十日ほど経つと、わたしの体調はすっかり元通りになっていた。寝たきり生活から解放され、痛みや不快感も殆ど残っていない。

 取り調べのために内廷へ連行されていたカミラも無事解放され、侍女に復帰した。
 金剛宮に戻って以降、彼女はこれまで以上に意欲的に働いてくれている。


「ミーナ様のおかげです。陛下に私の無実を訴えて下さったと、そうお聞きしました。本当に、ありがとうございます」


 そう言ってカミラは瞳を潤ませた。余程怖い思いをしたのだろう。身体が小刻みに震えている。


「わたしは当たり前のことを言っただけよ。だって、カミラがそんなことする筈ないもの」

「ミーナ様……! 私、これからより一層、心を込めてお仕えしますわ」


 カミラが深々と頭を下げる。こんな風に感謝してほしかった訳じゃないけれど、好意を返されるとやっぱり嬉しい。
「これからもよろしくね」と伝えて、わたしは笑った。


 体調が良くなったとはいえ、二週間近く臥せっていた影響は大きい。体力が随分落ちている。リハビリも兼ねて、宮殿の外に散歩に出ることになった。

 あんなことがあった後だ。お供がカミラ一人では危ないからと、侍女たちを複数連れての移動になる。少々仰々しい気がするけれど、アーネスト様からの言いつけだから守らなければならない。


(風が冷たい)


 いつの間にか草木が紅く色づいている。木枯らし。秋の香りが薄れ、冬へと向かっているのを感じる。


「ふざけないで!」


 その時、どこからか耳をつんざくような声音が聞こえてきた。


「何かしら?」


 怪訝に思いつつ、侍女達と共に声がした方へと向かう。
 すると、そこには顔を真っ赤に染めたソフィア様がいた。数人の騎士達が、彼女の周りを取り囲んでいる。


「いい加減、大人しくなさってください」

「大人しく? するわけないじゃない! わたくしを一体誰だと思っているの⁉ あなた達如きが指図の出来る人間ではないのよ!」


 そう言ってソフィア様は挑発的な笑みを浮かべる。顔を顰める騎士達。ソフィア様の侍女達は全員、青ざめて震えていた。


「ソフィア嬢――――私は今ここに、陛下の名代で来ている」


 騎士達の間を縫うようにして現れたのは、アーネスト様の側近、ギデオン様だ。鋭い目つき。見ている者を威圧する迫力がある。ビリビリとした緊張感がこちらにまで伝わってきて、わたしは思わず背筋を伸ばした。


「不敬な! わたくしは妃よ! 家臣如きに名前で呼ばれるなんて、屈辱だわ。絶対に許さな――――」

「本日を以て、あなたは蒼玉宮の妃を解任された。あなたはもう、妃ではない。ただの女だ」

「なっ……何ですって⁉」


 ギデオン様は手にした書状をドンとソフィア様に突きつける。


「それから、あなたには金剛宮の妃及び陛下に対する傷害の嫌疑が掛かっている。我々と一緒に来ていただこう」

「なっ……なにを! わたくしが、そんな真似をする筈がないでしょう! この件についてはこれまでも散々、わたくしは無関係だとお話したはずよ。第一、毒に倒れたのはミーナとかいう身分卑しい女だけでしょう? 何故陛下への傷害まで……」

「もしも先に茶を飲んだのが陛下だったら、陛下が服毒していた。つまり、あなたが害した相手は金剛宮の妃だけではない」


 ギデオン様はそう言って、眉間にぐっと皺を寄せる。凄まじい気迫だった。この場に居る皆が呆気にとられている。容疑者として取り調べを受けていたカミラなどは、余程怖いのだろう。目を潤ませて立ち尽くしていた。


「しょっ……証拠は? わたくしがやったという証拠! そんなもの、ある筈がないわ! だってわたくし、金剛宮にお渡ししたお詫びの品に触れてすらいないんですもの。それなのにわたくしを犯人扱い? 笑えますわ」

「――――直接手を下していないというだけだろう? つくづく浅はかな女だな」


 ギデオン様はそう言って部下へと目配せをする。すると、彼等の背後から二人の人物が現れた。
 ボロボロになった宮女服を身に纏った年若い少女と、腹のでっぷりした商人らしき男だ。
 二人を目の前に、ソフィア様は一気に青ざめる。


「あ……あなた! 一体どこでこの娘を……!」

「夜盗に襲われている所を保護した」

「そっ……そんな! あり得ない……報告では、この娘は『確かに始末した』と、そう聞いたというのに――――――」


 その瞬間、宮女はガクガクと膝を突いて蹲り、ワッと大声を上げて泣きだした。


「聞けばこの娘、ある日突然、宮殿の主人に追い出されたと言うではないか。大金を握らされ、あることを固く口止めされて。あれはそう――――陛下が『金剛宮の妃が毒を盛られた件について、知っていることを包み隠さず話すように』と通達を出した日だった」


 ギデオンの鋭い眼差しから逃げるように、ソフィア様は顔を大きく背ける。顔面蒼白、眉間に皺を寄せている。


「『指示を受けただけの人間は決して罰しない』『寧ろ報酬を与える』と陛下が御示しになったが故、焦ったのだろう? 本当にひどいことをする。救いようのない悪女だな」


 ソフィア様が歯噛みする。けれど次の瞬間、彼女は目を丸くした。
 こちらの――――わたしの存在に気づいたのだ。


「あ……あぁ…………!」


 ソフィア様の瞳が真っ赤に染まる。地を這うようなしわがれ声。あまりの恐怖に身体が竦んで動けなくなる。


「ぜんぶ……全部あの女が悪いのよ!」


 そう言ってソフィア様はわたしを指さす。それから大きな呻き声と共に、こちらへ向かって何かを投げつけてきた。
 侍女たちが逃げまどい、大きな声を上げる。だけどわたしは、驚きのあまり声すら出ない。日光が降り注ぎ、投げつけられたものの輪郭がキラリと光る。


(ナイフだ)


 そう思ったその時には、切っ先がもう目の前に迫っていた――――。


(避けられない)


 ギュッと目を瞑ったその瞬間、ガキン、と大きな音を立てて、ナイフが地面に叩きつけられる。本当に、一瞬のことだった。

 恐る恐る顔を上げれば、剣を構えたロキが目の前にいる。


「間一髪でしたね、ミーナ様」

「あ……ロッ、ロキッ…………!」


 言いながら、ヘナヘナと地面に座り込む。そこから数センチ先に、ロキが防いでくれたナイフが落ちていた。恐怖と安堵で涙がポロポロと零れ落ちる。


「触らないで!」


 金切声。見ればソフィア様は今度こそ、騎士達に容赦なく拘束されていた。疑いの余地のない現行犯のためか、遠慮も配慮も一切ない。


「離しなさい! ――――放せと言っているの! わたくしは、なにも、悪くない! わたくしは何も間違っていないのにっ!」


 断末魔のようなソフィア様の叫び声が、広い皇城に響き渡る。

 彼女に会うのは恐らくこれが最後だろう。
 だけど、最後の最後までどうしても――――この人だけは、好きになることが出来なかった。