（のどかだなぁ……）
あの夜会の日から一ヶ月。それまでの慌ただしさが嘘のように、のんびりとした日々を過ごしていた。
もちろん、読書や書き取りなんかの勉強は続けているけど、根を詰めてダンスの練習をする必要は無いし。しつこかった貴族達からの売り込みも、断り続けている内に殆ど来なくなった。
アーネスト様は相変わらず、多忙な日々を過ごしている。彼と顔を合わせたのは、あの夜会の夜が最後。他の宮殿に通っているという話も聞かないので、睡眠時間が取れているのか心配になる程の忙しさだ。
そんな中でも、アーネスト様は毎日わたしに手紙を送ってくださっている。ご自分のことは殆ど書いてくれないので、実際の所、彼がどんな風に過ごしているのかはよく分からない。
『ちゃんと眠ってますか？』って書いても『元気だから心配しないで』みたいに返されてしまう。
（本当はもっと、アーネスト様に聞いてみたいことがあるんだけど――――）
便箋を前に、小さくため息を吐く。
『あの夜――――どうしてあんなことを尋ねたんですか？』
目を瞑れば、アーネスト様の真剣な眼差しや息遣い、腕の温もりが鮮明に蘇る。
あの夜、アーネスト様はわたしに『俺のことが好き？』と、何度もそうお尋ねになった。彼の名前を何度も呼ばせて、何度も何度も名前を呼ばれて。
あの時のやり取りを思い出すだけで、鼓動が馬鹿みたいに早くなるし、切なくて苦しくて堪らなくなる。
（あんなの、あんまりだ）
報われないと分かっていながら、あんな風に気持ちを吐露させられたんだもの。辛いに決まっている。
だけど、後から思い返すと羞恥心で居た堪れなくなるし、それは気づきたくなかった現実を容赦なくわたしに突きつける。
（半年後……アーネスト様を守り切れたら、わたしはどうなるんだろう？）
わたしの使命はアーネスト様を守ること。それから、未だ子を成す気のないアーネスト様の隠れ蓑になることだ。
けれど、それら二つの使命は、半年後には必要なくなる。
皇族がアーネスト様しか存在しないのは純然たる事実だし、いつまでもこのままで良いとは思っていないだろうから。
（辛いだろうなぁ……アーネスト様に子どもができるのを見るのは）
それは予感ではなく確信。
だから半年後、ここに居る理由が無くなった暁には、わたしは後宮を出るべきなんだと思う。
だけど、元妃が行ける場所なんて思いつかないし、本音を言えば、宮女に戻って、遠くからアーネスト様を支えたいなぁなんて思っているのだけど。
「あら……まだ書き終えていらっしゃらないのですね」
ふと、背後からそんな声が聞こえる。侍女のカミラだ。インクが滲み、使い物にならなくなった紙を見ながら、ほんのりと肩を竦めている。
「ごっ……ごめんなさい。考え事をしていたものだから」
新しい紙を用意よう伝えると、彼女はすぐに踵を返す。カミラにバレないよう、わたしはこっそりとため息を吐いた。
「まぁ……ミーナ様の所にも、陛下はいらっしゃっていないのですね」
その翌日、わたしは久しぶりに翠玉宮へお呼ばれしていた。
エスメラルダ様は相変わらずお美しく、穏やかな笑みを浮かべている。
「と、仰いますと、エスメラルダ様の所にも来ていらっしゃらないのですか？」
「ええ。陛下は元々、私の宮殿にはご機嫌伺にいらっしゃっているようなものでしたし、夜会以降は一度もお見えになっていませんわ」
悲しむでも寂し気にするでもなく、エスメラルダ様は飄々とした様子だ。
元々、即位三ヶ月を経過した頃から、アーネスト様は後宮に殆ど顔を出さなくなっていた。一ヶ月顔を合わせないぐらい普通のこと。そう考えると、わたしが過敏になっているのは、あの夜の出来事のせいだって思えなくもないんだけど。
「あの、ミーナ様」
「何でしょう？」
「その――――あれ以降、ソフィア様から連絡がございましたか？」
先程とは打って変わり、エスメラルダ様は歯切れ悪くそう口にした。
何となくだけど、本当に話したいことは別にあるかのような、そんな印象を受ける。
