日本人は節操がないというけれど、クリスマスが終わった途端に、街は一気にお正月ムードになる。
テレビのコマーシャルもやれ「厄除け大師は川崎」だの「お節は丹波の黒豆」だの昨日までのクリスマスムードなどはなかったかのように、和の雰囲気をこれでもかという具合に打ち出してきて、CMの女性タレントの和服率も高くなる。

あっという間に今日は大晦日だ。

私は家の大掃除に駆り出され、ママに言われるがまま窓ガラスを拭いていた。

窓ガラス用のスプレーを窓に吹きかけ、乾いた布切れで丁寧に拭いていく。

掃除は嫌いじゃない。

汚れているものが綺麗になっていく様は、見ていて気持ちいいし、なにより達成感がある。

ママはキッチンでお正月用の煮物を作っていて、リビングにまでいい匂いが漂ってくる。

庭ではパパと鹿内さんが、草むしりに汗を流していた。

なにも年越し迫った大晦日に草むしりなどしなくてもいいんじゃないか、と思ったりもするのだけれど、伸び放題の草を今年中になんとかしたいとパパがいきなり言い出したのだ。

それを見たバイト休みの鹿内さんが、手伝いを名乗り出て、真冬なのに半袖Tシャツにジャージといういで立ちで庭を右往左往しているのだった。

鹿内さんは若さのせいか、パパの二倍は草をむしっている。

黙々と草をむしる男二人の姿は、どこか滑稽で可愛らしかった。

私は窓拭きが終わると、ママの料理作りに合流した。

夕方になり、パパと鹿内さんは草むしりを終えて、リビングに戻りテーブルに座った。

「鹿内君、お疲れ様。悪いね、こんなこと手伝わせちゃって。」

「いえ。俺もいい運動になりました。」

鹿内さんはタオルで汗を拭きながら、パパやママの前で見せる好青年の顔をしていた。

パパは勝手に冷蔵庫の中から缶ビールを取り出し、コップを2つ用意すると、早速晩酌の用意を始めた。

パパが鹿内さんのコップにビールを並々注ぐと、鹿内さんもビールの缶をすかさずパパから奪い、パパのコップにビールを注いだ。

「もう。パパはせっかちなんだから。今、晩ごはんの支度をしてる最中なのよ。」

そう言いつつも、ママは手早くお酒のおつまみを用意して、私に運ぶように指示する。

私はパパと鹿内さんの前に、茹でた枝豆と蒲鉾を置いた。

「早いもので今年も終わりか。今年も無病息災で終われることに感謝して、乾杯!」

パパと鹿内さんはカチンとコップを合わせると、

ゴクゴクと美味しそうに最初の一杯を飲み干した。

「クー!!労働の後の一杯は旨いなあ。な、鹿内君。」

「そうですね。」

二人は矢継ぎ早に、次の一杯を注いでいる。

こんな時、男の人はいいな、と思う。

飲み二ケーション、という手段で、お互いすぐに打ち解けられる

鹿内さんと由宇さんがすぐに打ち解けられたように。

テレビを観ると毎年大晦日恒例の、紅白歌合戦がもう始まっていた。

画面には和服を粋に着こなした熟女演歌歌手が、

妖艶に自身最大のヒット曲を歌っていた。

ハラハラと桜吹雪が舞うなか、くねくねと踊りながら時にハスキーな声を出し、

ときに高音の鼻声を鳴らす。

「おお、色っぽいねえ、冬美ちゃん。やっぱり日本人の心は演歌だよ。」

エロ親父と化したパパは、口元をだらしなく緩めて、そのロック調演歌を口ずさんでいる。

鹿内さんも蒲鉾を口にしながら、熟女演歌歌手が歌う姿をじーっと見ていた。

さっきまで歌っていたアイドルグループや若手女性ミュージシャンには見向きもしなかったのに、

鹿内さんは熟女演歌歌手の和服姿をまだ眺めている。

よく見ると、その熟女演歌歌手が後ろを向いた拍子に、白くて細いうなじが光っていた。

沙耶が言っていた「男はうなじに弱い説」が証明された瞬間だった。

