お茶を淹れるのは心を落ち着けるのに好都合だった。ポットから温かい湯気が立ち上り、匙に載せた茶葉がほのかに香る。
宮女時代は下働きだから、誰かにお茶を淹れることなんてなかった。本当だったら表向き『妃』である今も、自らお茶を淹れる必要はないらしい。
だけど、アーネスト様は侍女達をあまり部屋に入れたがらないし、わたしのお茶を美味しいと言って飲んでくれる。気づいたらお茶を淹れるのはわたしの役割になっていた。
（なんて、そろそろ現実に向き合わないと）
小さくため息を吐きつつ、視界の端にアーネスト様を捉える。
（今夜、ここに泊る気だろうか？）
そう考えると、胸がドキドキと鳴り響く。
アーネスト様が妃の元に通っていると見せかけることは、わたしの契約の一つだ。そのために、これまでもこの宮殿を度々訪れ、この部屋で一緒に眠ってきたというのに、ついつい後ろ向きなことを考えてしまう。
（……ん？）
けれどその時、ティーカップにお茶を注ぎながら、わたしは思わず首を傾げた。今夜のお茶は、いつもに比べてそこはかとなく色が濃い。
（おかしいなぁ……いつもと同じように淹れたのに）
茶葉が変わったのだろうか。それとも、ボーっとし過ぎたのだろうか。そのままお出しするのは不安だから、試しに一口飲んでみる。
「⁉」
その瞬間、あまりの苦さに、わたしは思わず咽込んだ。唾液が口いっぱいに広がり、得も言われぬ匂いが鼻をつく。
「ミーナ？」
アーネスト様が怪訝な顔をして立ち上がる。
「す、すみません。久々過ぎて失敗してしまったみたいです」
そう言って頭を下げつつ、わたしは胸を撫で下ろす。
（危なかった。もう少しでアーネスト様に不味いお茶を飲ませてしまう所だった）
こんなお茶、とてもじゃないけどアーネスト様にはお出しできない。
非礼を詫び、改めてカミラにお茶を準備してもらおうと思っていたら、アーネスト様は首を横に振った。
「お茶は良いから、こっちで話をしよう。ミーナと話したいことが色々とあるんだ」
「…………はい」
あまり気乗りしないものの、大人しくアーネスト様の隣に腰掛ける。真っ直ぐに注がれる視線。凄く気まずい。チラリとアーネスト様を見上げれば、彼はとても穏やかに笑っていた。
（……意識しすぎ、だよね）
少しだけ逡巡した後、わたしも笑う。そしたら、アーネスト様は目を細め、わたしの頭を優しく撫でた。
「ようやく仕事が落ち着いたんだ。本当はもっと早く、ミーナに会いに来たかった。これからはまた、金剛宮で眠れると思うから」
やっぱり今夜はここでお休みになるつもりらしい。心臓を高鳴らせつつ、必死に平静を装った。
「そうですか。お仕事が落ち着いて良かったです。エスメラルダ様の所にも通われていないってお聞きしていたので」
言えば、アーネスト様はキョトンと目を丸くし、首を傾げる。
「どうしてそこでエスメラルダが出てくるの？」
「どうしてって……だって、エスメラルダ様は本当のお妃様ですし。折を見て通わないといけないでしょう？」
寧ろ、どうしてそんな質問をされるのか、わたしには分からない。けれど、アーネスト様はわたしの返答がお気に召さなかったのか、ツンと唇を尖らせた。
「俺は今、ミーナの話しかしていないんだけど」
「わたしにとってはアーネスト様のお話でしたよ」
「――――俺はミーナの話がしたい」
そう言って、アーネスト様はわたしの頬に触れる。胸のあたりがムカムカする。何だか動悸までしてきた。
「わたしがお話できることなんて――――」
「ミーナは俺に会いたかった？」
「！ ま……また、そういうことをっ」
心臓がギュッと収縮する。頬に熱が集まった。
「俺はミーナに会いたかったよ」
アーネスト様がそう言ってわたしの手を握る。
「なんっ…………」
なんで、って聞きたくなって、わたしは口を噤んだ。
聞いてどうしようというのだろう。
