「うっ……」
綺麗な女の子が、胸を押さえて、苦しそうに床にへたり込んだ。

ーーここは、病院の中。僕は、喘息のある父親が入院している病院に、お見舞いに来ていた。
「高一で、こんなにも背が高くなるのか。さすが凛月。俺の息子だ! はっはっは!」
そう、ベットから見上げられ、少し明るい気持ちになっていた帰り。

苦しそうにしている、1人の女の子を見つけた。真っ直ぐに整っている、艶のある髪。悔しそうに閉じた目。違う空気で1人だけ覆われているような、そんな気がした。

「大丈夫ですか!?」
目を奪われながらも、その子のところに駆け寄った。
慌てて今にも倒れそうだった体を支えると、その子は、安心したように力を抜いて、目を閉じた。

(ど、どうしよう。死んではな、ないよね……)
どうしたらよいかわからず、あせりながら周りを見回す。視界のはじに、人が目に入った。

「こ、この子を助けてください! 看護師さんを呼んでください。」
病院の中で叫んじゃいけないことは知っているけれど、その人が気がつかないまま行ってしまわないよう、急いでその人に向かって叫んだ。
僕の声に気がついたその人が、慌てて駆け寄ってくる。

「優夢歌ちゃん! こんなところで…… はぁ、また抜け出したのね。でも、この歳でずっと入院なのはかわいそうだし……みんな怒れないのよねぇ。」 
だんだん近づいてくる人が、看護師らしいことに安堵して、ため息をこぼす。 
看護師さんは、駆け寄ってくるなり、その子のことを抱き抱える。そして、僕の目を見て、にっこりと微笑んだ。

「大丈夫、生きているわ。安心して。助けてあげてくれてありがとう。」
 僕が1番不安だったことがわかり、今日1番大きいため息をはいた。

「この子の担当の看護師さんに連絡をするから、少し待っていてね」
そう言って、看護師さんが、胸ポケットから携帯を取り出す。
僕は小さく頷くと、もう一度、看護師さんの手の中にいるあの子を、じっと見つめた。





少しして、真面目そうな看護師さんが、早歩きでやってきた。

「いろいろありがとう。それから、心配してくれたのね。もう知っている思うけど、大丈夫。私はこの子の担当の看護師なの。あ、それから佐倉さん、優夢歌の事、預かるわね。」

そう言いながら「優夢歌」と呼ばれる美しい女の子を抱き抱える。
「それじゃあ、私たちは戻るわ。佐倉さん、入口までこの子を連れて行ってあげなさい。」
「分かりました、葵さん」
それじゃあ行きましょう、と佐倉さんが歩き出す。

「本当にありがとう。」
看護師さんも、僕にもう一度頭を下げてから、くるりと踵を返して、女の子を抱き抱えながら去っていこうとする。

「ま、待ってください。」
思わず出てきた声に驚き、慌てて口を押さえる。
でも、この子のことをもっと知りたい、自分のことを知ってもらいたいという気持ちが、胸の中で、大きくなる。抑えきれなくなる。

「その子の病室に、一緒に、行かせてください。」
気がついたら、そう言っていた。

「あら。」
小さく振り向いて、看護師さんはクスリと笑った。

「ふふっ、いいわよ。ご家族の方もお礼を言いたいと思うし。」
窓から風が吹き付け、廊下にかけられていた雲の形の飾りが、ゆらりと揺れた。

病室が永遠に続いていそうな廊下を、佐倉さんの跡を追って歩いていると、先に連れて行かれていたあの子が、ベットの上で横になっている。
父親のいた病室とつくりは同じはずなのに、優しい香りがしたし、ずっといても飽きないと思った。

