マクシミリアン皇帝をお化けと勘違いして大騒ぎしてから一夜明けた。

 まだ微熱があるわたしは、部屋で朝食を取ったのち、ベッドに上体を起こして本を読んでいた。

 微熱程度なら平気だって言ったんだけど、アンとミナ、それからセバスチャンの三人に口をそろえて「平熱に戻るまでベッドから出るな」と怒られれば逆らえない。



 セバスチャンが言うことには、皇帝マクシミリアンはわたしの体調が戻るまでここに滞在するらしい。

 ここに来た用件は本人が言った通り結婚誓約書にサインをもらうことだったそうだが、正直、サインする程度ならば熱があったってできる。が、どうやら結婚誓約書にサインする際に、司祭が立会人となり、結婚に関する誓い(あれだ、やめるときもすこやかなるときも~とかいう結婚式の常套句のようなもの)をする必要があるらしくて、体調不良なのに無理をさせるべきではないと判断されたという。

 というか、だったらなおのこと、どうして昨夜、マクシミリアンはわたしの部屋に入って来たのだろう。サインがほしかったわけではないのか。意味不明。



「あー、むり、退屈」



 微熱があるせいか、本の内容がさっぱり頭に入ってこない。これはミナの私物のゆるーい恋愛小説らしいのに、それすら三ページも読めなかった。

 いっそ外で派手に魔法でもぶちかました方がすっきりしそうだが、ベッドから出てはダメだと言うからそれもできない。

 暇だなあと意味もなくベッドの上をごろごろと転がっていると、レモン水を持ったアンがやってきた。ちょうど喉が渇いたからありがたい。



「そう言えば奥様、近くの村人が大量にイチゴを持ってきましたけど、食べますか?」

「イチゴ? 食べるけど、なんで?」



 なぜイチゴを持って来たのだろう。不思議に思っていると、イチゴは水のお礼だという。

水を節約しながら作物の栽培を行っていたせいか、育てているものが一部枯れはじめて絶望していた時にわたしが貯水池を作って好きなだけ水を持って行っていいと言ったから、畑が何とか持ち直したそうだ。

 なるほど、納得。そして畑が復活したなら本当によかった。これで食糧難は免れるかな?

 水がたりなかったせいか少々小ぶりなものが多いけれど、できるだけ形がよくておいしそうなものを持って来てくれたそうで、アンが運んできたイチゴはどれも真っ赤で美味しそうだった。



「それから、もしよかったらこちらのイチゴを陛下や司祭様にもお分けしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんいいわよ。たくさんあるんでしょ? 陛下たちだけじゃなくて、城のみんなで食べればいいじゃない」



 イチゴはあまり日持ちがしない。余るようならジャムにしてもいいけれど、せっかくだからみんなで美味しく頂けばいいと思う。



「アンも食べなよ。甘くておいしいよ?」



 イチゴの入った皿を差し出せば、アンが一つ取って口に入れる。口元が緩んだから美味しかったんだろう。



「みんなにいきわたるくらいある?」

「もちろんございます」

「よかった。じゃあ、あとでみんなに配っておいて」



 わたしは今もらった一皿で充分だ。もぐもぐ食べながら、イチゴを育てるのもいいかなあと窓の方に首を巡らせる。

 貯水池から水を引く用水路を作ったあと、その用水路の周りにイチゴを植えてみたらどうだろう。白い花は可愛いし、イチゴは食べられるし、一石二鳥ではなかろうか。



「そう言えば昨日のことだけど、どうして陛下がこの部屋に来たのかわかった?」



 訊ねると、アンは困った顔をする。



「すみません。理由はよく……。もしかしたら、クリスティーナ様を心配なさったのかもしれませんね」

「それはないでしょ」



 わたしはアンの推理をバッサリと一刀両断した。

 なぜならマクシミリアンは聖女嫌いらしい。嫌っている女を心配するとは思えないから、むしろ闇に乗じて息の根を止めに来たと言われた方がしっくり――は! どうしよう、何気なく考えたけど、これは名推理じゃない?

