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 馬車で揺られること二か月。

 わたしことドナドナ聖女はようやく皇帝マクシミリアンにお目見え――の予定だったのだけど、どういうわけか、王都レグースを素通りして、それより北に馬車で三日ほどのところにある、古びた城まで連れてこられた。



 薄灰色の城はフィサリア国の城よりも大きいけれど、なんかこう……前世のゲームで言うところの、ホーンテッドキャッスルっていうの? ゾンビとかお化けとかが出てきそうな外観をしている。石壁の下の当たりには緑とか赤っぽい蔦が這っていて、ゾゾっと背筋に怖気が走った。



 こう言っちゃなんだけど、わたし、世界で一番お化けが苦手なのだ。

 前世だった夏希時代、お化け屋敷とか絶対ダメだったし、大人になっても、夜中にお手洗いに行くのも怖かった。夜に、窓の外に飛んできたビニール袋をお化けと勘違いして絶叫したこともある。

 そんなわたしに、この外観は怖すぎた。



 庭は広いけれど何もないし、開くときにぎぃーっと背筋がぞわぞわっとするような音を立てる表門から考えても、ここがしばらくの間使われていなかった場所だとわかる。

 せめて内装だけでもマシでありますように祈っている間に、馬車は広い庭を横切って、正門前で停まる。すると、待ち構えていたかのように、城の中からわらわらと大勢の使用人が出てきた。

 二列に並んで、きっちり四十五度に腰を折り、一様に頭を下げて馬車からわたしが降りるのを待っている。



 えーっと、これは何かしら?



 本来ならば、聖女(身代わりだけど)であるわたしは、王都にある帝国のバカでかい城で、夫となる皇帝マクシミリアンと対面するはずだった。

 そこから数か月城ですごし、結婚式を挙げて、晴れて皇帝の正妃だか側妃だかになるはず――だったのである。

 だのにどうして王都を素通りしてこんなところに連れてこられたのだろう。



 兵隊ですかとドン引きするほど教育されている息もぴったりな使用人たちが、さも当然のような顔をしてわたしをホーンテッドキャッスル……もとい、古い城の中へ案内した。

 中に入ってみると、そこは、想像していたような埃やクモの巣だらけの室内ではなく、きれいに掃除された清潔感漂うものだったけれど、やっぱり殺風景。



 なんて言えばいいかしら? 古い城だからだろうけど、アンティークな家具で固めました的な――お化け屋敷感が抜けきれない、いやーな雰囲気。

 つーか、大階段の踊り場に飾られているすっごく大きな肖像画、あれ、怖いから外してほしいだけど。

 知らない顔だが、来ている服装から、何百年も前の人だろうことはわかる。つまり、今はいない人。夜になって肖像画から「うらめしや~」って出てきたらどうするんだろう。……こわっ!



 わたしを案内している二十歳前後のメイド二人も、さっきから強張った顔をしていて一言もしゃべらない。城の雰囲気もあってか、なんか全員蝋人形に思えてきたわ。

 というか、説明プリーズ! 部屋に案内するよりも前に、わたしに状況説明をしてほしい。

 えんじ色のカーペットが敷かれた大階段を上って、右に曲がる。その奥がわたしの部屋らしいのだが、はい質問です! このホラー邸にわたしの部屋があるというということは、わたしにここに住めって言っていると受け取ってよろしいですか⁉

 毎晩お化けに悩まされそうなこの古城に住むなんて断固拒否したいんですけど!



 拒否権すら用意されていなさそうな雰囲気なので、とぼとぼとメイド二人のあとに続いて歩いて行くと、がっかりというか、やっぱりというか、案内された部屋の中も殺風景。

 いやね、家具はアンティーク調だけどしっかりしたものが揃ってましたよ?

 憂鬱になりそうなモスグリーンのカーテンも、灰色の絨毯も、清潔なのはわかる。

 でもね!

 全部が古臭くてお化け屋敷調なのよ!

 文句は言いたくないよ? たぶんメイドさんたちは一生懸命掃除して用意してくれたんだろから。だけど、怖いものは怖いんです。このまま夜になったらベッドで布団かぶってブルブル震えちゃうから! 自慢じゃないけど、前世で十歳の時にお化け屋敷で気を失ってから、ホラー系全般大の苦手なんですよ!