女嫌いなんていっていても、やっぱり色っぽい女性には弱いんだ・・・。

私はショックで落ち込む心を隠しながら、ママを手伝ってテーブルに料理を並べていった。

パパがお酒に酔って気分が良くなると、必ずと言っていいほど話し出すエピソードがある。

それはママとの馴れ初め話だ。

私や信二兄ちゃんはもう聞き飽きて、耳にタコができているのだが、

鹿内さんには初披露ということで、話にも力が入るというものだろう。

そしてとうとうパパの独演会が始まってしまった。

「僕とママはね、同じ会社の同僚だったんだ。僕が係長になりたての時、ママが新入社員として同じ課に配属されたんだよね。」

・・・本当にやめて欲しい。

親の恋バナを聞かされることほど、年頃の娘にとって恥ずかしいことはないのだ。

「ママは花に例えると一輪の百合、はかなげなカスミソウのようだった。」

・・・もう本当にそれくらいにしておいて欲しいんだけど。

「当然の如く、ママは他の男性社員からも想いを寄せられていた。そう、ママはモテていた。

でも僕はママの愛を勝ち取った。」

ママの顔を見ると、困ったような恥ずかしそうな、でもまんざらでもない顔をして聞いている。

それはさながら乙女のようで、わが母ながら可愛かった。

「ライバルの中には高身長のイケメンや、仕事が出来る出世頭もいた。

しかし僕はうだつの上がらないただの係長。そんな僕がどうしてママのハートを射止めることが出来たのか?
それは他の奴らとは比較にならないほどの熱量でママにアタックしたからさ。やっぱり男は行くべきときは行かなきゃね。」

「・・・・・・。」

「鹿内君、君は打席に立つとき、どんな球を狙う?」

鹿内さんはパパのコップにビールを注ぎながら、答えた。

「やっぱり、ストライク狙いですね。投げるときも直球勝負です。」

「そうだよな。それが普通。」

パパは赤い顔で、コップに浮かぶビールの泡をみつめた。

「でもね。僕はね、人生でね、アウトコースの球を二回ホームランにしたんだよね。

1回目はママと結婚した時。これはかなり高めのボールでさ。

僕はそれでもバットを振り続けたよ。そしたらファールだと思った打球がホームランになったんだよね。」

鹿内さんは本心からなのか、それともパパの話に合わせてくれているのか、真面目な顔をして耳を傾けている。

「そして2回目は内角低めのギリギリアウトコースでね。もう無理かなって思っていたんだけど、見事満塁ホームランを打つことが出来た。つぐみが産声を上げた時の話さ。嬉しかったなあ。」

パパの話は鹿内さんの肩に手を回し、さらにヒートアップした。

「鹿内君、人生は野球と同じだ。手堅くバントを打ち続けなくてならない時もあれば、ケガをしてベンチに居続けることになる場合だってある。でもここぞってときは三振覚悟で思いっきりスイングしていけよ。君には山本家というホームがある。信二というチームメイトもいる。僕もママもつぐみもいる。君は決して一人じゃない。何かあったらいつでもこのホームに戻って来い。これは、父親としてのアドバイス。な?わかった?」

「ありがとうございます。肝に銘じます。」

鹿内さんは神妙な面持ちでそう答えた。

相当酔っているけれど、今日のパパはなかなか恰好いいことを言う。

でもパパが改めてこんなことを言うのは、きっと別れのときが近いのだろう。

それでも。

鹿内さんがいつでも帰ってこられるようなチームメイトに、私もなれるといいな。

「もう!鹿内君、ごめんなさいね。パパってば酔うとすぐに説教モードに入っちゃうの。面倒くさい人でしょ?でも私たちもパパと同じ気持ちよ。三振して落ち込んだら、いつでも頼ってちょうだい。ねっ。つぐみ。」

