私達はショッピングモール内にある、レトロな内装と美味しいスフレが評判の珈琲店に入った。

鹿内さんはレモンティー、私はカプチーノを頼んだ。

カプチーノの表面にはラテアートで可愛いハートが描かれていた。

それはまるで自分の心の内を覗かれているようで、少し恥ずかしくなった。

注文の品が届き、鹿内さんは美味しそうにレモンティーを啜った。

「鹿内さんって紅茶派なんですね。意外。」

「なんで?」

「だって鹿内さんってブラックコーヒーってイメージだもん。

酸いも甘いも経験して最終的にはやっぱりブラックコーヒーが一番うまいぜ・・・みたいな?」

「つぐみ、俺を馬鹿にしてんだろう?」

「あ、バレました?」

「・・・レモンティーが、というより、紅茶に浮かんでいる輪切りのレモンが好きなんだ。」

「ふーん。」

甘党の鹿内さんにしては珍しいような気がした。

私は今さっき買った両親へのプレゼントを思い浮かべ、ちょっと重い話かなと思いながらも、誰にも話したことのない両親への気持ちを鹿内さんに打ち明けた。

「ママは・・・不妊症だったんです。」

「不妊症?」

「はい。パパと結婚してから私を産むまで7年かかったそうです。

不妊治療って大変らしいです。

治療費のお金はべらぼうに高いし、先の見えない不妊治療は肉体的にも精神的にも大きな負担がかかるみたいです。

そのことでママはノイローゼみたいになって思い詰めてしまって、一時期会津の実家へ帰ってしまったこともあったって・・・お祖母ちゃんとママの会話を聞いてしまって。

パパはママを実家へ迎えにいった新幹線での帰り道で、子供のいない夫婦だって世の中には沢山いるし、そうなったらなったでいいから今を楽しもうと励ましたそうです。

そうやってママがもう妊娠を諦めたとたんに、私がお腹に宿ったんです。

それからは私が流産しないように、細心の注意を払って生活して。

そうしてやっと生まれた時も私は未熟児だったし、必要以上にパパとママは私を心配して育児をしてきたみたいです。」

「不妊治療は大変だって、俺も聞いたことがある。」

「小学校高学年くらいにその話を聞いて、それを思い出しては自分の命の重さに、押しつぶされそうになったこともあります。
私になにかあったらパパやママはどうなっちゃうんだろうって、熱が出るたびそんなことばかり考えてきました。
それに私が男嫌いになった元凶のあの事件のことで、二人には死ぬほど心配かけたし・・・・だから今は私が元気なことが、パパやママに対しての恩返しかなって思っていて。
パパとママには、いつまでも仲良く元気で幸せに暮らして欲しいんです。」

鹿内さんは頬杖をつきながら、私の話に耳を傾けていた。

「愛され過ぎても辛いってとこか?」

「・・・すみません。鹿内さんの方がよっぽど辛い思いをしてきているのに。」

「謝るなよ。つぐみの心の重荷がそれを話すことで少しでも軽くなるのなら・・・

俺でよければいつでも、なんでも、聞く。」

鹿内さんはカチャリと音を立てて、ティースプーンを受け皿の上に避けた。

「ありがとう・・・ございます。」

今まで誰にも話せなかった私の両親への想い。

愛され過ぎて、今まで過保護にされて生きて来た。

でもそれは鳥の籠の中にいるようで、少し息苦しい時もあった。

そんな贅沢な悩みを吐き出せるところなんて、今までどこにもなかった。

鹿内さんに会うまでは・・・。

「それならつぐみは絶対に幸せにならないとな。それがあの二人にとって一番の幸せだろ?」

「そうなんです。それはよくわかっているんです。」

「だからつぐみはあの日、早く結婚して子供を見せたい、と意気込んでいたんだな。」

私はカプチーノを啜りながら、目の前に座る鹿内さんが何か言い淀んでいるのを感じた。

鹿内さんはカップのふちをみつめながら、ひとつため息をつくと伏し目になった瞳を、棒状のシュガーへと視線を飛ばし、ぽつりと語りだした。

「・・・あるところに平凡な夫婦がいた。彼らは学生時代から付き合っていて熱烈な恋愛結婚だった。ふたりは確かに愛し合っていたんだと思う。その夫婦にはひとり息子がいた。それが俺。」