 わたしは憂鬱な顔をして、促されたソファに腰を下ろす。

 このソファもさ、絶対古い。百年前のお姫様がここで毒殺されましたとか言われても、あっさり信じちゃいそうなほどに、雰囲気満点。



 ああ、やだ。もう怖い。帰りたい。

 メイド二人はにこりともせずに、本当に蝋人形みたいに目の前に直立不動で立っている。まるでわたしからの命令待ちをしているみたい。

 自慢じゃないけど、前世では一般ピープルだったし、今世でも屋根裏部屋に押し込められて使用人まがいのことをさせられていたから、人に命令することには慣れてない。ぶっちゃけ無理。だから楽にしてほしい。



 わたしもメイドもしゃべらないから、しーんと胃がキリキリしそうな沈黙が落ちた部屋に、五十前後くらいの男がやってきた。きっちり着込んでいるのは燕尾服。なんか執事っぽいと思っていたら、本当に執事だった。

 名前は何とセバスチャン! わお! ちょっと感動ですよ。元日本人のわたしにとって、執事と言ったら「セバスチャン」なのですよ。あれよあれ、「口笛はなぜ~」の歌で有名な日本の代表的なアニメの執事っぽい人がセバスチャンって言われていたから染みついたと言われている固定概念ですね!



 メイド二人と同じくセバスチャンも笑わなかったけど、顔立ちが優しそうだから、彼ならば話しかけられる気がした。

 わたしが、ここに連れてこられた理由を訊ねると、セバスチャンは眉尻を下げてちょっと困った顔をする。



「それなのですが……」



 とっても言いにくそうだ。

 けれども理由もなくここに連れてこられてチンプンカンプンのわたしは、どうしてもその理由が知りたい。というか、理由もなくお化け屋敷での生活を強要されるとか無理だから。今夜――いや、夜は怖いから明日のお昼にでも逃亡するよ!

 ソヴェルト帝国の皇帝が生活する居城を移したという話は聞いていないし、第一、もう何十年も、何百年も、忘れ去られていましたと言わんばかりの古城に住処を移すとは考えにくい。

 セバスチャンは諦めたように、コホンと咳ばらいを一つして言った。



「ここに聖女様をお連れするのは、陛下のご命令でして……」



 始終申し訳なさそうな顔をしたセバスチャンがぽつりぽつりと説明することを要約すればこうだ。



 一、皇帝は、聖女を王都にある自分の居城に住まわせたせたくない。

 二、体裁上婚姻を結ぶことになるけれど、わたしとうふふな結婚生活を送るつもりはない。

 三、聖女は生涯、この古城でのんびり生活してほしい。

 四、皇帝は「聖女」が苦手。



 もう何から突っ込んでいいやらわからないけど、頭が痛くなる事態なのは間違いない。

 皇帝は聖女が嫌いで、決まりだから仕方なく結婚してやるけど、聖女との間に子供をもうけるつもりはこれっぽちっちもなく、お前はこのお化け屋敷で一生お飾り妃としてひっそり静かに生活していろ、そういうことですか?

 セバスチャンが一生懸命言葉をオブラートに包もうとしているのがわかるけれど、努力ではどうにでもならないこともある。



 つまり、面倒くさい女が来たから古い城の中に閉じ込めておけってことでしょう?

 セバスチャンは困った顔をしているけれど、直立不動のメイド二人は眉一つ動かさない。

 聖女は帝国に嫁がされて女神のように崇め奉られて生涯幸せにそれこそ女帝のように君臨する、とかなんとかアンジェリカが夢物語を語っていたけれど、実際に帝国にしてみたら聖女なんて面倒でしかない女って言うことなのだろう。