ママは酔い覚ましのお茶をパパと鹿内さんの前に置いた。

私もうんうんと大きく頷いた。

「はい。このご恩は必ず返します。」

テーブルに付くぐらいの勢いで頭を下げた鹿内さんの黒目が、ちょっとだけ潤んでいるように見えた。



元旦。

新しい年がやって来た。

お正月は雨が降らないというけれど、今日もすこぶるいい天気だ。

カーテンを開き窓を開けると、ひんやりとした冬の空気が心地よかった。

昨夜飲みすぎて言いたいことだけ言ったパパは、紅白が終わる前に酔いつぶれてしまった。

かろうじて一人で寝室に行ってくれた時はホッとしたものだ。

その後、私とママと鹿内さんは年越しそばを食べ、ぼんやりとテレビ越しに聞こえる除夜の鐘を聞いていた。

するといきなり鹿内さんが私に聞いてきた。

「つぐみちゃん、元旦って何か用事ある?」

「・・・特にありません。」

「じゃあ、初詣に行かない?」

「あら~。つぐみ、行ってらっしゃいよ。鹿内君がいれば安心だわ。」

私は毎年、初詣には行かない派だ。

あの人込みの中、男と接触する確率はいつもの数十倍は上がる。

痴漢に遭うかもしれないということも、想定しなければならない。

結果面倒くさいから初詣に行かないという選択になる。

けれど今年の私は、男嫌いをほとんど克服しているし、

もうそんなことを気にしなくても平気になっているはずだ。

しかも、鹿内さんから誘ってくれているのだ。

「い、行きます!でも珍しいですね。鹿内さんから誘ってくれるなんて。」

私が小首をかしげると、鹿内さんがあさっての方を見ながらつぶやいた。

「まあ・・・たまには君のパパさんとママさんを夫婦水入らずにしてやりたいと思ってさ。」

ふーん。

そっか。

ま、そうだよね。

でも鹿内さんと初詣に行けるなんて、思ってもみなかったから嬉しい。

「じゃ、明日11時に出発な。」

それだけ言うと、鹿内さんは自室へ引き上げていった。

私は寝坊しないよう、カウントダウンTVもジャニーズの年越しカウントダウンも見るのを止めて早々にベッドに潜り込んだのだった。

そして今日晴れやかな元旦の朝を迎えることができた。

急いで初詣に行く支度を整えなければならない。

いつもより少し女の子らしい恰好をしていこう。

ピンク色のセーターにお気に入りのチェックのスカート、髪型はポニーテールにした。

あの熟女演歌歌手ほど色っぽくはないけど、JKのうなじを見せつけてやろう。

リュックを背負うと同時に部屋のドアがコンコンコンとノックされた。

「用意出来た?行くよ。」

鹿内さんの低くて柔らかい声がドアの外から聞こえた。



思っていた通り、原宿駅まで着くのにも一苦労だった。

電車の中は初詣の客なのか、通勤電車並みの混雑だ。

あちらこちらに着物姿の女性や着飾った人々が、電車の中を華やかな空気にしている。

気を抜くと鹿内さんとどんどん距離が出来てしまう。

そんな私を見かねて、鹿内さんは私の手の平を自分の手でギュッと握った。

「しっかり握って。」

私は少し恥ずかしかったけれど、鹿内さんの配慮に乗じてその手に力を込めた。

手を繋いだのはディズニーランドのときに続いて2回目だけれど、今回はなんだか照れ臭い。

前は鹿内さんの事を、そんなに意識していなかったから、ただただ楽しいだけだった。

でも今はそばにいるのに、何故か楽しさに痛みが伴う。

こんなに近くにいるのに、今鹿内さんが何を考えているのか、私には全く判らない。

手すりに掴まっている鹿内さんの端正な横顔を、私はそっと見上げた。

ふいに鹿内さんと視線が合い、私はパッと目を逸らした。

電車が目的の駅に着き、人々は波のようにホームへと吐き出された。

皆行先は同じなので、人並みに上手く乗りながら歩いていかなければならない。

