「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
学問のススメの一節。かの有名な福沢諭吉先生のお言葉、らしい。
担任の橋本先生が、白のチョークでサラサラと流麗な文字で書いていく。
すっごく要約しちゃうと天から人が生まれて皆等しいってコトらしい。
あれ。コレって恋愛と一緒じゃないか?
(カッコいいなぁ……)
授業の時だけかける、ラウンドフレームの眼鏡がおしゃれで、職員室から出てすぐの喫煙ルームでアイコス片手の姿を扉越しにチラ見するだけでドキドキする。
先生の左手の薬指には指輪はない。
今は彼女も居ないらしいってウワサ。この間、添削プリントを持って行った際に聞いた時は、休日は読書かドライブだって。
(スーツ姿も、綺麗に締められたセンスの良い紺色のネクタイも、銀色に光る腕時計も、同い年の男の子達にはどれもないモノばかりでドキドキする……)
このドキドキする気持ちから恋は生まれて、恋という定義に、ドキドキすることは、定義付けとして皆に等しく当てはまる。
要は、恋愛とは、ドキドキするモノであって、ドキドキする理由がないのであるなら、それは恋愛ではない。
うん、これぞ私の思い描く、恋愛のススメである。
……なんて諭吉先生が呆れてしまう程の、馬鹿らしいレンアイ理論と恋に基づく定義付けを踏まえた『恋愛のススメ』なる指南書を思い浮かべて、溜息を吐いたと同時にチャイムが鳴った。
橋本先生が大きな掌で黒板を消し終わると、長身を少しだけかがめながら、教室の扉をあとにした。
「春馬ー」
私は、前を向いたまま名前を呼ぶと、当たり前みたいに、座ってた椅子を後ろの机ギリギリまで寄せた。
「真理亜今日も手櫛だけ?」
「うん、めんどくさくて」
「恋愛する気あんのかよ、いつも愚痴ってるくせに」
窓際の一番後ろの席から、春馬の大きな両手が私の髪の毛目掛けて伸びてくる。
「あー、先生カッコいいな。後ろ姿見てるだけでドキドキする……」
繰り返しになるが、私の提言する『恋愛のススメ』とは、ドキドキするモノであって、ドキドキする理由がないのなら、それは恋愛ではない。
後ろの春馬もコレに準ずる。
「それ何回も聞いたけど。なぁ、大体さー、恋愛するのにいちいち、ドキドキしなきゃいけないワケ?」
少しだけ春馬が私の方を確認するように、右耳の方へと顔を寄せた。その両手は私の髪をうなじから、掻き上げるようにして、左右に動かしながら、今日の髪型のイメージを思案してるようだ。
「そりゃそうでしょ」
春馬に触れられても、耳元に話す息がかかっても私は全然ドキドキしない。