 このメイド二人――もしかしなくても、この古城にいる使用人全員、聖女の世話をするのが嫌で仕方がないのかもしれない。

 つまりつまり、嫌な予感的中でこの古城がわたしの終の棲家になるわけで。



 ……うっわ、マジですか。お化け屋敷で一生生活するの? 最悪……。



 わたしは頭を抱えたけれど、これは決定事項のようだし、どうあっても覆られないだろう。

 わたしはしばらく茫然としたが、物は考えようだと思いなおす。

 クリスティーナはネガティブだったけれど、前世のわたしと今世のわたしの精神ががっちゃんこして出来上がった今のわたしは、前世の性格に引きずられて楽観的なので、顔も知らない男に嫁がされるよりここでのんびり生活した方がましだという結論に至ったのである。

 お化けは怖いけど、皇帝と言う面倒な地位にいる夫の機嫌を取らなくてもいい、悠々自適なスローライフ。なんたって「のんびり生活していい」という皇帝のお墨付き。うん、逆にラッキーな気がしてきたよ?

 お化け屋敷のようなお城だって、改造すれば何とかなる。

 わたしはすぐさま頭の中にそろばんを用意した。



「セバスチャン。いろいろ聞きたいことがあるんだけど、まず一ついいかしら?」

「何でございましょう、聖女様」

「わたしに割り振られる予算が一年でいかほどあるのか、教えてくれない?」



 何事にも先立つものが必要だ。

 曲がりなりにも聖女を住まわせようというのだ。まさか予算が金貨一枚も割り振られていないなんて言うまい。

 にっこり笑ってお金の話をしはじめたわたしに、セバスチャンが目を丸くする。

 先ほどから蝋人形のようだったメイド二人も、はじめて表情を変化させた。



「予算……でございますか?」

「そう」

「ええっと……なぜでございますか?」



 必要なものがあれば言っていただければ用意しますが、とセバスチャンは言うけれど、じゃあこの城ごと立て直してくださいって言ったらそうしてくれるのかという話だ。絶対無理である。



「予算内でお城を改装しなくちゃいけないでしょ?」

「……改装?」



 おっと、説明を省いちゃったからか、セバスチャンの頭の中が「?」でいっぱいになったみたい。

 わたしは手身近に、この城がお化け屋敷みたいで怖いから改装したいと説明した。



「はあ……お化け屋敷ですか」



事情は理解してくれたようだけど、セバスチャンは困惑顔。



「だから予算を見ながら改装計画を立てるの! 見てよこのシャンデリア! 怖すぎでしょ⁉ 夜に子供の幽霊が乗ってぶらぶら揺らして遊んで、そのせいで落っこちてきたらどうするの⁉ 寝ているわたしの上に間違って落ちてきたら、わたし、そのままお陀仏じゃない!」



 わたしが力説すればするほど、セバスチャンが遠い目をする。

 それまで蝋人形のようだったメイド二人が、我慢できないとばかりに横を向いて肩を揺らしていた。必死で笑いを堪えているのがわかる。よかった。二人は人形じゃなくてちゃんと人間だったらしい。



「その……聖女様が、改装計画ですか?」

「そう。ここに生涯住めってことは、ここをやるから好きにしていいってことでしょ? だからわたしが住みやすいように改装するの! あ、あと、その聖女様ってやめてくれる? むず痒いから。クリスティーナって呼んでほしいの。ということで、はい。予算表ちょうだい」



 プリーズって両方の手のひらを上に向けて差し出せば、セバスチャンは困惑顔のまま、「少々お待ちください」と言って部屋から出て行く。

 やがて持って来た彼の手には、帳簿が握られていた。

 パラリとめくると、きちんと配分される予算も書かれている。

 お、意外と多いじゃない。これだけあればお化け屋敷とはおさらばできそうね。

 じろじろと帳簿を見るわたしを、困惑顔から心配顔に変わったセバスチャンが見つめている。

 その目はあれね。わたしがこのお金をぱーっと無駄に使ってしまわないか心配しているのね。

 でも心配ご無用。この「賃金」と書かれている欄のお金には手を出しませんよ? これは使用人の皆様のお給料に宛てる分でしょうからね! 



 わたしはソファから立ち上がって、この女主人らしく胸を張ってみる。

 だって、わたしのために用意された城なら、ここの主人はわたしでしょ?

 そして、高らかに宣言した。



「お城の、大改造を行います‼」