セラフィーナから手紙が届いたのは、マクシミリアンが再び古城に来て四日目の朝のことだった。
わたしの部屋まで手紙を運んできたセバスチャンのあとをくっついて来たマクシミリアンは、わたしの隣に座って、封を切った手紙を覗き込む。
どうでもいいけど、近くない?
貯水池のほとりで話をした夜から、妙にマクシミリアンが近い。あちらは平然としているから、ドキドキするわたしがおかしいのかしらと思ったりもしたけど、やっぱり近すぎるよね?
ゆったりと座れるソファだから、そんなにぴったりと肩をくっつけて座らなくてもいいと思うの。
手紙の内容が気になるなら、わたしはあとでもかまわない。先に読ましてあげるから、お願いだからせめて拳一個分くらいは間を開けてほしい。
マクシミリアンは、自分が無駄にイケメンだって自覚していないと思う。ドキドキしすぎて顔が赤くなりそうなんですけど。
隣のマクシミリアンが気になって手紙の内容が頭に入ってこないわたしとは対照的に、マクシミリアンの表情はどんどん険しくなっていく。
「クリスティーナ」
いつの間にか「聖女」呼びからすっかり「クリスティーナ」呼びに変わったなあと思いながら返事をすると、マクシミリアンが言った。
「お前、本当に『国の意思』とやらは知らないんだな?」
知らないけど、なんでそんなことを訊くのだろうかと首をひねったわたしは、手紙を読み進めてギョッとした。
――帝国を手に入れた暁には、マクシミリアンは処刑する運びとなるでしょう。国の意思を果たせないあなたには申し訳ないとは思いますが、あらたな嫁ぎ先としてエンバース侯爵に口利きをしておきました。マクシミリアン亡きあとは、エンバース侯爵のご子息があなたの夫となりますので、ご安心なさい。
はいぃ⁉
なんだこれ。
その前後の手紙の内容もさっぱりわからないが、勝手に新しい嫁ぎ先まで用意されているんだけどどういうこと?
というか、帝国を手に入れてマクシミリアンを処刑って、正気⁉
「なにか陰でこそこそしているのは知っていたが、国の乗っ取りとは大きく出たものだな」
わたしは驚きすぎて言葉もないのに、マクシミリアンは意外と平然としている。
どうやら、過去に周囲の国を吸収し大きくなった帝国では、小さな諍いはあまり珍しいことではないそうで、帝国の乗っ取りを測ろうとする頭の悪い連中は、歴史を紐解いても、ぽこぽこ顔を出して地上を窺うモグラみたいに、ちょいちょい存在していたらしい。
それを過去の皇帝陛下たちはモグラたたきよろしく潰して来たそうで、皇帝となったマクシミリアンも、常にその可能性を念頭に置いて政を行ってきたという。
だから、セラフィーナが陰で動いていることに気づいた時点で、彼女が取るであろう行動の一つに、国家転覆という大それた計画があるかもしれないと想定していたそう。
うわあ、考えただけで頭痛がしてくるね。わたしのすっからかんな頭では、逆立ちしたって皇帝陛下にはなれないわ。
基本的にわたしの頭は単純にできているので、難しいことはよくわからない。人の裏をかくことなんて無理無理。今のこの状況だってさっぱりだ。
でも、「国の意思」ねえ。なんなんだろう、それ。それっぽいこと、ここに嫁ぐ前に聞かされただろうか。
うーんと首をひねってみる。なんか、頭の隅っこの方に、まるで錘張りが立ったみたいに小さく引っかかるような何かが、あるような。ないような。
わたしがうーんと頭を右に左に傾げていると、マクシミリアンが訊ねてきた。
「それでお前、どうするんだ?」
「何がですか?」
本当にわからなかったから訊き返したのだが、マクシミリアンはあきれ顔をする。
「何が、じゃない。セラフィーナのところに行くのか?」
なんで?
「お前、この手紙を最後まで読んだのか?」
「読みましたよ。なんか勝手にわたしの新しい嫁ぎ先が決められててびっくりです」
「そこじゃない!」
マクシミリアンはこめかみを押さえて、手紙の一番最後を指さした。
「ここだ」
まだほかに重要なことが書いてあっただろうか?
マクシミリアンが指さした先に視線を向けたわたしは、「追伸」からはじまる最後の一文を見落としていたことに気が付いた。
んーなになに?