音を立てて胸が軋む。苦しい。喉がひどく熱い。熱くて、ビリビリ痺れる。
何かがおかしい――――。
「うっ……！あっ！」
その瞬間、身体が跳ねて硬直し、胃の中身が勢いよく逆流した。
アーネスト様が驚きに目を見張る。彼の目の前で、わたしは口を押さえて蹲った。
（どうしよう……止まらない）
次いで身体中が氷みたいに冷たくなって、どこもかしこも思うように動かなくなった。
「ミーナ！」
アーネスト様がわたしの顔を覗き込む。視界がぼやけて、明滅する。眼球が飛び出しそうな感覚。わたしは思わず目を瞑った。
（怖い。気持ち悪い）
堪えきれず、また胃の中身を嘔吐する。苦しい。こんなところ、アーネスト様に見られたくなんてない。涙がポロポロと零れ落ちた。
「ミーナ！ しっかりして、ミーナ！」
アーネスト様がわたしの背を擦る。声がどこか遠くに聴こえた。
指先が冷たい。身体がちっとも動かない。
（アーネスト様……）
視界がぼやける。アーネスト様が泣いているように見えた。
（馬鹿だなぁ。こんな時にまで、自分の都合の良いように捉えてしまうなんて）
迷惑でしかないはずなのに。アーネスト様がわたしを心配してくれているように――――惜しんでくれているように見える。
（わたし、死んじゃうのかな？）
寒い。寒くて怖い。ガタガタ震えるわたしの身体を、アーネスト様が抱き締めてくれた。
耳元で彼が叫んでいる。だけど、何て言ってるのかちっとも聞こえない。
怖い。怖くて堪らない。
だけど、もしもこれが一度目の人生でアーネスト様を殺した人物の犯行なら――――きっと何処かに手がかりが残っている筈だ。アーネスト様やロキが、絶対に犯人を見つけてくれる。
（もしもこれでアーネスト様が死なずに済むなら……）
アーネスト様を守れたのなら、本望だ。死に戻った甲斐がある。本当に、神様に感謝しなくちゃならない。
霞む意識の中、必死に笑顔を浮かべる。
ありったけの感謝と、愛情を込めて。
彼がわたしを思い出して苦しむことのないように――――そう祈りながら。
宮女時代は下働きだから、誰かにお茶を淹れることなんてなかった。本当だったら表向き『妃』である今も、自らお茶を淹れる必要はないらしい。
だけど、アーネスト様は侍女達をあまり部屋に入れたがらないし、わたしのお茶を美味しいと言って飲んでくれる。気づいたらお茶を淹れるのはわたしの役割になっていた。
（なんて、そろそろ現実に向き合わないと）
小さくため息を吐きつつ、視界の端にアーネスト様を捉える。
（今夜、ここに泊る気だろうか？）
そう考えると、胸がドキドキと鳴り響く。
アーネスト様が妃の元に通っていると見せかけることは、わたしの契約の一つだ。そのために、これまでもこの宮殿を度々訪れ、この部屋で一緒に眠ってきたというのに、ついつい後ろ向きなことを考えてしまう。
（……ん？）
けれどその時、ティーカップにお茶を注ぎながら、わたしは思わず首を傾げた。今夜のお茶は、いつもに比べてそこはかとなく色が濃い。
（おかしいなぁ……いつもと同じように淹れたのに）
茶葉が変わったのだろうか。それとも、ボーっとし過ぎたのだろうか。そのままお出しするのは不安だから、試しに一口飲んでみる。
「⁉」
その瞬間、あまりの苦さに、わたしは思わず咽込んだ。唾液が口いっぱいに広がり、得も言われぬ匂いが鼻をつく。
「ミーナ？」
アーネスト様が怪訝な顔をして立ち上がる。
「す、すみません。久々過ぎて失敗してしまったみたいです」
そう言って頭を下げつつ、わたしは胸を撫で下ろす。
（危なかった。もう少しでアーネスト様に不味いお茶を飲ませてしまう所だった）
こんなお茶、とてもじゃないけどアーネスト様にはお出しできない。
非礼を詫び、改めてカミラにお茶を準備してもらおうと思っていたら、アーネスト様は首を横に振った。
「お茶は良いから、こっちで話をしよう。ミーナと話したいことが色々とあるんだ」
