ソヴェルト帝国、王都レグースの城からほど近いところにある離宮で、一人の女性が夜闇に覆われた窓外を見るともなく眺めていた。

 艶やかな金髪を背中に流し、風呂上がりのしどけないバスローブ姿で窓の桟に肘をついている。

三十五年前に当時皇帝だった先々帝に、小国フィサリア国から嫁いできた彼女――セラフィーナは「聖女」だ。



 当時のフィサリア国王から選ばれた彼女は、ソヴェルト帝国の王妃として、国母として、華やかな人生を送るはずだった。

 緑色の目を夜空にかかる朧月に向けていたセラフィーナは、目の前に置かれたティーカップへと視線を動かすと、やおらそれをつかんで、そばにいたメイドに向かってまだ熱い中身をぶちまける。



「この香りの紅茶は嫌いだと、前にも言ったでしょう」



 苛立ちを含んだ声で言い、赤くなった腕を押さえるメイドには見向きもしない。

 メイドが震えながら「すぐに入れなおしてまいります」と言って部屋から出て行くと、セラフィーナは物憂げなため息をついて立ち上がった。



 ライティングデスクに移動して、一番上の引き出しをそっと開く。

 中から出てきた手紙は、祖国フィサリア国から魔術で転送されてきたものだ。魔導士の数は極端に少ないが、だからこそ、フィサリア国では彼らを厚遇し、国家魔導士として重宝している。

 一人一人の力はそれこそ大したことはないけれど、例えば手紙を転送したり、汚れた水を浄化したりと、使いようによってはとても便利だ。

 最も、技術が進歩している現在、彼らの力をもってしなくてもいくらでもまかなえる部分はあるけれど、利便性という点においては魔導士が勝っている。



 聖女はソヴェルト帝国に嫁いだ時から、祖国フィサリア国との情報のやり取りを禁止されるが、このように、いくらでもやりようはあるのだ。

 忌々しいことに、今は亡き夫はそれまでいた正妃――セラフィーナが嫁いできたことによって側妃になったが――ばかり大切にして、セラフィーナをないがしろにし、あまつさえ側妃殺害の嫌疑で離宮にまで幽閉したけれど、逆を言えばだからこそ自由にできることもある。

 夫はセラフィーナを顧みなかったし、憎い側妃の産んだ子である先帝もそう。夫の孫である若き現帝マクシミリアンも、セラフィーナに会いに来ることはない。



(でも、もうじき聖女の偉大さを思い知ることになるわ)



 手紙は二通。

 一通はフィサリア国王から、もうじきマクシミリアンに聖女が嫁ぐから、よろしく頼むとのこと。

 もう一通は――



「ふふ、ふふふふふ……」



 面白くなってきた。



(正攻法で手に入らないならば、手段を変えればいいだけのこと)



 四百年の長きにわたりこの大陸を支配してきた帝国の時代は終わるのだ。

 セラフィーナは二通の手紙を小さく燃えている暖炉にくべると、じりじりと封筒の端から萌えて黒くなっていくそれを眺めて、うっそりと笑った。