 ここは古城。内装は乙女趣味に変えちゃったけど、サスペンス劇場にはもってこい。ある朝メイドのアン達が聖女を起こしに来るとすでに息がなく体は冷たくなっていた。犯人は誰だ! まさか皇帝⁉ ……なあんて、ドラマとしてはまあまあだと思うけど、殺されるのが自分だから笑えない。



 あーやめやめ。アンにもわからないならわたしにわかるはずないわ。



 イチゴを食べ終えると、わたしはアンに頼んで古城周辺の地図を持ってきてもらった。

 ベッドから出られないなら、貯水池からどこまで用水路を伸ばすか計画を立てようと思ったのだ。

 本の内容は頭に入らないけれど、このくらいなら考えられそう。

 あまり長い距離を伸ばすと、行き届くまでに水が蒸発してなくなりそうだから、せいぜい隣の村と町までが限界か。もう少し広範囲に広げたいけど、さすがに無理かな。

 せめてそこまで用水路を広げれば、今日も今日とてせっせと水を得るために荷馬車を走らせてやってくる人たちも、少しは楽になるだろう。



 前世で暮らした日本は水が豊かなところだったから、それこそ水不足で深刻な状況に陥ったことがなくて、まだあまり水がなくなるという状況がどういうことなのか理解できていない部分はあるけれど、遠い距離をわざわざ水を求めてやってくるくらいだから、死活問題には違いない。



 所詮水。されど水。ってことかしら?



「あー、早く用水路に取りかかりたい」



 どうやら考えていたことが口に出ていたらしく、アンがくすりと笑った。



「お医者様が、明日には熱も下がるでしょうとおっしゃっていましたから、明日なら自由に動いても大丈夫ですよ」

「そう? だったら今日のうちに用水路をどこに作るか練っておかないとね‼」



 わたしはパッと顔を輝かせて、地図を食い入るように見つめた。

 まずは使用人のみんなが欲しがっている古城の庭に水を引き入れる用水路。これは厩舎小屋を経由すれば、彼らも厩舎小屋の掃除や動物たちへの水やりが楽になるだろう。

 そのあとは近くの村や町へ引く用水路だが、どこを通せばいいだろうか。

 地図と睨めっこをしていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。

 アンが様子を見に行けば、扉の外には優しそうな司祭様の姿があって目を丸くする。

 入っていいかと訊ねられたので頷けば、司祭様はわたしのそばまでやってきた。



「お加減はいかがですかな?」



 アンによれば、この司祭様は枢機卿の一人に選ばれているとても偉い方だそうだ。

 ただの優しそうなおじちゃん――おじいちゃんに近いかな?――に見えるけれど、そう聞けば背筋が伸びるってもので、わたしは地図を脇においてベッドの上で姿勢を正した。



「もうだいぶいいんですよ。熱も下がりましたし」



 アンが司祭様のうしろですかさず「微熱がございます」とツッコミを入れたが、わたしは聞こえなかったふりで微笑んだ。

 微熱なんて熱のうちに入らないってば。みんな大げさなんだよ。

 司祭様はわたしの体調を心配して様子を見に来てくれたらしい。わたしが元気そうだったからか、ホッとした様子で、少しだけ世間話をしてから、長居をしても悪いだろうと立ち上がった。

 しかし、出て行く前に部屋の隅に投げていた古い壺のようなものを見つけて足を止める。



「聖女様、あちらは?」

「ああ、あれですか? 貯水池を作ったときに出てきたものらしいです。高く売れそうなら売ろうと――司祭様?」



 そろりそろりと古い壺に近づいて行った司祭様が、突然目の色を変えてがばっとそれを持ち上げたから、わたしもアンもギョッとした。

 ひっくり返したり、表面をこすったり、近づけたり遠ざけたりしながら、何度もその壺を見分していた司祭様が、勢いよく振り返る。その目が血走っていて、ちょっと怖かった。



「これをどこで⁉」

「ですから、貯水池を作ったときに、ぷかっと浮かんできたらしくて……」



 聞いているのかいないのか、司祭様は壺を持ったままベッドまですっ飛んでくると、わたしの目の前に壺を掲げた。



「これは世紀の大発見ですよ‼」

「はい?」



 この古い壺が? もしかしなくても値打ちものだったのだろうか。わたしの脳裏に伝家の宝刀よろしくしゃきーんとそろばんが現れる。売れる? もしかしなくてもいい値で売れる? 城の改装の出費が回収できるくらいの高値で売れる?