「…………はい」
あまり気乗りしないものの、大人しくアーネスト様の隣に腰掛ける。真っ直ぐに注がれる視線。凄く気まずい。チラリとアーネスト様を見上げれば、彼はとても穏やかに笑っていた。
（……意識しすぎ、だよね）
少しだけ逡巡した後、わたしも笑う。そしたら、アーネスト様は目を細め、わたしの頭を優しく撫でた。
「ようやく仕事が落ち着いたんだ。本当はもっと早く、ミーナに会いに来たかった。これからはまた、金剛宮で眠れると思うから」
やっぱり今夜はここでお休みになるつもりらしい。心臓を高鳴らせつつ、必死に平静を装った。
「そうですか。お仕事が落ち着いて良かったです。エスメラルダ様の所にも通われていないってお聞きしていたので」
言えば、アーネスト様はキョトンと目を丸くし、首を傾げる。
「どうしてそこでエスメラルダが出てくるの？」
「どうしてって……だって、エスメラルダ様は本当のお妃様ですし。折を見て通わないといけないでしょう？」
寧ろ、どうしてそんな質問をされるのか、わたしには分からない。けれど、アーネスト様はわたしの返答がお気に召さなかったのか、ツンと唇を尖らせた。
「俺は今、ミーナの話しかしていないんだけど」
「わたしにとってはアーネスト様のお話でしたよ」
「――――俺はミーナの話がしたい」
そう言って、アーネスト様はわたしの頬に触れる。胸のあたりがムカムカする。何だか動悸までしてきた。
「わたしがお話できることなんて――――」
「ミーナは俺に会いたかった？」
「！ ま……また、そういうことをっ」
心臓がギュッと収縮する。頬に熱が集まった。
「俺はミーナに会いたかったよ」
アーネスト様がそう言ってわたしの手を握る。
「なんっ…………」
なんで、って聞きたくなって、わたしは口を噤んだ。
聞いてどうしようというのだろう。
音を立てて胸が軋む。苦しい。喉がひどく熱い。熱くて、ビリビリ痺れる。
何かがおかしい――――。
「うっ……！あっ！」
その瞬間、身体が跳ねて硬直し、胃の中身が勢いよく逆流した。
アーネスト様が驚きに目を見張る。彼の目の前で、わたしは口を押さえて蹲った。
（どうしよう……止まらない）
次いで身体中が氷みたいに冷たくなって、どこもかしこも思うように動かなくなった。
「ミーナ！」
アーネスト様がわたしの顔を覗き込む。視界がぼやけて、明滅する。眼球が飛び出しそうな感覚。わたしは思わず目を瞑った。
（怖い。気持ち悪い）
堪えきれず、また胃の中身を嘔吐する。苦しい。こんなところ、アーネスト様に見られたくなんてない。涙がポロポロと零れ落ちた。
「ミーナ！ しっかりして、ミーナ！」
アーネスト様がわたしの背を擦る。声がどこか遠くに聴こえた。
指先が冷たい。身体がちっとも動かない。
（アーネスト様……）
視界がぼやける。アーネスト様が泣いているように見えた。
（馬鹿だなぁ。こんな時にまで、自分の都合の良いように捉えてしまうなんて）
迷惑でしかないはずなのに。アーネスト様がわたしを心配してくれているように――――惜しんでくれているように見える。
（わたし、死んじゃうのかな？）
寒い。寒くて怖い。ガタガタ震えるわたしの身体を、アーネスト様が抱き締めてくれた。
耳元で彼が叫んでいる。だけど、何て言ってるのかちっとも聞こえない。
怖い。怖くて堪らない。
だけど、もしもこれが一度目の人生でアーネスト様を殺した人物の犯行なら――――きっと何処かに手がかりが残っている筈だ。アーネスト様やロキが、絶対に犯人を見つけてくれる。
（もしもこれでアーネスト様が死なずに済むなら……）
アーネスト様を守れたのなら、本望だ。死に戻った甲斐がある。本当に、神様に感謝しなくちゃならない。
霞む意識の中、必死に笑顔を浮かべる。
ありったけの感謝と、愛情を込めて。
彼がわたしを思い出して苦しむことのないように――――そう祈りながら。
