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「ちょっと考えればわかったでしょう」



 アンの説教が長い。

 わたしはベッドの中で、くどくどと三十分は続いているアンの無限ループな説教を聞くでもなく聞きながら、ああ、頭が痛いなあと思っていた。

 アンの隣で、ミナが水に濡らして絞ったタオルを、わたしの額においてくれた。

 わたしは今、風邪を引いて寝込んでいる。



 事の起こりは二日前。

 近隣の村の村長が、セバスチャンと話をしているのを偶然耳にしたことがきっかけだった。

 古城のあるこのあたり一帯は、王家直轄地なんだそうで、特定の領主がいない。そのため、何かあれば直接皇帝陛下や彼の側近に相談していたそうなのだが、セバスチャンが古城に住みはじめてからは、皆、セバスチャンへ連絡をしてくるようになった。何でもセバスチャンは、古城の執事を任命されるまでマクシミリアン皇帝の側近だったそうなのだ。今までも何度もこの地に住む住人の相談に乗ってきたらしいから、そりゃあそんな人が近くに住みはじめればこれ幸いと押しかけて来るのは当然だろう。



 玄関先でセバスチャンと村長が話し込んでいた時、わたしはちょうど庭の畑の手入れに向かうところだった。面倒なところは魔術でズルをしたりしているのだが、使用人の中にも畑仕事が好きな人がいて、彼らが楽しそうにしているので、最近では水やりくらいにしか魔術を使用していない。

 今日はそんな農業仲間の使用人たちと、さやえんどうの周りに支柱を立ててネットを張るつもりだったのだが、深刻な顔をしているセバスチャンと村長の顔を見たら、むくむくと好奇心が頭をもたげて、わたしはネット張りを使用人たちに任せると、そーっと聞き耳を立てた。



「今年は例年よりも水不足が深刻化しそうです」



 水不足、と聞いて、そう言えば最近雨が降っていないなあと思い出す。



「陛下も、貯水池を作りたいとはおっしゃっていましたけれど、そうすぐに取りかかれるものでもなく……」



 セバスチャンも弱り顔だ。

 水不足がそれほど深刻なのかと真剣に聞き入っていると、背後から「何をしているんですか」とアンの冷ややかな声が聞こえて、わたしはびくりとして振り返った。

 アンはわたしの肩越しにセバスチャンと村長を見て、ああ、と頷く。



「またいらっしゃったんですね。……何度も来られても、こればかりは一朝一夕で解決できる問題ではございませんのに」

「どういうこと?」

「水の問題です。このあたりは例年水不足に悩まされておりまして、陛下も対策を考えてくださっているようなのですが、なかなか」



 アンによると、古城がある地域は雨が少なく、旱魃が起こりやすいらしい。

 南に馬車で三日の距離にある王都レグースも雨が少なめの地域だというけれど、そこは離れたところにある川から水を引き入れているし、地下に水脈も通っているからあちこちに井戸を掘っていて何とか賄っているらしい。



 もちろん古城も、その近辺の町や村にも井戸はあるけれど、川がない。

 雨が少なく、特にこれから夏にかけて、井戸の水位も下がるらしい。

 このあたり一帯で、乾燥に強い植物ばかり育てられているのはそのせいらしく、特に今年は春先の雨も少なかったから、夏の水不足と、それに伴う農作物の出来が心配だと聞いて、わたしは青くなった。



 だって、考えてみてほしい。

 水不足はもちろん問題だが、そのせいで農作物の出来が悪ければ、それだけ野菜や果物、穀物の値段が跳ね上がる。

 自給自足を目指して頑張っているものの、まだはじめたばかりで、食料を購入せずに生活できる状況には至っていない。食料の値段が上がれば、わたしがぱーっと古城の改装計画でお金を使いまくった今の古城の財政ではかなり苦しくなってしまう。わたしのドレスを売ってまとまったお金が手に入ったとはいえ、さすがに次の予算が割り振られる一年後までは持つまい。