――追伸。つきましては、あなたはすべてが終わるまで、わたくしの離宮にいらっしゃい。あなたの未来の夫となるホレイシオもこちらにいらっしゃいます。
「……なんですか、これ。わたしの未来の夫が待っているらしいですよ?」
「お前に未来の夫など存在しないから安心しろ。そうじゃなくて、セラフィーナに呼ばれているが行くのかと訊いているんだ」
「え⁉ わたし生涯未婚ですか⁉」
前世では未婚だったから今世では結婚を経験してみたいんですけど!
「なぜそうなるんだ! お前は俺に嫁いできたんだろう⁉」
あれ、その話はまだ有効だったの?
わたしが身代わりだと知られた時点で有耶無耶になったとばかり。
あはは、とわたしが渇いた笑い声をあげると、マクシミリアンがじろりと睨んできた。
まあ、マクシミリアンに嫁ぐ嫁がないを置いておいても、わたしがこのホレイシオとかいう男に嫁ぐことになるのは、マクシミリアンが処刑されたあとのことだ。マクシミリアンが処刑されるところなんて見たくないので、わたしがホレイシオに嫁ぐことはないだろう。そう願いたい。
セラフィーナのとこに行きたくはないけれど、行った方がいろいろと探りを入れやすいかもしれない。今のこの手紙だけでは、セラフィーナが何を計画しているのか明確ではないからだ。
マクシミリアンだってもちろんすべてがわかっているわけではないだろう。彼が今後、セラフィーナの起こそうとしている謀反――でいいのかな?――を防ぐためにも、できるだけ情報を集めておいた方がいい気がする。
幸いにしてセラフィーナはわたしを味方だと認識しているようだし、ここはお招きを受けた方がいいかもしれない。
「行かなかったら逆に怪しまれそうですし、わたしが行って探りを入れてきた方が陛下も都合がいいんじゃないですか?」
「だが、危険だろう」
「大丈夫だと思いますよ。たぶん。手紙を見る限り、わたしはセラフィーナ様側の人間だと思われているみたいですからね」
むしろセラフィーナの近辺を探れるのはわたししかいないだろう。マクシミリアンみたいに賢くないので、うまく情報を集められるかどうかが心配だけどね。
マクシミリアンが額を押さえた。
「……お前、本当に能天気だな」
失礼ですね。否定はしませんけど。
「しかし、方法としては悪くないのではありませんか? こちらとしても、あちらの行動をすべて把握しているわけではありませんし、フィサリア国の動向も気になります」
それまで黙っていたセバスチャンが口を挟んだ。さすが元マクシミリアンの側近。執事に転職したとはいえ、ここぞというときにはビシッと言う。
うんうん、とわたしが頷くと、マクシミリアンが怖い顔をする。なんで怒っているのだろう。
「お前、ホレイシオに会いたいだけじゃないだろうな」
「どうしてそうなるんですか」
ぶっちゃけそのホレイシオとかいう男にはちっとも興味はございません。
マクシミリアンはまだわたしがセラフィーナのところへ向かうのが気に入らない様子。わたしだってね、行きたくて行くんじゃないんですよ。用水路だって途中だし。でも、変に戦争とかはじめられたらいやだし。それでマクシミリアンが処刑されるのはもっと嫌だし。だから自らスパイになることを買って出たんです。……っていうか、スパイっていい響きだね。かっこいい。
「だがお前ひとりで行かせたら絶対にボロを出すだろう」
あなた、わたしを何だと思っているんですか。わたしだってやればできる子ですよ。たぶん。一応、実家の公爵家ではイロイロ我慢して生活していましたからね。記憶を取り戻す前ならいざ知らず、取り戻してからの素のわたしなら、偉そうに命令してくる義母や異母妹に言い返すことくらい、しようと思えばできたんです。それを我慢して耐えていたんだから、わたしだってやればできるんです。
わたしはどや顔で大丈夫だと言ったけれど、マクシミリアンはちっとも信用してくれなかった。
すると、優秀なセバスチャンがさっと助け舟を出してくれる。
「それでしたら、アンとミナをお連れください。身の回りのことをするメイドを連れていくくらい、咎められないでしょうからね」
マクシミリアンはわたしの背後に控えているアンとミナに視線を向けて、一つ頷いた。
「……まあ、二人が一緒なら」
どれだけ信用されてないんですかね、わたし。
まあ、アンとミナがいると大変心強いのは否めませんけどね!
なんかちょっと納得いかないけれど、こうしてわたしはセラフィーナの離宮へ向かうことが決まった。