「ちょっとしがみつき過ぎじゃない?俺は嬉しいけど。」

「え・・・?」

私は訳が分からず、鹿内さんの顔を見ると、ちょっと困った顔をしている。

「胸、俺の肘に当たってる。」

「・・・す、すみません!」

私は鹿内さんの腕をあわてて離した。

しかし腕を離すと、またもや鹿内さんとの距離が広がってしまった。

鹿内さんは、私の手をぎゅっと握りしめると、わき目もふらず鳥居のある方へ歩いていった。

・・・どれくらい待たされただろう。

やっと私達の参拝の順番が回ってきた。

お賽銭を投げ、両手を合わせて願い事をする。

今年も平穏に家族や友達と過ごすことができますように。

大学受験に受かることが出来ますように。

そして・・・鹿内さんが幸せでありますように。

私は特に3番目のお願いが聞き入れられるように、必死に祈った。

ふと横を見ると、鹿内さんも真剣な表情で何かを祈っている。

一体なにを祈っているのだろうか。

参拝が終わり、私達は再び帰路に着く人込みの中にはいった。

繋がれた手が温かくて、くすぐったかった。

「つぐみ、何を祈ったの?」

鹿内さんにふいに聞かれて、私はどきっとした。

「家内安全と大学に入れますようにとか、幸せになれますようにとか、色々です。

鹿内さんは何を祈ったんですか?すごく真剣な顔していましたけど。」

「俺?俺は内緒。」

「あ、ずるい!人にだけ言わせて。いつもそうなんだから。」

「じゃ、世界平和。」

「・・・絶対教えてくれないヤツですよね、それ」

「神社では自分の事よりも、人の事を祈るのが正しいらしいよ。」

「・・・そうなんですか?」

じゃあ私の願いを神様は叶えてくれるかもしれない。

「つぐみの大学合格祈願もしといたから。」

「あ、ありがとうございます。」

「家庭教師としての俺の力量も問われているわけだしな。」

「そうですね。スパルタ先生?」

なんにせよ、気にかけてくれているのは嬉しい。

「飯でも食おうぜ。何がいい?パンケーキは勘弁して欲しいけどな。」

「えっと・・・なんでもいいです。」

「じゃ、ファミレスにでも入ろうか。」

私達は帰り道の途中にあった大手ファミリーレストランに入った。

やはり店は混雑していたけれど、ぎりぎり私達は席に座ることが出来た。

私は海老ドリア、鹿内さんはステーキセットライス大盛り、それに生ジョッキのビールを注文した。

「そういえばつぐみ、バイト始めたんだな。」

いち早く届いた生ジョッキを口にしながら、鹿内さんが言った。

「はい。コンビニですけど・・・。クリスマスにケーキを売りました。

でも店長も他のバイトの人も親切ですし、男性客にも普通に接することが出来ました。」

「もう男嫌いは克服したってとこかな?」

「そうですね。男だからといって避けることはなくなったかもしれません。

ムカつく男はまだまだ沢山いますけど。」

「相変わらず手強いな、つぐみは。まあ、勉強の支障にならない程度に頑張れよ。」

注文の品が届くと、鹿内さんは黙々とステーキとライスを交互に口に入れていった。

鹿内さんの大食いは今年も健在らしい。

私も海老ドリアをゆっくり食べる。

「バイト先で友達は出来た?」

心配してくれているのか、鹿内さんがステーキをナイフで切り分けながら聞いてきた。

「まだ一回しか働いてないので・・・でも、お店の皆さん、初バイトの私に優しくしてくれました。

あと森本店長も大雑把だけど面白い人です。」

「その店長って、男か?」

「はい。そうです。」

「若いの?」

「多分20代だと思います。普段は死んだ魚の目をしているんですけど、いざ仕事になると人が変わったように働き者になるんです。店では変人28号って呼ばれているそうです。」