「・・・・・・。」

「俺が小学校低学年のことまでは、穏やかでやすらぎのある家庭だったんだ。

家族で食事に行ったり、ドライブして出かけたり、楽しい思い出しかない。

でも、ある時期からそんな思い出は遠い光景のように小さな粒となって消えた。

親父が職場の部下だった女と不倫したからだ。

家庭が急激に冷たくなっていくのを、俺は子供ながらにひしひしと感じていたよ。」

「・・・・・・。」

「夜更けになっても帰って来ない親父を、お袋はテーブルの上の冷めた夕食をただじっと眺めながら、ひたすら待っていた。

いつか親父が俺達の元へ帰ってくるのを信じていたんだな。

けれど、度重なる不倫相手からのいやがらせ電話や、親父の服から発せられる香水の匂いに耐えられなくなったお袋は心も身体も壊れていき、ある日突然、俺を置いてひとりで家を出ていった。
俺はいつかお袋が俺を迎えにきてくれると信じてた。でもお袋は俺のいない人生を選んだんだ。」

鹿内さんは穏やかな表情を変えず、ただ淡々と話を続けた。

「・・・しばらくして親父は浮気相手の女を家に住まわせた。

その女はお袋の大事にしていたモノ、居場所、全てを奪っていった。

親父はその女とゆくゆくは結婚するつもりだと言って、俺にもその女を母と呼ぶようにと指示した。

俺は家に帰るのが嫌で街をふらつき、不良と呼ばれるヤツらとつるみ、その時酒と煙草の味を覚えたんだ。

数えきれないくらい喧嘩もした。

その頃が、俺が最も荒れていて狂犬と呼ばれていた中学生の時。

俺は新しい母親を、到底受け入れられなかった。

でも俺は金もない、何も出来ないガキだったから、我慢するしかなかった。

その女を新しい家族として迎え入れ、少しづつでも慣れていこうと思った。・・・でもある日俺は家を出ることを決断した。」

「新しいお母さんと上手くいかなかったんですか?」

「・・・あんな女、母親でもなんでもない。」

鹿内さんは、テーブルの上に置かれた紙ナプキンを握りしめた。

「あの女は中学生の俺に色目を使ってきやがったんだ。

親父だけでなく息子まで誘惑しようとね。

気色悪い声で俺の名を呼び、身体を触り、まとわりついてくる。

虫唾が走ったね。そんなことがあった後は、全身をシャワーで洗い流したよ。」

「・・・・・。」

「そんな毎日に耐えられず、俺は伯父や従兄のいる家に転がり込み、やっと穏やかな日常を過ごせるようになったんだ。

中学の時の俺を知らない高校へ通い、野球部の活動に夢中で取り組んだ。

そこで君の伯父である山本信二という親友にも巡り合えた。

大学に入って従兄が結婚し嫁を迎え入れることになり、俺は再び住むところをなくした。

そんなときに信二が俺の親戚の家に住まないかって声をかけてくれた。

・・・そこからはつぐみも知ってのとおり。」

「・・・・・・。」

「俺を捨てた実の母親も、家に住み着いた売女みたいな女も、いままでもこれからも絶対に許せない。

自暴自棄に色んな女と付き合ってみたけど、どんな女にもどこか醒めた目で見ている自分に気付いてしまう。

その女が俺を求めれば求めるほど、俺の中の何かが危険信号を発してしまう。

だからいつも女との付き合いは俺からバッサリとフェードアウトしてきた。

・・・そして女嫌いの男がひとり誕生したってわけ。」

鹿内さんの能面のような固い表情に、私はその心の傷の深さと痛みを自分のことのように感じていた。鹿内さんの柔らかな部分は最も近しい女性達から「女」という武器の鋭いナイフで切り刻まれたのだ。

だから鹿内さんは女が大嫌いで、「愛」を信じられなくて、自分に好意を寄せる女性にも、あんな冷たい態度が取れるのだ。

「つぐみが心の重荷を話してくれたから、俺もつまらない身の上話をしてみた。

そうじゃなきゃイーブンじゃないだろ?」

そう言って冷めかけたレモンティーを啜ったあと、鹿内さんは淋しそうに笑った。

私はなんと言っていいのか判らず、ただ小刻みに震える自分の指先を見つめることしか出来なかった。

「もし信二のはからいで、つぐみの家に世話にならなければ、俺は今頃ネットカフェ難民にでもなっていたかもしれないな。だから山本家には本当に感謝している。」

私は黙ったまま、首を振った。

「そんなこと・・・パパもママも・・・私だって、鹿内さんのことを本当の家族の様に思っています。

けっして気兼ねなんてしないでください。」

「わかっている。君のパパもママも底抜けに明るくていい人達だ。一緒にいると俺まで本当の息子になったような錯覚を起こす。つぐみみたいな可愛い子がそばにいて・・・こんな家庭に生まれたかったな、と思うよ。」

