夜着にじっとりと汗が染み込む。
金剛宮で妃の真似事を始めて早三か月。随分と蒸し暑くなってきた。
宮女時代は夏でも冬でも、綿の碌に入ってないペラペラの布団を使っていたけど、妃となった今は違う。夏用に衣替えされた布団は、肌触りが良くて気持ち良い。とはいえ、一晩中被っているには暑いため、無意識のうちに足蹴にしてしまう。
（暑い――――苦しい）
カーテンの隙間から柔らかな光が射し込む。どうやら朝が来たらしい。起きなければと思うけれど、何となく億劫で動き出せない。
（……もう、そんなに頑張らなくても良いんじゃない？）
どうせ期待されていないのだもの。アーネスト様が命を狙われるまで、まだ時間がある。少しぐらいダラダラしたって罰は当たらないと思う。
――――ううん。そもそも、わたしなんかがアーネスト様を守れるのだろうか。そう思うと涙が溢れてくる。
「ミーナ」
遠くからアーネスト様の声が聞こえる。幻聴が聞こえる程、わたしの頭の中はアーネスト様で一杯らしい。
（大丈夫――――契約はきちんと果たすから。あなたを死なせはしないし、妃の元に通っているフリのお手伝いなら幾らでもします）
ただ少し、疲れてしまっただけ。虚無感とでもいうのだろうか――頑張っても、頑張っても意味がないんだって思い知った。そんな自分が嫌になってしまったのだと思う。
（アーネスト様――――）
「ミーナ」
耳元でハッキリとそう囁かれて、わたしの意識は急激に覚醒した。
「アッ……アーネスト様？」
「大丈夫、ミーナ？ うなされていたけど」
わたしの隣には、夜着に身を包んだアーネスト様がいた。寝る時は確かに一人きりだったので、どうやらわたしが眠った後で部屋にいらっしゃったらしい。
「な、んで……？」
寝起きすぐに直視するには、アーネスト様は眩しすぎる。普段は心構えをしてから眠るから良いけど、今朝は完全な不意打ちだもの。心臓がバクバクと鳴り響いていた。
「その……わたしは平気です。ただ、暑くて寝苦しかっただけですから」
無理やり浮かべた笑顔。
本当は切ない胸の内を吐き出したかった。
『アーネスト様にとって、わたしは恥ずかしい存在なんじゃありませんか？』
――――そんなことを思うと、心がポキッと折れそうになる。本当はここに通うことも、わたしに関すること全てを、恥ずかしいと思われてるんじゃないかって、そんな風に思ってしまう。
「そうか……体調を崩したんじゃないかと心配していたんだ。昨日は手紙をくれなかったから」
そう言ってアーネスト様はわたしの額に手を当てる。
「昨日はどうしても、書くことが見つからなかったんです」
心の中で小さくため息を吐きつつ、わたしはアーネスト様に向き合う。アーネスト様は怪訝な表情でわたしを見つめつつ、小さく首を傾げた。
「本当に？」
「はい、本当に」
「何も見つからなかったの？」
「何も見つかりませんでした」
聞き返されて、端的に答える。アーネスト様は不服そうな表情を浮かべつつ、そっとわたしの頬を撫でた。
「俺はミーナに会いたかったよ」
「……え？」
思わず目を見開いて、胸を押さえる。心臓がドクンと大きく跳ねた。
「昨日は手紙にそう書こうと思っていたのに、ミーナからの手紙すら届かなかったから――――だから会いに来た。他にも、直接伝えたいことがあったし」
アーネスト様はそう言って微笑む。見ているだけで泣きたくなるような、優しい笑顔だった。
（アーネスト様は皇帝だから）
きっと同じことを、妃みんなに言っているんだと思う。それは互いに気分よく居られるための謂わばリップサービスなんだって分かっている。分かっているけど。
（それでも、嬉しい）
会いたかったと言われることが――――アーネスト様に必要とされることがあまりにも嬉しい。
昨日のソフィア様とのやり取りは、未だわたしの中で尾を引いている。だけど、例え表に出せない妃だとしても、アーネスト様の心の中にわたしだけの居場所がある。他には何も要らない。それで良いと、そう思った。