 わたしの我儘でお城の改装なんてしちゃったから、お金がないから食べるものを我慢してね、なんて使用人のみんなに言えるはずもないし、そんな我慢はさせたくない。

 もっといえば、旱魃のせいでこのあたり一帯に飢饉が発生したら大変だ。

 食糧難に陥ったとき、国からの補助がどれほど出るかはわからないけれど、補助で出る食料なんてたかが知れている。みんながお腹いっぱいになるほどもらえるはずはない。

 急いで対処しなくては。

 対処方法は単純だ。水さえあればいい。



 しかしわたしが魔法を使うとして、あちこちに出向いてざっぱざっぱと水を降らすのはあまりに効率が悪かった。

 そして思いついた方法は、巨大な貯水池を作って、そこから各地に用水路を引けばいいじゃないかと言うものだった。セバスチャンも言っていたではないか。「陛下も、貯水池を作りたいとはおっしゃっていましたけれど……」と。ならばそれを作ってしまえばいい。幸いにして、古城の裏の土地はまだまだ余っている。

 雨が少ない地域なので、大雨で貯水池や用水路が決壊して水害が起こる可能性はない。

 ならば細かいことを考えず、作ってしまえばいいのである。 



 と、いうことで、思いついたら吉日とばかりに、わたしは城の裏手にいそいそと出かけた。

 蚕のための桑畑や、牛や馬たちを遊ばせるための牧草地にいくつか使ったけれど、貯水池を作るくらいの広さはまだある。

 ゆくゆくは城の庭と同じように畑に改造したいなと狙っていた土地だけれど、城からは少し距離があるし、広すぎるので、今の使用人の人数では作っても管理が難しそうだと後回しにしていた。遊ばせておくのがもったいないので、ここにどーんと穴を掘って、貯水池を作ろう。



 この思い付きには、誰も反対はしなかった。

 それだけのことができる力がわたしにあると、城の丸洗いの際に使用人のみんなは認識済みだったからだ。

 むしろそれで水不足が解消されるなら大いに結構。セバスチャンすらそう言った。

 だから、ここまではよかったのだ。

 わたしが馬鹿だったのはこのあとである。



 魔術でどーんと大穴を掘ったわたしは、その深さ何メートルもある穴の中に入って上を眺めて考えた。

 そう、穴は掘ったが水がない。しばらく雨は降りそうにないし、降ったとしてもこの穴が水で埋まるのにどれほどかかるだろう。

 だって、この地域は雨が少ないらしいのだ。

 せっかく貯水池を作ったのに肝心の水がなければ意味がない。

 ならばどうするか。そう、水がないなら出せばいい。



 そしてわたしは、掘ったばかりの池を水でいっぱいにしようと水を呼び――はい、言わずもがなですが、あえて報告しましょう。

 穴の中に入ったまま水を生み出したせいで、わたしは見事に溺れました。

 自分の思いつきによって何も考えずに行動した愚かすぎる結果です。ぐうの音も出ない。

 もちろんわたしは、大慌てで魔術で穴から脱出しましたよ?

 でも時すでに遅し、全身濡れ鼠状態なわけで。



 考えればわかるだろうと、使用人全員から突っ込みを受け、しおしおと縮こまり、アンからダメな子を見るような視線を向けられながら服を着替え、そして風邪を引きました。



 魔術は万能かと思ったのに、自分の風邪を治す魔術は使えなかった。

 たぶんだけど、わたしに医学の心得がないからだと思う。

 魔術は想像がすべてなので、体から病原菌を追い出す想像ができなかったせいだろう。

 悔しいから、風邪が治ったら城の一角に薬草園でも作ってポーションが作れないか試してみようと心に決める。

 この世界にゲームの世界みたいなポーションなんて存在しないけど、そんなものは関係ない。出来るかできないかはやってみなければわからないのだ。……ポーションができなくても、少なくとも薬はできるだろうし。元気になったら城に常駐しているおじいちゃん医師におすすめの薬草を聞いてみよう。