「あ、も〜う!」
部屋に入って、20分くらい経っただろうか。あの子の目が、徐々に開いていく。そして、体をゆっくりと起こしながらそう、怒ったように言った。

頬をリスのように膨らませてしゅんとしている姿が可愛くて、笑いを漏らしてしまった。すると、首を傾げながらあの子がこっちを向き、驚いたように目を大きく開けた。

「わーぁ〜。見られてたの? 全部?」
そう言いながら、恥ずかしそうに優しく微笑みかけられる。その笑顔に、僕ははっと息を呑んだ。顔が赤くなった気がして、何か言って誤魔化そうと部屋中をぐるりと見回した。すると、外の、青く澄んだ空が目に入った。

「空、綺麗ですね。」

女の子は、目をキョトンとさせて、僕をベッドから見つめ、それから笑った。

「知ってた? 月が綺麗ですね、って好きです、って言うときに使うらしいよ! 
だけど、今は月がないから空って言ったの? 私に告白!?」

そう楽しそうに言われ、慌てて、否定する。
「違います! ただ、空が青くて、なんかいいなぁと思っただけで!」

女の子がまた口を開いた。
「知ってるよ! からかってごめんね?
それと、そういえば、君、助けてくれた子だよね? 最初しか覚えてないけど。本当にありがとう!」

花が咲いたようににっこり笑った女の子の頬は、少し薔薇色に染まっていた。

「ん?」
何も口を開かず自分を見つめている僕のことを見て、あの子が首を少し傾げる。
僕の顔が、トマトのように真っ赤に染まっていった。

「いえ、別に。」
動揺した僕の口からとっさにでたのは、そんな適当な返事だった。
そんな僕の不自然な様子は全く気にかけず、女の子は「自己紹介しなくちゃね!」といいながら、ベッドに座り直した。

「改めて初めまして! 私は優夢歌。あっ、苗字は朝日奈ね。朝日奈 優夢歌。高校2年生。高校にはちゃんと通えたことなんてないんだけどね。」
一瞬悲しそうになった顔。すぐに優しそうな笑顔に戻ったけれど、僕はその苦しそうな顔が忘れられなくなった。
    
「僕は、麻空 凛月。高校2年生です。」
年下に見られるのが恥ずかして、とっさに嘘をついてしまった。本当は、もう一歳年下なのに。

「うわぁ! 同い年? 嬉しい、友達が欲しかったんだ!」

優夢歌さんが嬉しそうに喜ぶ。罪悪感で胸がいっぱいになりながら、言い直す気にもなれなくて、窓から青く綺麗な空を見た。雲が、雫の形に見えてくる。僕の目からは、空が真っ黒な雲に覆われて、雨が降り出したように見えてくる。
頭の中がおかしくなって、聞かないほうがいいと思っていたことを、口に出してしまった。

「病気なんですか?」
「えっ?」
優夢歌さんの顔から笑顔が消え、戸惑ったような表情になる。

「あ、ごめんなさい。こんな……」
「凛月くんは何も悪くないよ。
あのね、小学生の時、がんの腫瘍ができて、その時は取り除いてもらったんだ。ただ、再発して、がんの腫瘍が広がって……。もう取り返しのつかない状態になったの。寿命は、この夏が終わるくらいまでって、この前言われちゃった。学校も行きたいし、友達とも遊びたい。もっとやりたいことだってあるのに。」

僕は顔を直接見るのが怖くなって、窓の外に目をやった。
優夢歌さんも黙り込み、病室が、沈黙で包まれる。
視線を戻すと、優夢歌さんが、目元が濡れた顔で、弱々しく微笑んでいた。

「初めて会った人に、こんな話するなんて……。私、バカだね。」
唇を強く噛み、ため息をついた優夢歌さん僕は精一杯笑いかけた。

「そんなこと……優夢歌さんも何も悪くないですよね?」
「君は、凛月くんは、そう思う?」

少し意外そうに、優夢歌さんがぽつん、と言った。
こんなこと、僕ができるか、って聞かれたら、そんな自信ないし、やっぱり難しいので、って途中でやめたら、優夢歌さんはがっかりする。でも……