「いいえ、何も」
手紙も届いていないし、会いもしていない。こちらから連絡を取ることは皆無なので、実に平和だ。
「そうでしたか。良かった……逆恨みをしたあの方が、何かしでかすのではないかと、心配していたものですから」
エスメラルダ様はそう言って、ほっとため息を吐く。
あの日、わたしは会場に戻ることは許されず、護衛騎士の一人に宮殿へと送り届けられた。だから、実際どんな様子だったのかは知らないのだけど――――人伝に聞いた話によれば、妃の中でソフィア様だけがアーネスト様と踊ることが出来なかったらしい。彼女の父親である宰相は面目丸つぶれ。大層な怒り具合だったとか。
「お気遣いありがとうございます、エスメラルダ様」
「いいえ、当然のことですわ。完全な自業自得ですし、あの方も少しは反省してくださったら良いのだけれど」
エスメラルダ様はそう言って、少しだけ表情を曇らせる。
「そう言えば、今日はコルウス様はどうなさったんですか？ いつも一緒に居らっしゃるのに」
そう口にした瞬間、エスメラルダ様はビクッと身体を震わせた。瞳に彼女らしくない、動揺の色が見え隠れする。
「今日は久々の女子会ですから――――コルウスは外した方が良いだろうと思ったのです。楽しくお喋りをしている最中に、彼のぶすっとした表情を見ると興醒めでしょう？」
「へ？ は……はぁ」
何となく違和感を覚えつつ、わたしはそっと首を傾げる。
(別にわたしは気にしないんだけどなぁ)
この間のダンスのお礼も出来ずじまいだったし、彼が無愛想なのはいつものことだ。
けれど、エスメラルダ様はコルウス様の話題に触れられたくないらしい。すぐに別の話題を切り出された。何となくだけど、普段よりも饒舌な気がする。まるで、わたしがコルウス様を気にするのが嫌みたいに――――。
（なんて……そんな風に思うのはきっと、わたしの気のせいよね？）
小さなわだかまりを残しつつ、わたしはそう、結論付けたのだった。
あの夜会の日から一ヶ月。それまでの慌ただしさが嘘のように、のんびりとした日々を過ごしていた。
もちろん、読書や書き取りなんかの勉強は続けているけど、根を詰めてダンスの練習をする必要は無いし。しつこかった貴族達からの売り込みも、断り続けている内に殆ど来なくなった。
アーネスト様は相変わらず、多忙な日々を過ごしている。彼と顔を合わせたのは、あの夜会の夜が最後。他の宮殿に通っているという話も聞かないので、睡眠時間が取れているのか心配になる程の忙しさだ。
そんな中でも、アーネスト様は毎日わたしに手紙を送ってくださっている。ご自分のことは殆ど書いてくれないので、実際の所、彼がどんな風に過ごしているのかはよく分からない。
『ちゃんと眠ってますか？』って書いても『元気だから心配しないで』みたいに返されてしまう。
（本当はもっと、アーネスト様に聞いてみたいことがあるんだけど――――）
便箋を前に、小さくため息を吐く。
『あの夜――――どうしてあんなことを尋ねたんですか？』
目を瞑れば、アーネスト様の真剣な眼差しや息遣い、腕の温もりが鮮明に蘇る。
あの夜、アーネスト様はわたしに『俺のことが好き？』と、何度もそうお尋ねになった。彼の名前を何度も呼ばせて、何度も何度も名前を呼ばれて。
あの時のやり取りを思い出すだけで、鼓動が馬鹿みたいに早くなるし、切なくて苦しくて堪らなくなる。
（あんなの、あんまりだ）
報われないと分かっていながら、あんな風に気持ちを吐露させられたんだもの。辛いに決まっている。
だけど、後から思い返すと羞恥心で居た堪れなくなるし、それは気づきたくなかった現実を容赦なくわたしに突きつける。
（半年後……アーネスト様を守り切れたら、わたしはどうなるんだろう？）
わたしの使命はアーネスト様を守ること。それから、未だ子を成す気のないアーネスト様の隠れ蓑になることだ。
けれど、それら二つの使命は、半年後には必要なくなる。