「ふーん。」

「更衣室でそのまま眠っちゃう人で、顔に畳の痕はついているし、寝癖はすごいし、とても店長らしからぬ人なんですけどね!」

私は他にも店長の面白エピソードを、鹿内さんに語って聞かせた。

「もしかしてその店長、つぐみのことを狙ってるんじゃねーの?」

鹿内さんが真面目な顔でそうつぶやくと、ビールジョッキをぐいっと仰いだ。

「それはないですよ。」

「だってそいつがバイトに誘ったんだろ?」

「そうですけどそれは人手が足りないからで・・・だから絶対にないです!」

「ムキになるのはかえって怪しい。」

「・・・気になりますか?」

私はちょっと甘えたように首をコクンと横に傾かせた。

「気になるって言ったらどうする?」

鹿内さんの予想外の答えに、私はなんと言ったらいいか混乱してしまい、いつものように憎まれ口を叩いてしまった。

「別にどうもしません!」

「あっそ。俺、ちょっと外で煙草吸ってくる。」

「どうぞ、ごゆっくり。」

とうとう今年も、鹿内さんのニコチン中毒が始まったようだ。

そういえば朝、家を出てからまだ一本も煙草を吸っていない。

・・・もう。

店長は私のこと、使い勝手がいい新人バイトにしか思ってないのに。

ムキになっているのはそっちの方じゃない。

煙草が吸えなくてイライラしているからって、私に当たらないでほしいものだ。

私はそう思いながら、海老ドリアを口に入れた。

丁度私が海老ドリアを食べ終わった頃、鹿内さんは煙草の匂いをぷんぷんさせながら、席に戻ってきた。

「いい加減、煙草控えた方がいいんじゃないですか?

煙草は百害あって一利なし、というじゃありませんか。肺がんのリスクも高まりますし。」

「小姑みたいなこと言うなよ。止められるモンならとっくに止めている。」

鹿内さんはそう言うと、私にデコピン攻撃をした。

「痛い!」

「つぐみが口うるさい事言うからだろ。」

「心配して言ってあげているのに。」

「なに?その上から目線な言い方は。」

「じゃあお詫びに、チョコレートパフェ食べていいですか?」

「お詫びって何だよ。明らかに俺の方が損しているじゃねーか。」

そう言いつつも鹿内さんはタブレットで、チョコレートパフェを頼んでくれた。

そして自分用のレモンティーはドリンクバーで調達していた。

なんだかんだ言っても、鹿内さんは優しい。

ディズニーランドしかり、両親のプレゼントを買いにいく時しかり、私の我儘に付き合ってくれる。

「アレ~?鹿内先輩じゃないですか~!」

そう言いながら私達の席に近づいてきたのは、着物姿の若い女性二人組だった。

一人は綺麗系、もう一人は清楚な可愛い系の女性だった。

「お。お前らも初詣か?」

鹿内さんも、気軽にその女性二人組に答えた。

「そうで~す!えっとこちらの女の子は?」

「ああ。信二の姪っ子で山本つぐみ。」

「へえ~。山本先輩の。私達は、大学の野球サークルでマネージャーをしている笹本美幸と城之内奈緒です。よろしくね!!」

「よろしくお願いします。」

私は二人の圧倒的存在感に気圧されながらも、ぺこりと頭を下げた。

「あ。もしかしてこの子が噂の?」

「へえー。本当だったんだ!」

二人は興味津々な様子で私をちらちらと見ながら瞳を輝かせていた。

ん?

噂?

あの女子高生と付き合っているという設定の噂?