はい、と頷きながら、一歩だけ、優夢歌さんに近づく。

「じゃあ、この1ヶ月を、最高に楽しい毎日にしませんか? できれば……僕も手伝いたいなって。」
僕は、そう言って手を差し出した。
優夢歌さんが、目を見開くのと同時に、大きく息を吸い込んだのがわかった。

「ありがとう!」

そう言って僕の手に重ねてくれた手からは、キラッキラの希望が伝わってくる気がした。

次の日曜日。靴に手をかけながら、玄関からお母さんに、お見舞い行ってくる!と叫んだ。すると、お父さんのところに行くと思ったのか、
「いってらっしゃい! お父さんに頼まれてたこれ持ってって!」

と、お母さんが、駅前の本屋の袋を抱えて、バタバタとかけてきた。
僕は、しょうがない、お父さんのとこにもよるか、とため息をつき、袋を受け取った。

「うわっ、重っ! なに? これ本?」
「本5冊よ。頼まれたんだからしょうがないでしょ。ほらほら、いったいった」
これ持ってくのきついなぁ……と思いながら、背中を押され、僕はドアに手をかける。
僕は、青く晴れた青空に向かって駆け出していった。

本をようやく父さんに届けて、足早に、あの病室に向かう。
「今日はどんな話ができるかなぁ。」

期待で胸を膨らませて、僕は階段を駆け上がった。

息を整えながら、優夢歌さんのいる病室のドアをノックする。
「はーい!」

明るい返事が聞こえてきた。今にも飛んでいきそうだ。
「凛月です。入ってもいい?」
「もちろん! はやく、はやく!」

扉の向こうで、優夢歌さんが、喜んでいるのが分かる。
楽しみにしてくれていたみたいでよかった。そう思いながら中に入る。

「それで? 今日は何やるの!?」
せかして、僕を来客用の椅子に座らせると、優夢歌さんが、ベッドから身を乗り出し、キラキラした目で問いかけてきた。

「あ、何したいですか? 僕は……。」
「え? 決めてないの?」
続きを遮ったのは優夢歌さんなのに、がっかりした目で見られる。
やばい、と焦る。勘違いさせたくなくて、首をぶんぶん横にふりながら、今度は僕が身を乗り出して続けた。

「その後に僕の案を言おうと思っていたんですけど……遮らないでくださいよ!」
一息で言い切り、はぁはぁ言っていると、優夢歌さんが、楽しそうにくくっと笑った。

「嘘だよっ! ごめんね?」
はぁ、もう…… いつまでも楽しそうな優夢歌さんに呆れつつ、安心していると、優夢歌さんが、また口を開いた。

「それでっ? 改めて……だけど、何するの?」
「今日は……まず、病室から抜け出して、院内探検をしてみたくないかな、と思っていて。屋上とか、売店とか、小学生向けの読み聞かせルームとか…… 」

僕は、考えてきた案を言ってみた。
すると、優夢歌さんは、悲しそうに目を伏せた。

「楽しそう! やりたい! だけどね、できないよ。私、それがしたくて、何度もやってるよ…… でも、どこかで倒れたり、具合悪くなったり。周りに迷惑がかかってるっていうことは知ってるんだ。凛月くんと初めて会った時もそうだったの。だから…… 」

「そんなこと、わかりますよ? でも、今日は1人じゃない。2人じゃないですか。僕もついてます。楽しそうなら、やりたいなら、やりましょうよ!」

はっとしたように、優夢歌さんが、顔を上げて、窓の外を見つめ始めた。
部屋の中に、沈黙がながれる。まるで時間が止まったみたいだ。
僕は、そんな状態に焦り、偉そうなことを言ってしまった自分が、作り上げた空間なんじゃないかと不安を覚えた。そして、謝ろうとして、優夢歌さんの方に目をやると……

「あっ」
思わずこぼしてしまい、慌てて口を抑える。
優夢歌さんの目からは、涙が溢れていた。一滴、一滴、また一滴。止まることなく、頬に滴が落ちる。
また病室に静けさが取り戻される。しばらく僕は、優夢歌さんの綺麗な涙を見つめていた。
やがて、優夢歌さんが、目元を濡らしながら、僕の方を向き、静かに、ゆっくりと、口を開いた。