 思わずごくりと唾を飲みこんだお金のことしか考えていないわたしに、アンが「やれやれ」という顔をしたけれど、アンだって食べるものがなくて水だけの生活なんて嫌でしょう? これを売って大金が手に入るなら万々歳じゃないの。

 いったいいくらくらいになるのかなとわくわくしていると、司祭様が興奮して言った。



「これは聖王様がご存命だった時代に存在したとされる神具です! 四百年前の戦時中に紛失されたきりで、私も絵でしか見たことがございませんが……間違いございません‼」

「寝具?」

「寝具ではなく神具です!」



 寝具と聞いて壺を枕にでもするのかと思ったけれど、寝具ではなく神具の間違いだったそうだ。

 さすがに恥ずかしくなってわたしは顔を赤くし、アンが「はー」っとあからさまにため息をついたけれど、そんなダメな子を見るような目で見なくてもよくない? だって「神具」なんて聞いたことないもん。

 でも待てよ。神具ということは、わたしが想像しているよりも高く売れたりしないだろうか。



「ち、ちなみに、それを売ったらおいくらに……」

「値段など恐れ多くてつけられません!」



 えー。値段付けられないんじゃ売れないじゃないの。

 売れないなら興味ないから興奮している司祭様にあげちゃおうかと思ったんだけど、司祭様はどうあっても「神具」について熱く語りたかったらしい。

 興味なさそうなわたしの様子に気が付かないのか、熱弁を振るった。



「これは聖王シュバルツア様がお作りになったと言われている万能薬を生成する壺でございまして、『聖王シュバルツアの壺』と呼ばれております! 実際にこの目では見たことがございませんが、文献によりますと、この壺で作った万能薬はあらゆるものを浄化し、ひどい怪我でもたちどころに治癒できるという優れものでして――」



 うっわー、胡散臭ー。

 なんかのゲームに出てくる錬金窯みたい。

 だいたい名称が「聖王シュバルツアの壺」なんてそのままじゃないの。



 どう見てもそんなにすごいものには見えないのだけれど、興奮した司祭様によると、この中に水を入れて魔力を注げば、その「万能薬」とやらが出来上がるというものらしい。

 壺に入れただけで水が万能薬に変わるなら、それがぷかぷか浮いていた貯水池の水は全部万能薬じゃないのかと思ったのだけれど、この壺には唯一にして最大の欠点があるという。



 それは、壺に水を入れたあとで、聖王シュバルツアと同等の優れた魔力の持ち主が魔力を注がないといけないというもの。

 つまり、紛失する四百年前も、誰一人としてこの壺で万能薬とやらを作ったことがないらしい。

 昔のお偉い様が聖女に試すように言ったことがあるらしいのだが、歴代の聖女は頑として首を縦に振らなかったとかなんとか。



 うん。胡散臭いを通り越して、もう馬鹿馬鹿しくなってくるわ。

 つまり名前ばかりの骨董品じゃん。売れないならガラクタでしかない。やっぱりいらないから、熨斗つけて司祭様に進呈しよう。そうしよう。



 しかしどういうわけか、司祭様がキラキラとした目でわたしを見ている。



「聖女様」



 何かを強く訴えるような声でわたしを呼んで、こう、じーっと穴が開くほどに見つめてくる。



 これはあれですか? わたしにそのガラクタを試せと?

 聖王シュバルツアと同等の魔力の持ち主でないと無理なんでしょ? わたしがどうこうできるはずもない。



 それなのに、司祭様の視線を受けて、アンが水を取りに行ってしまった。



「…………無理だと思いますよ?」



 あとあと司祭様ががっかりしないように念を押したけれど、どうあっても試してほしいらしい。

 アンが持って来たコップの水を受け取ると、司祭様は水を壺の中に入れて、わたしに「さあどうぞ」と手渡してきた。



 つーか、さっきまでわたしの体調不良を心配していたんじゃないんだろうか。やれやれだ。

 アンまでちょっぴりわくわくした顔をしないでほしい。

 わたしは壺を受け取ると、壺の底にちょろっと入っている水を確認してから諦めた。



 失敗してもわたしのせいじゃないからね?

 司祭様が強引に壺を持たせただけだからね?

 あとあと「役立たず」とか言わないでよ?



 わたしは大きく息を吸い込むと、やり方がよくわからなかったので、とりあえず「薬になれー」と祈りながら壺に魔力を注いでみた。

 その瞬間、ピカッと一度だけ壺が光って、それから消えた。

 びっくりしたけれど、中を覗き込んでも、水はやっぱり水だった。色がついたりとか光ったりとか、何か特殊な変化は見られない。

 だというのに、司祭様は嬉しそうにわたしの手から壺を取り上げると、「試してきます!」とか言ってそそくさと部屋から出て行ってしまう。



「なんだったのかしら、ねえ、アン? ……アン?」



 アンの姿が見えないと思ったら、司祭様のあとをついて出て行ってしまったらしい。



「…………。……寝よ」



 別に疲れたわけではないけれど、すごい茶番につき合わされた気になって、馬鹿馬鹿しくなったわたしはベッドに横になった。