「喉が渇いた……」



 はふはふと熱い息を吐きながら言えば、アンが水の入ったコップを片手に、そっとわたしが上体を起こすのを手伝ってくれる。

 わたしが風邪で寝込んだせいで、用水路計画は中座していた。

 貯水池は完成したが、そこから近くの町や村まで水を引かなければ意味がない。

 城の洗濯メイドたちが、ついでに洗濯のために城の前にも用水路を通してくれと言い出したから、風邪がなおったらそれもしなくては。

 いちいち井戸から水を汲んで洗濯をするのは重労働らしく、用水路があれば水をくむのも楽でいいらしい。

 城の前まで用水路を通せば作物の水やりも簡単だしちょうどいい。

 これまでは、たまにわたしが魔術でざばーっと水をやっていたのだが、それをするには庭から使用人たちを避難させなくてはいけなくて、毎回みんなの作業を中断させる結果になっていた。用水路の水を使えばその心配もなくなる。



 噂が広まるのは早いもので、アンの報告によると、近隣の村や町の人々が大きな貯水池ができたと聞きつけて、水を求めてやってきているそうだ。

 わたしがほしいだけ汲ませてあげていいとセバスチャンに伝えておいたから、彼らは荷馬車で来てはせっせと水を汲んで帰っていくらしい。なかなかの重労働だというのに、日に何往復もするというのだから驚きである。

 蛇口をひねれば水が出ていた前世とは大違いだ。生きていくうえでいかに水が大切なのかを思い知らされた気分だった。



「貯水池のおかげか、クリスティーナ様はすっかり人気者ですよ」



 ミナがベッドサイドの椅子に座って、リンゴを剝きながら言った。

 人気者? どうして?

 わたしは不思議そうな顔をしていたのだろう。ミナがくすりと笑って続ける。



「水の女神様とか言われてますよ」



 はい?

 首をひねれば、アンが苦笑して補足する。



「わたくしとミナはもともと王都に住んでいたので知りませんでしたが、ここの水事情は本当に深刻だったそうです。井戸の水位が下がって水が腐ったりするせいで、数年に一度はやり病も起こっていたようですから、水が豊かなのはそれだけで人を安心させるんですよ」



 言われてみれば確かに、前世でも聞いたような話だ。水不足のせいでコレラやペストが発生したとか、歴史の授業で聞いたような。

 それほど深刻な状態だったとは知らなかった。思い付きで貯水池を作ったのは、もしかしなくてもかなりグッジョブだったのかしら。



「じゃあ急いで用水路を通さないよね」

「そうしていただけるとみんな助かりますけど、まずは体調を治してください」



 むいたリンゴをフォークに突き刺して、ミナが渡してくれる。

 そして思い出したように、部屋の隅から何やら一つの古ぼけた壺を抱えて持って来た。

 金属でできているのだろうが、古いからか全然艶がなくて、表には何やら複雑な文字や模様が書かれている。



「クリスティーナ様が作られた貯水池に浮かんでいたそうなんです。念のため持って帰ってきましたけれど、どうされますか?」



 しゃりしゃりとリンゴを食べながら、わたしは壺の中を覗き込んだ。穴は開いていないようだ。あまり使い道はなさそうだが、水瓶や花瓶にはなるだろうか。骨董品はいい値段がつくというし、一度鑑定に出して、高く売れそうなら売り払ってもいい。



「部屋の隅にでも転がしておいて。どうするかはちょっと考えるわ」

「わかりました」



 リンゴを食べ終えると、わたしはベッドに横になる。

 早く風邪を治さないと用水路計画の続きができない。

 わたしが目を閉じると、アンとミナが「おやすみなさい」と言って部屋から出て行った。

 体調が悪いせいか、わたしは、すーっと水底に沈んでいくように、あっという間に深い眠りに引きずり込まれた。