「こんなところ見られちゃった……凛月くんのまえでは、ありのままの自分でいれちゃうんだよね。なんでだろう……。なんか私ね、今までずっと、1人だって思っていたんだ。体、そんなに強くなかったから、小中学校では、もちろん友達はいたけどど、静かに過ごしてたし、お母さんも、お父さんも、忙しかったから、授業参観にも私の親は見にこなかった。入院してからは、ご飯も1人だし、お見舞いに来てくれる人がいない時も、ずっと、ずっと、1人でいたから。
1人が当たり前だと思ってた。1人で生きて、死んでいくと思ってた。だから、凛月くんが言ってくれたことが、胸にガツンッて、突き刺さったの。私は、1人じゃなかった……。」

僕は、かける言葉なんて見つからなかった。でも、それでいいのかもしれない。
優夢歌さんが、目元を擦りながら、「ねぇ、見て」とでもいうように、また、窓の外を除いた。僕も、目を、窓の外でやる。青い空にポツポツと浮いて、流れていく雲が、いつもよりも、白く、白く見える気がする。

「私、1人の時、よくこうやって外を見るの。ねぇ、そうすると、雲が特別に見えてくる気がしない?」
優夢歌さんが、また話し出した。「雲が特別に見えてくる気がしない?」という問いかけに、思わず「はい……。」と頷いた。

「それでね、こう思うんだ。雲は、天国と、この世界をつなぐ、架け橋なのかなって。」

なぜなのか理解することはできなかったけれど、架け橋、という言葉が引っかかって、僕も、ふと口を開く。
 
「はい、それで、架け橋には、天使が、天国との使者がいる気がする。そして、想いを、届けてくれたりするのかもしれませんね……」

ふわっと、優夢歌さんが笑った。目元を光らせて笑う姿が、なんだか、雲の架け橋に立つ天使のように、美しく見えた。

「確かに! 気が合うね、天国の使者って、いいなぁ。奇跡を届けてくれる、天国の使者、ワビミー! なんてっ。」
「ワビミーって! ネーミングセンス最高です! 優夢歌さん!」

つい、優夢歌さんに突っ込んで、2人でアハハと笑う。この時間が、何よりの幸せに思えた。

「ねぇ、凛月くん」
少し真面目そうな顔になった優夢歌さんに呼ばれる。

「はい、なんでしょう。」
部屋の空気が、ビシッと引き締まった。

「私があっちにいったら、ワビミーにさ、手紙を預けてよ。私、受け取って読むねっ!」
優夢歌さんが、いたずらをしたように笑う。引き締まった、緊張した空気も、スルスルと解けていった。だけど僕は、その言葉と空気にのることはできなかった。

「冗談だっていうのはわかってます。だけど、簡単にあっちなんて、使わないでください。天国ってことでしょう? そんなの、きっと僕は受け入れられない! 生きてください、希望を持ってください、優夢歌さん!」

優夢歌さんが、唇を噛む。
強い口調になったけど、これを言ったことに後悔はしてない。
また、優夢歌さんに問いかけた。

「何か、やってみたいこととかないんですか? 夢とか。」

しばらく、首をコトン、とかしげて考えてから、優夢歌さんが、僕に笑顔を向けながら言った。 

「私ね、広い世界に出てみたい。日常を、友達と普通に過ごしたい! 毎日学校に行って、部活やって、汗だくになって帰って怒られて…… みんなが当たり前に思っていることかもしれないけど、それが私の夢なんだ!」

そんなの当たり前なのに…… 今までだったら、いや、他の人の言うことだったら、そう思っていたかもしれない。でも、この夢を語っている優夢歌さんは、無理に話しているようには見えなかった。優夢歌さんの周りが、キラキラと輝いていた。

