 声の主は、カミラを捕らえた金髪の騎士だった。空色の瞳がキラキラと輝き、穏やかな笑みがわたしを見つめている。親しみのこめられた、優しい瞳。一歩、また一歩、騎士へと近づく。至近距離まで近づいてから、わたしはゆっくりと彼を見上げた。

 黒と銀が混ざったみたいな特徴的な髪色とは違うし、髪型だってずっとずっと短い。目の色だって全然違う。だけど――――――。


「ロキ!」


 そこに居たのは紛れもなくロキだった。涙がポロポロと零れ落ちる。カミラは驚愕に目を見張った。当然だ。わたしだって、今の今まで気づかなかったんだから。


「そっ……そんな! それじゃあ今日の……これまでのことは全部、全部謀られて――――⁉」

「言っただろう? 引き返す機会を与えたんだ、と」


 アーネスト様はそう言って、大きな大きなため息を吐く。


「あぁ……」


 カミラが唸り声とも喘ぎ声ともつかない声を上げて涙を流す。


「うっ…………あぁ、あぁあああ!」


 やがてそれは絶叫へと代わり、金剛宮へと響き渡る。胸が痞えるような心地に、わたしは大きな息を吐いた。