「それでね？ ミーナに一つ、お願いがあるんだ」
アーネスト様は今にも泣きだしそうなわたしの顔を見つめながら、そっと首を傾げる。必死で表情を引き締め「何でしょう？」と尋ねると、アーネスト様は徐にわたしの手を握った。
「今から三か月間、俺のためにダンスを勉強してくれる？」
「へ……？ ダンス、ですか？」
「うん。夜会でミーナと一緒に踊りたいと思って」
「夜会……」
わたしは呆然としていた。アーネスト様が言及しているのは、エスメラルダ様達が口にしていたのと同じ夜会だろう。だけど――――。
「それって、わたしが参加しても良いんですか？」
思わずそんなことを尋ねてしまう。
「もちろん。ミーナは俺の妃だから、参加してもらえないと寧ろ困る」
アーネスト様はそう言って穏やかな笑みを浮かべた。
もしかしたらアーネスト様は、昨日の一件を既にエスメラルダ様からお聞き及びなのかもしれない。その上でわたしが悲しんだから――――可哀そうだから参加させてやろうと、そう思い直しただけなのかもしれない。
それでも、わたしは嬉しかった。堪えきれずに涙がポロポロと零れ落ちる。
「どうして泣くの？」
アーネスト様は困ったように笑いながら、わたしのことをそっと抱き締めた。肌が触れるか触れないぐらいの絶妙な距離感。本当のお妃様だったら、直接抱き締めて貰えたのだろうか――――ついついそんなことを考えてしまう。
「泣いてないです」
涙の理由なんて、とてもじゃないけど説明できない。そんなわたしの精一杯の強がりに、アーネスト様は笑う。
「ミーナは案外負けず嫌いだよね」
「そんなこと、考えたことも無かったです」
「そっか。じゃあ、俺が見つけた……ってことで良いのかな？」
「――――よっ、よく分かりません」
言葉の意味が分からない訳じゃない。どうしてアーネスト様がそんなことを言うのか分からない。何だかとてつもなく恥ずかしくて、むず痒くて、堪らない。
「練習、頑張ります」
辛うじてそう呟くと、アーネスト様は「期待してるよ」って言って笑った。
金剛宮で妃の真似事を始めて早三か月。随分と蒸し暑くなってきた。
宮女時代は夏でも冬でも、綿の碌に入ってないペラペラの布団を使っていたけど、妃となった今は違う。夏用に衣替えされた布団は、肌触りが良くて気持ち良い。とはいえ、一晩中被っているには暑いため、無意識のうちに足蹴にしてしまう。
（暑い――――苦しい）
カーテンの隙間から柔らかな光が射し込む。どうやら朝が来たらしい。起きなければと思うけれど、何となく億劫で動き出せない。
（……もう、そんなに頑張らなくても良いんじゃない？）
どうせ期待されていないのだもの。アーネスト様が命を狙われるまで、まだ時間がある。少しぐらいダラダラしたって罰は当たらないと思う。
――――ううん。そもそも、わたしなんかがアーネスト様を守れるのだろうか。そう思うと涙が溢れてくる。
「ミーナ」
遠くからアーネスト様の声が聞こえる。幻聴が聞こえる程、わたしの頭の中はアーネスト様で一杯らしい。
（大丈夫――――契約はきちんと果たすから。あなたを死なせはしないし、妃の元に通っているフリのお手伝いなら幾らでもします）
ただ少し、疲れてしまっただけ。虚無感とでもいうのだろうか――頑張っても、頑張っても意味がないんだって思い知った。そんな自分が嫌になってしまったのだと思う。
（アーネスト様――――）
「ミーナ」
耳元でハッキリとそう囁かれて、わたしの意識は急激に覚醒した。
「アッ……アーネスト様？」
「大丈夫、ミーナ？ うなされていたけど」
わたしの隣には、夜着に身を包んだアーネスト様がいた。寝る時は確かに一人きりだったので、どうやらわたしが眠った後で部屋にいらっしゃったらしい。
「な、んで……？」
寝起きすぐに直視するには、アーネスト様は眩しすぎる。普段は心構えをしてから眠るから良いけど、今朝は完全な不意打ちだもの。心臓がバクバクと鳴り響いていた。
「その……わたしは平気です。ただ、暑くて寝苦しかっただけですから」