「僕ができることがあれば、なんでも言ってください! 役に立てることがあったら。」

僕は自分の胸を、ドンッと叩いて言った。
優夢歌さんのひまわりのような、美しい笑顔の花が咲いた。

「ふふっ。いつもありがとう! でも、凛月くんは、もう私の夢を叶えてくれてるよ!」

「えっ?」
思い当たることがなくて、頭に手を当てて考えていると、

「わからない?」
優夢歌さんがそう言って笑った。

「1人の時間が2人になった。病気を知っても、普通でいてくれる友達ができた。広い、広い世界のことがたくさん分かった。そして、その友達を待つ時間も、友達が来ている時間も、毎日が楽しくなった。
そして、この友達が、凛月くん!
まだまだあるかもだけど、とりあえずこれが正解!」

今まで、手伝うとは言ってしまったものの、迷惑かけてしかいないんじゃないかと、ずっと不安だった。だから……

「よかった! 本当によかったです。ありがとうございます、優夢歌さん!」 

今この瞬間、少しだけ目が潤んでいるのは、優夢歌さんには内緒だ。この秘密を守り抜かなきゃな、と心の中で気合を入れた。

「ありがとうは私! ありがとう合戦みたいだけど、本当に感謝してるよ! ありがとう。」

優夢歌さんの目にまで、透明な何かが見えることには、この時僕は気が付かなかった。

「随分話し込んじゃったね。今何時だろう。」

優夢歌さんのその言葉に、僕は、スマホに目を落とす。

「あっ! もう行かないと!」
知らないうちに帰らないといけない時間になっていて、慌てて荷物を持って立ち上がる。

「ねぇ、LINE交換しない?」

ふと、優夢歌さんが言った。

「え? いいんですか?」

僕は驚きながら聞く。

「うん、もちろん! はい、私のID!」

優夢歌さんが見せてくれた画面に目を落として、登録を完了する。

「何か、僕に頼むことがあったら、メールしてくださいね!」

僕がそういうと、優夢歌さんは、もう何か、一生懸命スマホに打ち込んでいた。
少しして、自分のスマホから通知音が鳴る。
LINEを開くと……

「今日はありがとう! せっかく考えてきてくれたこと、できなくてごめんね。でも、とっても楽しい時間になりました! またよろしくね!」

顔を上げると、優夢歌さんが、今日1番の笑顔で立っていた。僕も、急いで返信する。

「こちらこそ! とても楽しかったです!」

短い文だったけれど、優夢歌さんが気に入ってくれたのは間違いない。何度も自分のスマホを見ては頷き、笑顔で僕を見送ってくれた。

もちろん、そのLINE画面を、待ち受けにしてしまったことは、言うまでもない。


あれから部活が大会シーズンに入り、忙しかったせいで、次に優夢歌さんのところに行けたのは、2週間後の土曜日だった。
その日は、時間に余裕があったので、朝からお見舞いに行った。

「おはようございます!」
元気に挨拶をして、優夢歌さんの病室に入る。LINEでいくとは伝えていたから、自分よりも、ずっと元気な声が聞こえてくると思っていたのに、返ってきたのは、消え入りそうな、「おはよう」と言う声だった。
部屋を間違えたんじゃないかと、部屋の前にかかっているプレートを見る。だけど、そこにあったのは、今まで通り、変わらずに揺れている、「朝日奈」と書かれたプレートだった。

「どうしたんですか?」
優夢歌さんの顔を覗き込んで言うと、また、消え入りそうな声が返ってきた。

「早くて今日、遅くて明後日、それが私の命、そう言われちゃった」 
「そんなこと……じゃあ早く、夢を叶えにいきましょう!」

僕もショックだけど、1番辛いのは優夢歌さんなはず。そう思って、涙を堪えながら勇気付けようと言葉をかける。

「それも全部やめる。凛月くんも、早く諦めたら?」

でも、優夢歌さんの声が明るくなることはなかった。
でも耐えきれなくて、僕は叫ぶ。

「優夢歌さんの気持ちはもっと強かったはずです!そんな簡単に諦められるわけないでしょう! 諦めるのは、諦めるのは間違いだ!」
「そんなこと言ってるだけじゃないの? この辛い気持ちがわかるわけないのに!」