「そ。だからお前ら、邪魔しないでくれる?もう自分たちの席に戻れよ。」

しかし着物の二人組は私達の席からなかなか離れようとはしなかった。

お蔭で私は野球サークル内での内輪話を延々と聞かされる羽目になった。

相変わらず鹿内さんはモテるんだなあ・・・と心でため息をつく。

美也子さんだけでなく大学には綺麗な女性が沢山いるんだろう、この着物姿二人組のように。

私はチョコレートパフェを黙々と食べながら、場違いな疎外感を感じていた。

「じゃあ、また大学で!お邪魔しました!」

着物姿の二人組はそう言って、やっとその場を立ち去った。

「悪かったな。うるさいのに付き合わせて。」

「綺麗な人達でしたね。二人とも」

「そうか?着物着て化粧しているから、そう見えただけじゃねーの?別に普通だと思うけど。」

あれが普通なら、何が鹿内さんにとってのストライクゾーンなのだろうか?

「鹿内さんは好きになった女性がタイプなんですもんね。」

「そうだよ?悪い?」

「・・・もうタイプの女性に巡り合えましたか?」

「さあ?どうだろう。」

「ふーん。」

・・・否定しないんだ。

あんなに愛なんていらないって言っていたくせに。

「あの、女子高生と付き合っているっていう設定、大学ではまだ取り消していないんですか?」

「うん。面倒くさいから。」

「それは構いませんけど・・・鹿内さん的にはそれでいいんですか?」

「なにが?」

「いや、誤解されちゃうと困るようなことがあるんじゃ」

「誤解?誰に?」

「美也子さんとか。」

そういう私に、鹿内さんは不思議そうな顔をした。

「は?美也子?俺、アイツに誤解されるようなことなんて何もないけど。

てか、何でアイツの名前がここで出てくるのかな?」

「だって、美也子さんに私と付き合っているって誤解されたままじゃ困るでしょ?」

私が微妙な顔をしていると、鹿内さんは紙ナプキンで何かを折り始めながら言った。

「もしかしてつぐみ、俺と美也子が付き合っていると思ってる?」

「・・・違うんですか?」

「俺、そんなこと一言でもつぐみに言ったかな?」

「回りくどいこと言わないでハッキリ言ってください!」

私の心の鍵がカチャリと音を立て、蓋が開く。

鹿内さんの思わせぶりな言動につられ、つい本音を吐いてしまった。

もう限界だった。

「・・・俺が美也子なんかと付き合うわけないだろ?」

鹿内さんはいとも軽くそう言い放った。

「そんなくだらないことよりもさ。俺の悩み聞いてくれよ。」

くだらないこと?!

私はずっとそのことで胸が張り裂けそうになっていたのに?

・・・でも、やっぱり嬉しい。

鹿内さんは美也子さんのものではないんだ。

私の心にわずかな希望の光が差した。

そんな私の胸の内など知りもしない鹿内さんは、自らの悩みを話し出した。

「俺、学校の先生になりたいって前に言っただろ?

