夏休みは初めての短期バイトをしたり、時々伊原くんと一緒に夏休みの課題をしたり、詩と一緒に外へ出かける日々を過ごしていた。

 詩も最近は外へ出る躊躇いが減ってきたようで、九月からお母さんと一緒にフリースクールを見に行くそうだ。笑顔を見せてくれることが増えて、家の中の雰囲気も明るくなってきている。

 そんな日々を過ごしていると、夏休みはあっという間に終わりに近づいてきた。それと同時に、ずっと楽しみだった伊原くんと一緒に行くトワの夏イベントの日がやってきた。


 早朝から待ち合わせをして、電車で一時間半くらいかけてイベント会場がある駅へと辿り着いた。駅には見覚えのあるトワのグッズや、トワが好きな色である緑を身に纏った人たちが大勢いる。

 近くにあるコンビニで伊原くんと飲み物を購入して外に出ると、行き交う人々の光の色がぼやけて見えた。


「あれ?」

 目を軽く擦ってもう一度確認してみる。ぼやけていると思ったけれど、光が淡くなっているように思えた。


「どうかした?」
「いつもよりも人の光の色が薄く見えて……」
「それって光感覚症の?」
「うん」

 悩みごとが解決へ向かっていき、私の中のストレスが軽減していったからかもしれない。

 もう光に悩まされることも、知りたくない周囲の感情を知ることもなくなる。安堵するべきことなのに、素直に喜べない。


「……見えなくなったら、人の感情に鈍くなっちゃうかな」

 伊原くんの指先が私の手に触れると、そのままそっと握られる。

「不安になることがあったら言って。俺もちゃんと伝えるから」

 ありがとうと返すと、手を握り返すと伊原くんはニッと歯を見せて笑った。
伊原くんの屈託のない笑顔には、私の憂いを拭い去ってくれるような安心感がある。

 隣にいてくれるのが伊原くんでよかった。


 会場に着くと、入り口のところに人集りができていた。トワの等身大パネルが飾られていて、撮影をするために並んでいるみたいだ。

 そういえば去年の夏は、千世と香乃とイベントに来て、トワのパネルの前で記念写真を撮った記憶がある。あの頃の私たちは、来年も当たり前のように一緒にいると思っていた。

 過ぎ去った日々への懐かしさと、変わってしまったことへの寂しさが胸に広がる。

 連絡は取っているので、完全に関係が途絶えたわけではない。けれど遊ぶ頻度はかなり減り、どこか私たちの間には距離がある。


「写真撮りたい?」
「ううん、大丈夫!」

 かつて私たちがはしゃいでいた場所を通り過ぎていく。あの頃の私たちはもうどこにもいない。名残惜しくはあるけれど、思い出が消えるわけでもないし、これからまた様々な思い出を更新していければいい。

 入場するための列に並んでいると、スマホに通知が届いた。送り主は千世だった。


『今、トワのイベント来てるんだけど、菜奈と香乃欲しいグッズある? あれば買っておくよ』

 まさか千世も同じ会場にいるとは思わず、すぐに『私もいるよ』と返す。


『え、私もいる!』

 どうやら香乃も来ているらしく、三人とも別々でイベントに参加しているみたいだ。

『なんだ〜! てか、物販売り切れ続出で結構やばい! どうしよ〜!』

 千世は物販の長蛇の列に並んでいるらしい。
 私は伊原くんが誘ってくれる前に、夏のイベントに落選しても今後イベントで使えるかもしれないので、欲しいものだけネットの事前販売で注文していたのだ。

 当選発表後はネット注文ができなくなっていたため、イベントにくることが決まった人たちがこぞって物販に並ぶ。そのため、当日はグッズを購入できる確率が下がるのだ。


『事前物販でネット注文してたから、セーフ!』
『私も!』

 私と香乃の返事に、千世はがっくりとしているモカのイラストのスタンプを押してくる。また三人でこうやってやりとりができたことが嬉しくて頬が緩んだ。共通の好きなものがある私たちは、こうして繋がっていけるのかもしれない。

 列が進んでいき、私と伊原くんは入場する。トワの配信でよく流れているオリジナルBGMがかかっていて、気分が高揚していく。

「イベント来たって感じがするね!」
「わかる! この曲聞くとテンション上がるよな〜」

 座席が書いてあるボードで確認してから、私たちは自分の席があるAエリアへと向かう。既にたくさんの人たちが会場にいて、騒ついている。

「え……」

 先ほどからちらちらと見えていた赤や青などの無数の淡い光が更に薄くなっていく。

「清水さん?」


 立ち止まって周囲を見回す。瞬きをすると、閃光が視界に広がった。

「——っ!」

 その衝撃に目をきつく閉じて、手の平で覆う。
 まるで発症した日の朝のようだった。


「具合悪い?」

 焦っているような伊原くんの声が聞こえて、ゆっくりと目を開ける。先ほどの目が眩むような光は跡形もなく消えていた。

 周囲や伊原くんが光に対して反応がないので、私だけが見えていたらしい。
 白や赤、青が混雑していた私の視界がクリアになっている。眩しさも感じない。


「もう大丈夫。……治ったみたい」

 伊原くんは察してくれたのか、ほっとしたような、でも心配しているような表情で私を見ている。


「伊原くん」


 人の感情に光の色が見えなくなって、嘘や怒り、悲しみに気づきにくくなるはずだ。けれど、その代わり惜しみなく大切な人へ言葉を伝えていきたい。




「傍にいてくれて、ありがとう」







アオハルリセット 完