優夢歌さんの声は大きくなった。でも、引くことはできない。

「1番辛いのが優夢歌さんなのは分かります! でも、僕だって、苦しいのは同じです! だからこそ、夢は捨てないで、叶えてほしい! 優夢歌さんに笑ってほしい!」

一息でいいきり、はぁはぁ呼吸を整えていると、優夢歌さんが泣きながら僕を、ドアに向かって押した。

「早く1人にさせて! 帰って!もういいの、私は。友達になってくれてありがとう!」

押し出されて廊下に出る。

「優夢歌さん……」
僕は静かに病院を後にした。

家に帰って、シャワーを浴びる。ベッドに飛び込んで、気がついたら寝ていた。まず寝る前に、宿題はやったの? と母さんに怒られて、またベッドに顔を埋める。
いつもの休日。当たり前の毎日。そう思っていた日常は、優夢歌さんにとって……

また寝ていたのだろうか。気がつくと、お母さんがベッドの横で仁王立ちしていた。

「電話鳴ってるわよ、で・ん・わ! うるさいじゃないの、早く止めなさい!
それにしても、夜8時よ! こんな時間に電話してくる人も……」

ずっとごちゃごちゃ喋っている母さんの横で、スマホをとる。優夢歌さんからだった。
嫌な予感がしながら、電話に出る。

「はい、もしもし」
そう言うと、向こうから、知らない男の人の声がした。

「もしもし、優夢歌の父です。今、優夢歌の大切そうなファイルに入っていた人に、順番に電話をかけているんですが……」
「優夢歌さんに何かあったんですか!?」

叫んでから口を抑える。慌てて謝った。

「すみません、うるさかったですよね。」
「いえいえ、こんなに心配してくれる友達がいるなんて、優夢歌は幸せです。
実は優夢歌、呼吸が安定しなくて、今、危険な状態にありまして…… どうぞ、会いにきてやってください。それでは、次の電話もあるのでまた……こんな時間にすみません。」
「いえ、ありがとうございました。」

電話を切るなり、服を着替える。

「ちょっと出かけてくる。」
ずっと横にいたお母さんに言うと、お母さんが頷いた。

「遅いけど仕方ないわ。電車よりは早いでしょう。車で送っていってあげる。」

「無事だといいわね。終わったら連絡ちょうだい。何時でもいいから。迎えにくるわ。」
そう言ってお母さんに送り出され、病院に入る。階段を駆け上がって優夢歌さんの病室までくると、医者、看護師も含め、たくさんの人が出入りを繰り返していた。
ドキドキしている胸を抑え、一歩踏み出す。中に入ると、担当看護師の、葵さんが駆け寄ってきた。

「凛月くん、久しぶり、優夢歌から、いろいろ話を聞いていたの。お礼を言えてなくてごめんなさいね。ありがとう。」
誰かが葵さんにぶつかり、名札がゆらゆら揺れる。思わず名札に目をやると、「朝日奈 葵」と書かれていた。
朝日奈? 不思議に思って葵さんをもう一度見ると、どこか顔立ちが、優夢歌さんに似ている気がした。

「あ、優夢歌さんのお母さんって……」
もしかして……と思って、葵さんに聞いてみる。

「そう、葵は優夢歌の母親。で、私が父親です。」
横から、電話で聞いた声がした。横を見ると、やはり優夢歌さんの面影がある、優しそうな人が立っていた。

「こんばんは。わざわざきてくれてんだね。ついておいで。」 

優夢歌さんのことが見えるところまで連れていってもらうと、僕は、優夢歌さんの横へ駆け寄った。身体中が管と繋がれた姿を見ると、少し苦しくなった。

「優夢歌さん……」

名前を読んだその時。
聞いたこともないような音が、ビービービービー鳴り出した。僕にはその音が、悪魔の笑い声に聞こえるくらい恐ろしかった。
僕が固まっていても、周りは忙しく動き始める。