無理やり浮かべた笑顔。
本当は切ない胸の内を吐き出したかった。
『アーネスト様にとって、わたしは恥ずかしい存在なんじゃありませんか？』
――――そんなことを思うと、心がポキッと折れそうになる。本当はここに通うことも、わたしに関すること全てを、恥ずかしいと思われてるんじゃないかって、そんな風に思ってしまう。
「そうか……体調を崩したんじゃないかと心配していたんだ。昨日は手紙をくれなかったから」
そう言ってアーネスト様はわたしの額に手を当てる。
「昨日はどうしても、書くことが見つからなかったんです」
心の中で小さくため息を吐きつつ、わたしはアーネスト様に向き合う。アーネスト様は怪訝な表情でわたしを見つめつつ、小さく首を傾げた。
「本当に？」
「はい、本当に」
「何も見つからなかったの？」
「何も見つかりませんでした」
聞き返されて、端的に答える。アーネスト様は不服そうな表情を浮かべつつ、そっとわたしの頬を撫でた。
「俺はミーナに会いたかったよ」
「……え？」
思わず目を見開いて、胸を押さえる。心臓がドクンと大きく跳ねた。
「昨日は手紙にそう書こうと思っていたのに、ミーナからの手紙すら届かなかったから――――だから会いに来た。他にも、直接伝えたいことがあったし」
アーネスト様はそう言って微笑む。見ているだけで泣きたくなるような、優しい笑顔だった。
（アーネスト様は皇帝だから）
きっと同じことを、妃みんなに言っているんだと思う。それは互いに気分よく居られるための謂わばリップサービスなんだって分かっている。分かっているけど。
（それでも、嬉しい）
会いたかったと言われることが――――アーネスト様に必要とされることがあまりにも嬉しい。
昨日のソフィア様とのやり取りは、未だわたしの中で尾を引いている。だけど、例え表に出せない妃だとしても、アーネスト様の心の中にわたしだけの居場所がある。他には何も要らない。それで良いと、そう思った。
「それでね？ ミーナに一つ、お願いがあるんだ」
アーネスト様は今にも泣きだしそうなわたしの顔を見つめながら、そっと首を傾げる。必死で表情を引き締め「何でしょう？」と尋ねると、アーネスト様は徐にわたしの手を握った。
「今から三か月間、俺のためにダンスを勉強してくれる？」
「へ……？ ダンス、ですか？」
「うん。夜会でミーナと一緒に踊りたいと思って」
「夜会……」
わたしは呆然としていた。アーネスト様が言及しているのは、エスメラルダ様達が口にしていたのと同じ夜会だろう。だけど――――。
「それって、わたしが参加しても良いんですか？」
思わずそんなことを尋ねてしまう。
「もちろん。ミーナは俺の妃だから、参加してもらえないと寧ろ困る」
アーネスト様はそう言って穏やかな笑みを浮かべた。
もしかしたらアーネスト様は、昨日の一件を既にエスメラルダ様からお聞き及びなのかもしれない。その上でわたしが悲しんだから――――可哀そうだから参加させてやろうと、そう思い直しただけなのかもしれない。
それでも、わたしは嬉しかった。堪えきれずに涙がポロポロと零れ落ちる。
「どうして泣くの？」
アーネスト様は困ったように笑いながら、わたしのことをそっと抱き締めた。肌が触れるか触れないぐらいの絶妙な距離感。本当のお妃様だったら、直接抱き締めて貰えたのだろうか――――ついついそんなことを考えてしまう。
「泣いてないです」
涙の理由なんて、とてもじゃないけど説明できない。そんなわたしの精一杯の強がりに、アーネスト様は笑う。
「ミーナは案外負けず嫌いだよね」
「そんなこと、考えたことも無かったです」
「そっか。じゃあ、俺が見つけた……ってことで良いのかな？」
「――――よっ、よく分かりません」
言葉の意味が分からない訳じゃない。どうしてアーネスト様がそんなことを言うのか分からない。何だかとてつもなく恥ずかしくて、むず痒くて、堪らない。
「練習、頑張ります」
辛うじてそう呟くと、アーネスト様は「期待してるよ」って言って笑った。
