それは、夜会の準備を始めてから一か月後のことだった。

 その日のダンスレッスンは既に終わったというのに、ロキが妙に畏まった様子で金剛宮を訪れる。彼の傍らには従者が二人控えていて、大して大きくもない荷物を、後生大事に抱えていた。


「金剛宮の妃であるミーナ様に、陛下からの贈り物をお預かりしております」


 そう言ってロキは跪き、恭しく頭を垂れる。
 今の彼は『皇帝の使者』としてここにいる。頭のてっぺんからつま先まで、一分の隙も無い程凛とした佇まい。こちらまで背筋がピンと伸び、息を吸うのも忘れそうになってしまう。


「大儀でしたね」


 ならばこちらも、普段と同じ接し方をするわけにはいかない。声が裏返りそうになるのを堪えつつ、カミラから教わった労いの言葉を投げ掛ける。


(本当はロキ相手に恥ずかしいし、めちゃくちゃ居た堪れない! だけど、これが正解って聞いたんだもの!)


 身分も弁えずに申し訳ない――――内心そう思うけど、今のわたしは『アーネスト様の妃』だ。実態がどうであれ、周りはそう信じている。わたしがへりくだるのは寧ろ、アーネスト様に対して不敬に当たるらしい。だから、キツくても精一杯偉ぶる必要がある。

 ロキは満足気に微笑みつつ、荷物を運んできた従者達を下がらせた。その途端、張り詰めた空気が微かに弛む。


「――――堅苦しい挨拶はもう終わり?」


 思わずそう尋ねると、ロキはほんのりと目を丸くし、それからクックッと喉を鳴らす。


「ミーナ様がお望みならば」


 彼の言葉に、わたしは何度も頷いた。


「うわぁ……綺麗」


 思わず感嘆の声が漏れる。
 アーネスト様からの贈り物は、一着の美しいドレスだった。

 滑らかな光沢のあるシルク地にレースが何枚も重ねられたスカート。白とピンク、紅色のコントラストが綺麗で、上から見るとまるで満開の花のように見える。華やか且つ上品で、遠目からでも間違いなく目を惹く逸品だ。

 普段着ているドレスだって相当な高級品だけど、アーネスト様からの贈り物はそれを数段凌駕している。興奮で頬が熱くなった。


「主から『夜会で着てほしい』と伝言を預かっています」


 カミラからティーカップを受け取りつつ、ロキが言う。先程までと打って変わった和やかな雰囲気に、わたしはホッと胸を撫でおろした。


「こんな上等なドレス……本当にわたしが着て良いのかな?」

「ミーナ様に着ていただけないと、俺が怒られることになりますが」

「――――さっきは『着てほしい』って話だったでしょう?」

「主の願いは『絶対』ですから」


 ロキがキッパリと断言する。つまり、わたしには他に選択肢が無いということらしい。


「そっか……でも、良かった。実は、エスメラルダ様から夜会当日の衣装のこと、心配されてたんだ。わたしは他のお妃様みたいに実家の後ろ盾がないから」



 今からひと月程前、アーネスト様から夜会について教えてもらったすぐ後のこと。わたしはエスメラルダ様へ報告のお手紙を送っていた。
 その日のうちにエスメラルダ様は再び金剛宮にいらっしゃり、わたし達は邪魔者のいない二人きりのお茶会を楽しんだのだけど――――。


『本当に安心しました。陛下はミーナ様を直接お誘いしたかっただけなのですね』


 そう言ってエスメラルダ様はホッとため息を吐く。どうやら相当気に病ませていたらしい。


『ご心配をお掛けしてすみません』


 そう伝えて、私は笑った。


『それで、夜会で着るドレスなのですが、普段とは少しばかり趣を変えねばなりません』


 あの日する筈だった話題を、エスメラルダ様が改めて切り出す。


『今回いらっしゃるお客様は、国賓クラスではない様子ですが――――それでも私達は国の顔。妃として、帝国の威厳を示す必要があります。ドレスの準備は早めになさった方が良いかと』

『あの……エスメラルダ様はどんなドレスをお召しになる予定なのですか?』


 準備と言われても、どんな風に進めたら良いのか、いまいちピンと来ない。


(この間仕立ててもらったドレスと、何がどう違うんだろう?)


 そんなわたしの疑問に答えるため、エスメラルダ様は後日、参考のために、わたしに幾つかドレスを見せて下さった。


『夜会では宝石を身に着けますから――――それに見合ったドレスを選ぶことになります』


 煌びやかなドレスに気圧されしつつ、エスメラルダ様の説明に耳を傾ける。侍女のカミラも一緒になって、彼女の説明に聞き入っていた。


『あと、私達妃のドレスの色合いは、出来る限り被らない方が良いですわね』


 そんな風にあれこれ色んな説明を受ける。だけど、一番の問題はわたしの財力だった。

 妃っていうのは役職だから、それぞれ国からお金が貰えるようになっている。平民一人が数年間、贅沢な暮らしができる程、莫大なお金だ。

 けれどそれは、宮殿で『妃らしい』生活を送るには、寧ろ足りないぐらいだったりする。

 そんなわけで、エスメラルダ様が仰るようなドレスを作る際には、実家の財力がモノを言うらしい。それは、貴族じゃないどころか、両親すら存在しないわたしには、如何ともし難いお話で。


(エスメラルダ様が御助力を申し出て下さったのだけど)


 わたしには返せるものが何もない。丁重にお断りしつつ、まだ時間があるからと方策を模索していた所だったのだ。



「それにしても、さすが……陛下の侍女は優秀な方ばかりですのね」


 カミラが瞳を輝かせつつ、そんなことを言う。


「侍女? と、言いますと?」

「陛下やロキ様からお聞きになったミーナ様の印象を元に、こんなにもピッタリな素晴らしいドレスをお選びになったのですもの。やはり陛下に直接お仕えする方々は皆さま、優れた能力をお持ちの方ばかりなのだなぁと」


 興奮した面持ちで、カミラが答える。遠回しにロキのことを褒めたいらしい。
 けれど、当のロキはキョトンと目を丸くして、それから首を横に振った。


「いいえ。こちらのドレスは、陛下が直々にお選びになったものです」

「――――えっ⁉ アーネスト様が?」


 思わぬ返答に、今度はわたしが目を丸くする。カミラも相当驚いたらしく、唖然とした表情でロキのことを見つめていた。


「はい。お忙しい中『どうしても』とそう仰っるので。ギデオン様は主のスケジュール調整に難儀したようですが」


 ギデオン様の名前を出しつつ、ロキはほんの少しだけ顔を顰める。どうやら二人の仲はあまり良くないらしい。新旧側近、というのは案外複雑な関係なのだろう。


(それにしても)


 目の前のドレスを見つめながら、わたしの頬に熱が集まる。
 アーネスト様がわたしのためにドレスを選んでくれた――――それだけで、堪らなく幸せな気持ちになる。心臓がドキドキと高鳴って、空を飛べそうな心地だった。


(――――アーネスト様にお手紙を書こう)


 ドレスをありがとうございました――――嬉しかった――――そんな風に、今のこの気持ちを伝えたい。

 カミラに紙とペンを用意してもらおうと思ったその時、ロキはわたしを見つめつつ、ほんのりと目を細める。


「どうせなら『会いに来て』と――――そうお書きになった方が、主は喜ぶと思います」

「……へ?」


 一瞬どういう意味か分からなかったけど、すぐに彼の意図に思い至る。


(ロキにはわたしの考えがお見通しなんだ)


 悪戯っぽい笑顔。恥ずかしさの余り、一気に体温が跳ねあがった。