「早く! 持ってきて!」
「院長! 院長を呼んでこい!」
「お父さん! お母さん! こちらへ!」

恐ろしい音が止まった。葵さんの啜り泣く声が聞こえる。お父さんが叫んだ。
「優夢歌ーー!」

僕は、耐えきれなくなり、廊下に出た。駆け出す。すれ違うたびに注意されるが止まらない。階段を駆け降りて、外に出た。外では、知らないうちに大雨が降っていた。

「うわぁーーーーーーーー!」

渾身の力を振り絞って叫ぶ。大粒の涙が溢れ出す。雨と涙で顔がぐっちゃぐちゃになる。

「優夢歌さーーーーーーん!」
体から溢れ出す涙と声。声が掠れる。
もう一度、君の笑顔が見たい。君と一緒に笑い合いたい。

「うわぁーーーーーーーーーー!」
もう一度叫ぶ。君に届くまで。何度だってきっと。



優夢歌さんの死から1ヶ月。
あの日、僕は声が出なくなるまで叫び、泣いた。その後、母さんに来てもらって、葵さんに挨拶をした後、家に帰った。
まだ僕は、優夢歌さんの死を受け入れることができていない。
伝え残した言葉があるんだ。この言葉を、優夢歌さんに届けたい。そして、優夢歌さんの笑顔をもう一度見ることができたなら。きっと僕は……

ふと、空気を吸いたくなり、部屋の窓を開けた。深呼吸して、窓のそばを離れようとすると、空が目に入った。今日は、優夢歌さんに初めて会ったあの日と同じように晴れていた。
青い青い空の端に、白く輝く雲が見える。
「私があっちにいったら、ワビミーにさ、手紙を預けてよ。私、受け取って読むねっ!」
頭の中に、優夢歌さんのいたずらげな声が響いた。
あの日は否定したけれど、もしかしたら……

「これだ!」

ぼくは、部屋で1人でそう言い、立ち上がった。

手紙を書こうと机に向かうも、書いては破り、書いては破りの繰り返し。

「書けない!」

僕は頭を抱えて、ベッドに身を投げる。

「手紙って、何書けばいいんだろ」

手紙 書き方ーそう検索してみても、「気持ちを書く」「すべて本当のことを書くべき」
いい情報なんて全然出てこない。
画面をスクロールしていると、ある言葉が目に留まった。上から下絵と動かしていた手が止まる。
「あきらめないでやってみよう! ○△教室!」 

手紙の書き方とは全く関係のない広告だったけれど、僕は、ある自分の言葉を思い出していた。

「優夢歌さんの気持ちはもっと強かったはずです!そんな簡単に諦められるわけないでしょう! 諦めるのは、諦めるのは間違いだ!」

そうだ、優夢歌さんの夢と同じで、僕だって、優夢歌さんに会いたい、伝えたいって言う気持ちは、果てしなく強いはずだ。諦めなければ、きっとできる。

僕は再び、体を起こして机に向かった。ペンを持って、一文字、一文字、書き出す。溢れ出す、伝えたい思いを、全部書き留めればいい。優夢歌さんに伝わればいいんだから。


「できた!」

大きく息を吐いて、ペンを置く。書き始めた時は、太陽がキラキラ輝いて、部屋の中まで蒸し暑かったのに、もう窓の外は薄暗く、肌寒いくらいになっていた。
引き出しに溜まっている、封筒と切手の束から、雲のように真っ白なものを選んで、手紙を入れる。 
「すぐ戻る!」