大学の教授が言っていたんだけど、いまどきの生徒ってやつは何分かに一回は笑いを入れないと授業を聞いてくれないらしい。

でも俺の話はつまらないっていつも周りの奴らに言われるんだよな。

信二みたいに面白くて楽しい話が出来るヤツが羨ましいよ。」

鹿内さんは紙ナプキンで折りあげた鶴を私の方へポイっと投げた。

丁寧に折られた可愛い鶴だった。

「鹿内さんみたいな自分に自信満々な俺様でもコンプレックスがあるんですね。」

「そりゃ俺だって人間やっているわけだし?」

でもイケメンで背が高くてスポーツも出来て高学歴で、

その上面白かったらちょっとずるいような気もする。

ポーカーでいえばロイヤルストレートフラッシュではないか。

私は鹿内さんを励ますように言った。

「面白い話が出来なくたって、子供達は真剣に教えようとしてくれる鹿内先生の言葉を聞いてくれますよ。だって私がそうなんですから。真心が大事なんです。」

「真心、ね。つぐみってたまに道徳の先生みたいなこと言うよな。」

私は鹿内さんの戯言を無視し、言葉を続けた。

「それに鹿内さんってけっこう面白い人だと思いますよ?」

「どの辺りが?」

「クールに見えるのに実は大食いだったり、あと、ジェットコースターが苦手だったり。

なかなか意外性のあるところ!」

「そんな風に言ってくれるのは、つぐみだけだよ。」

鹿内さんは冷めかけのレモンティーを飲み切ると、曇りガラスの向こうを見た。

「さて、これからどうするかな。今帰っても中途半端だし。」

時計は午後の3時を回っていた。

「そうだ!これからお笑いライブ、見に行きません?」

面白さを勉強するなら、プロのお笑いを見るに限る。

我ながらナイスアイディア!

「お笑いライブ?」

「すごく面白いんですよ。テレビもいいけど、生で観る漫才はまた格別です。

結構有名な芸人さんも出ていますし、初笑いといこうじゃないですか!

少しは面白い話芸の参考になるかもしれませんよ。」

私はスマホで、その大手お笑い事務所主催のライブ会場の空席情報を調べた。

幸い、夕方4時からのライブは、空席があるようだ。

私達は渋谷から新宿まで移動して、南口の改札を出た。

駅ビルの7階に、その劇場はある。

芸人グッズやお土産が売っているフロアの中に、当日券の券売機があり、そこでチケットを2枚買った。

今日の演者は大物MCコンビ芸人をはじめ、TVでおなじみの芸人、まさにこれから売り出し中のネクストブレイク芸人などバラエティにとんだ布陣が並んでいる。

私達は、指定された席に座ると、緞帳が上がるのを今か今かと待ちわびた。

鹿内さんは、お笑いライブに来たのは初めてらしく、今から何を見せられるのだろうかという胡乱な目で、腕を組んでいた。

開始時間が5分過ぎた頃、辺りは暗くなり軽快なロックの音が流れて来た。

簡単な前説が終わり、出囃子と共にお笑い芸人がサンパチといわれる中央マイクに向かって歩いてくる。

「どうも~元旦からこんなにお客さんが来てくれはってホンマ嬉しい限りです~。」

「え~べっぴんさん、べっぴんさん、ひとつ飛ばしてべっぴんさん」

「お前失礼やろ~、もうええわ!」

「だから、なんでやねん!」

芸人たちは、見事な掛け合いでネタを披露していく。

始めはむっつりとした顔で観ていた鹿内さんも、ネタが進むうちにクスリと声を出して笑い始め、握りしめた右手を口に当てて、忍び笑いをしている。

私はそんな鹿内さんの様子を見て、ホッと安堵していた。

連れてきて良かったな、そう思った。

鹿内さんが、声を出してこんなに笑っているところを見るのはディズニーランド以来だ。

子供の頃はきっとこんな風に、声を出して笑っていたのかもしれない。

さっきから何かが鹿内さんの笑いのツボに入ったみたいで、ずっと笑っている。

私もつられて笑ってしまう。

鹿内さんの笑顔は私を幸せにしてくれる。

お笑いライブからの帰り道、鹿内さんはしきりに芸人へのリスペクトを口にしていた。

「どうすれば、あんな面白い事を思いつくんだろうな?芸人ってすごいな。」

「まあ、元々面白い人もいるでしょうけど、努力家の人も多いって聞きますよ。」

「俺も面白くて周りを楽しくさせる人間になりたいよ・・・信二みたいに。」

「それはないものねだりです。それに信二兄ちゃんはそこでしか鹿内さんに勝てないんだから。」

「いや、アイツはずるい。努力ナシでも面白いからな。」

「別に鹿内さんは面白くなくてもいいんです。そのままで。」

「そうか?」

「そうです。」

こんな何気ない話がとても楽しい。

きっとこの距離感が一番いいのだ。

だから私は、これ以上は何も望まないでいよう。