皇族がアーネスト様しか存在しないのは純然たる事実だし、いつまでもこのままで良いとは思っていないだろうから。
（辛いだろうなぁ……アーネスト様に子どもができるのを見るのは）
それは予感ではなく確信。
だから半年後、ここに居る理由が無くなった暁には、わたしは後宮を出るべきなんだと思う。
だけど、元妃が行ける場所なんて思いつかないし、本音を言えば、宮女に戻って、遠くからアーネスト様を支えたいなぁなんて思っているのだけど。
「あら……まだ書き終えていらっしゃらないのですね」
ふと、背後からそんな声が聞こえる。侍女のカミラだ。インクが滲み、使い物にならなくなった紙を見ながら、ほんのりと肩を竦めている。
「ごっ……ごめんなさい。考え事をしていたものだから」
新しい紙を用意よう伝えると、彼女はすぐに踵を返す。カミラにバレないよう、わたしはこっそりとため息を吐いた。
「まぁ……ミーナ様の所にも、陛下はいらっしゃっていないのですね」
その翌日、わたしは久しぶりに翠玉宮へお呼ばれしていた。
エスメラルダ様は相変わらずお美しく、穏やかな笑みを浮かべている。
「と、仰いますと、エスメラルダ様の所にも来ていらっしゃらないのですか？」
「ええ。陛下は元々、私の宮殿にはご機嫌伺にいらっしゃっているようなものでしたし、夜会以降は一度もお見えになっていませんわ」
悲しむでも寂し気にするでもなく、エスメラルダ様は飄々とした様子だ。
元々、即位三ヶ月を経過した頃から、アーネスト様は後宮に殆ど顔を出さなくなっていた。一ヶ月顔を合わせないぐらい普通のこと。そう考えると、わたしが過敏になっているのは、あの夜の出来事のせいだって思えなくもないんだけど。
「あの、ミーナ様」
「何でしょう？」
「その――――あれ以降、ソフィア様から連絡がございましたか？」
先程とは打って変わり、エスメラルダ様は歯切れ悪くそう口にした。
何となくだけど、本当に話したいことは別にあるかのような、そんな印象を受ける。
「いいえ、何も」
手紙も届いていないし、会いもしていない。こちらから連絡を取ることは皆無なので、実に平和だ。
「そうでしたか。良かった……逆恨みをしたあの方が、何かしでかすのではないかと、心配していたものですから」
エスメラルダ様はそう言って、ほっとため息を吐く。
あの日、わたしは会場に戻ることは許されず、護衛騎士の一人に宮殿へと送り届けられた。だから、実際どんな様子だったのかは知らないのだけど――――人伝に聞いた話によれば、妃の中でソフィア様だけがアーネスト様と踊ることが出来なかったらしい。彼女の父親である宰相は面目丸つぶれ。大層な怒り具合だったとか。
「お気遣いありがとうございます、エスメラルダ様」
「いいえ、当然のことですわ。完全な自業自得ですし、あの方も少しは反省してくださったら良いのだけれど」
エスメラルダ様はそう言って、少しだけ表情を曇らせる。
「そう言えば、今日はコルウス様はどうなさったんですか？ いつも一緒に居らっしゃるのに」
そう口にした瞬間、エスメラルダ様はビクッと身体を震わせた。瞳に彼女らしくない、動揺の色が見え隠れする。
「今日は久々の女子会ですから――――コルウスは外した方が良いだろうと思ったのです。楽しくお喋りをしている最中に、彼のぶすっとした表情を見ると興醒めでしょう？」
「へ？ は……はぁ」
何となく違和感を覚えつつ、わたしはそっと首を傾げる。
(別にわたしは気にしないんだけどなぁ)
この間のダンスのお礼も出来ずじまいだったし、彼が無愛想なのはいつものことだ。
けれど、エスメラルダ様はコルウス様の話題に触れられたくないらしい。すぐに別の話題を切り出された。何となくだけど、普段よりも饒舌な気がする。まるで、わたしがコルウス様を気にするのが嫌みたいに――――。
（なんて……そんな風に思うのはきっと、わたしの気のせいよね？）
小さなわだかまりを残しつつ、わたしはそう、結論付けたのだった。