そう言って家を出ると、僕は最寄りの駅から電車に乗った。
手紙をどうするかはもう決めている。
僕は電車を降りると、目的地に向かって一目散に駆け出した。

着いたのは、優夢歌さんが亡くなった、あの病院。
受付に行くと、父さんのお見舞いに来たときに、お世話になった看護師さんがいた。

「あら、どうしたの? お父様なら、退院なさったでしょうに。」
不思議そうにそう聞かれ、苦笑する。

「すみません、今日は別の用事で…… 看護師の、葵さんを呼んでいただけませんか? 凛月と言えばわかると思います。」
「あら、葵さん? ちょっとまっていてね。」

看護師さんは、パタパタと裏の方へ入っていった。
数分して、葵さんが、優夢歌さんのお母さんが、呼びにいってくれていた看護師さんと一緒に来た。
「ありがとうございました」

連れてきてくれたことのお礼を言って、葵さんと2人になる。

「こんにちは、凛月くん。どうしたの?」
「この前は、ありがとうございました。優夢歌さんとの約束、と言うか、やらないといけないことがあって。屋上を貸してくださいませんか?」

葵さんは、悩むような仕草をしながら、優夢歌さんと同じ、いたずらげな笑みを浮かべた。
「しょうがないわね。ついてきて!」

ギィーー。屋上の重い扉が開く。 

「1人の方がいいでしょう。終わったら降りてきてね。」

そう言って葵さんは階段を降りていった。
僕は持ってきた手紙を取り出し、空へ向かって、力の限り投げる。
手紙が、広い広い空の中へ飛び込んだ。
そして、手紙の行方を見たいのを堪えて、振り返らず、葵さんの待つところまで、駆け降りていった。
この手紙がもし届くとしたら。それは奇跡だと思う。絶対届くとは思わない。でも、もしかしたら。その希望にかけてみたい。

葵さんに早かったね、と驚かれ、何度も何度もお礼を言って病院を後にする。
駅に向かう途中。何かを感じて空を見上げた。

「あっ」

思わず声に出して立ち止まる。
涙が溢れ出した。
周りが驚いたように僕をみて、いそいそと立ち去っていく。
一瞬、空の向こうで、優夢歌さんの笑顔が見えたような気がした。


優夢歌さんへ

初めて出会った時。
僕はこの世に、こんなに「美しい」と言う言葉が似合う人がいるのかと、とても驚きました。一目惚れだったのかもしれません。
そして僕は、優夢歌さんの感情の豊かさに、会うたびに、どんどん惹かれていきました。

1人じゃない、僕は優夢歌さんにそう言いましたよね。
この1ヶ月、僕は1人で苦しみを抱え込もうとしていました。
でも、お母さん、父さん、葵さん、何も知らない友達まで、みんな僕のことを励まし、隣にいてくれました。
1人ぼっちの人なんていません。きっと、支え合える人がどこかにいます。
優夢歌さんも今は辛いかもしれないけれど、きっと天国で仲間を見つけて、幸せに過ごしているって信じてもいいですか?
最後の日。朝、お見舞いに行った時、口では夢を諦める、って言っていたけれど、本当は夢を捨てきれていなかったですよね。
目の中に、涙が溜まっているのが見えました。
もし、今度は健康になって生まれ変わり、また会うことができたなら。
その時は、一緒に、この広い広い世界に羽ばたけたらいいな。

君と過ごした時間は全部病室の中だったし、少なかったけれど。
僕にとって、かけがえのない、宝物になりました。
本当に、本当にありがとう。

そして、ひとつ謝らなければいけないいことがあります。
僕は、優夢歌さんに下に見られることが怖くて、嘘をつきました。
今思うと不思議に思います。優夢歌さんなら気にしないし怒らない、って確信しているからかな。
実は、僕は今、高校に入学したばかりの一年生です。
優夢歌さんからみると、ひとつ下の学年。
今、同じ学校で、先輩後輩として過ごしていたら、きっと毎日が楽しくなるだろうな、と想像して、ワクワクしてきました。
まだ僕は、優夢歌さんが同じ世界にいないことを、完全に受け入れることはできていないけれど。
この、抑えきれなくなった気持ちを、伝えさせてください。
僕たちの奇跡の想いが、雲まで届くことを願って。
ずっとずっと、優夢歌さんのことが好きでした。

凛月