温かくなった部屋の中で大きく伸びをして、わたしは壁にかけられている着古したメイド服に着替える。

 早く仕事をはじめないと、義母のエメリーンや異母妹のアンジェリカがキンキン声で怒鳴りつけてくる。

 父のゲイリーはわたしに無関心なので何も言わないが、エメリーンたちの甲高い声が耳障りなようで、それもこれもわたしのせいだと、冷ややかな氷のような目で睨みつけてくるのだ。



 アンジェリカに微笑みかける父は、わたしには笑いかけない。

 幼いころ、縋れるものは冷たい父しかいないと信じていたわたしは、それが悔しくて悲しくて仕方がなかったけれど、十歳になって乳母を取り上げられたあの日、すべてを理解した。

 父は、わたしが邪魔なのだ。



 エメリーンが厭味たらしく語ることには、父ゲイリーはわたしの母との結婚を望んでいなかったらしい。

 母と結婚する前から父にはすでにエメリーンという恋人がいて、わたしの母と結婚したのは、すべて祖父の命令だったとか。

 祖父が死んで、そのあとすぐに母も死んで、母の喪が明けないうちにエメリーンと再婚した父は、もしかしなくても二人が死ぬのを今か今かと待ちわびていたのかもしれない。

 祖父のことも、わたしの母のことも憎んでいたのだろう。

 だから母の娘であるわたしのことも、娘だとは思っていないに違いない。



 それがわかったら、何故だかおかしくなってきた。

 使用人たちはわたしに優しい。けれども、わたしが一番愛してほしかった父は、わたしに無関心なのだ。

 嫌われるより、無関心でいられることの方が何倍もつらいけれど、逆にここまで無視されればあきらめもつく。



 ああ、わたしは生まれるべきではなかった存在だ。

 本当なら、王太子ジェラルドとの婚約だって、わたしではなくアンジェリカと結ばせたかったはずだろう。

 しかしアンジェリカは、わたしが八歳、アンジェリカが六歳の時に、聖女だと認定された。

 実際アンジェリカが力を使うところは見たことがなかったけれど、聖女を選ぶとされる「聖王の泉」が光ったのだから、彼女が聖女で間違いないのだ。

 わたしはあの日、アンジェリカと一緒に「聖王の泉」にいて、その泉が光るところをこの目でしかと見た。その直後、アンジェリカが興奮して「わたしが聖女よ!」と叫びながらゲイリーとエメリーンに抱きつくところも。アンジェリカを高く抱き上げて「さすが私の娘だ」と満面の笑みを浮かべる父の姿も。蔑んだ目をこちらへ向けるエメリーンの姿も。



 聖女は帝国の皇帝に嫁がなくてはならない。

 帝国に嫁げば、女神もかくやと言わんばかりに大切に大切にされるのだそうだ。

 アンジェリカは自分が女帝として帝国に君臨する妄想でもしているのか、恍惚とした目をして何度もこう語った。



 ――わたしは女神になるの。その時に召使にならしてあげてもいいわよ。



 アンジェリカのその口癖がぴたりと止んだのは、わたしが十四の夏のこと。わたしと、わたしより一つ年上のジェラルド王太子との婚約がまとまったときだった。

 王の命令で決まったこの婚約だが、ゲイリーは直前まで辞退を申し上げていたらしい。クリスティーナは出来の悪い娘で、王太子殿下の婚約者が務まるはずはないと。



 けれども、父が何を言おうと、王の命令も、わたしがアシュバートン公爵家の娘である事実は覆せない。

 わたしと王太子ジェラルドの婚約は父の抵抗も虚しくあっさりとまとまり、それを聞いたアンジェリカとエメリーンは激高した。

 アンジェリカなどは、自分は帝国で女神になると騒いでいたにもかかわらず、「王妃になるのはこのわたしよ!」と言って大騒ぎをはじめた。

 帝国の皇帝の妃と、フィサリア国の王妃。同時になれるはずもないのに馬鹿なことを言うものだ。



 わたしの心は十四歳の時にはすでに半分死んでいたようなもので、誰と婚約させられようがどうしようがどうでもいいと思っていた。

 この先一生、誰からも愛される気がしない。

 幼少期に自分にとって唯一の存在だと信じていた父から顧みられない現実は、思った以上にわたしの心に闇を巣くわせていたらしい。

 普段は使用人のように扱う癖に、「公爵令嬢」としての対面を保っていなければならない日――簡単に言えば家の外に出す時だ――には、豪華なドレスを着させられ、父からは「お前は余計なことを喋るな」と言われる。まるで人形にでもなれと言われているようで、ならばいっそ望み通り人形に徹してやろうと、わたしは一切笑わなくなった。

 そんな日々が続いて、次の春で十九歳になるわたしは、来年にでもジェラルドと結婚式を挙げることになっていた。