「だったら、良かったです。」

「でも俺が居候するって決まった時、つぐみはすごく怒っていたって信二から聞いているけど?」

そう言って鹿内さんは悪戯っぽく微笑んだ。

「それは・・・パパやママが私に黙って勝手に話を進めてしまったから・・・。

それに私、あの頃は「男」ってだけで心のシャッターを閉ざしていましたから。」

「今はもうしてないの?」

「はい。男というカテゴリーで人間を判断する自分を変えたいと思いました。

男だからとか女だからとか・・・そうではなくその人の中身を見ていきたい、そう思えるようになったんです。それは・・・鹿内さん、貴方が私を変えてくれたんですよ?」

鹿内さんの目を真っ直ぐにみつめながらそう言って、私はまだ半分以上残っているカプチーノを口にした。

「つぐみにそう言ってもらえるのは、すごく嬉しいよ。でも合コンにまで行くとは正直思わなかったけど。」

「あれは黒歴史です。忘れて下さい!」

茶化す鹿内さんに、私は頬を膨らませた。

鹿内弘毅という人の輪郭のパズルが、またひとつはまったような気がした。

もっともっと鹿内さんというパズルの完成に近づきたい。

でもそのパズルは決して私の小部屋に飾られることはない。

鹿内さんに「女」として接したら駄目なのだ。

そんな面を見せたら、きっと私も嫌われてしまう。

・・・近い将来、お金が溜まったら、鹿内さんは家を出て行ってしまう。

それまでの間、私も鹿内さんの心に「つぐみ」といういい子がいたって、ふと思い出してもらえるように頑張ろう。

私は心の鍵をさらにきつくかけ直した。

妹として可愛がってもらえればそれでいい。



その時、私は誰かに肩をぽんぽんと叩かれた。

振り向くと、そこには由宇さんが大きな荷物を抱えて立っていた。

どうやらこのショッピングモールで買い物をしていたらしい。

「奇遇だね。つぐみちゃんもここでお茶してたんだ。」

「はい。あ、鹿内さん。この人は真奈美さんの弟さんで高坂由宇さん。」

「ああ、アナタが、姉がご執心の鹿内さんですか。僕、つぐみちゃんと仲良くさせてもらっています、高坂由宇と申します。よろしくお願いします!」

由宇さんはいつものハイテンションで鹿内さんにお辞儀した。

「鹿内弘毅です。よろしく。」

鹿内さんも軽く頭を下げる。

「つぐみちゃんは何飲んでいるの?」

「えっとカプチーノです。」

「ああ!それ美味しいよね。僕にも一口飲ませてよ。」

私がいいと言う前に、もう由宇さんはコーヒーカップに口を付けていた。

「ん!美味しい!僕もこれ頼もうかな。」

ああもう、鹿内さんのいる前で、誤解されるようなことしないで欲しい。

レモンティーを飲み終えた鹿内さんは、ゆっくりと立ち上がった。

「俺、外で煙草吸ってから先に帰る。つぐみは高坂君とゆっくりしていけよ。」

「え?」

私がバッグを手に取るも、鹿内さんは素早く店の出口に向かって歩いて行ってしまう。

「せっかく鹿内さんがそう言ってくれたんだから、一緒にお茶しようよ。」

「由宇さんごめんなさい。私、帰ります。」

「ええ?!じゃあつぐみちゃん、またね!」

由宇さんの能天気な声が後ろから聞こえてくる。

私は振り向き由宇さんに一礼すると、あわてて鹿内さんの後姿を追いかけた。

小走りしてやっと鹿内さんの隣に追いつくと、鹿内さんが開口一番に言った。

「男嫌いが治って良かったな。」

「え?」

「せっかくだから由宇君と、お茶してくれば良かったのに。」

「・・・由宇さんより鹿内さんのそばにいたいと思いました。駄目ですか?」

「ふん。同情か?」

「同情なんかじゃありません。・・・同情なんかじゃないけど・・・もし今の私が子供のときの鹿内さんと巡り合えていたら・・・何か出来たんじゃないかなって、愛を信じさせてあげることが出来たんじゃないかなって・・・それが悔しいだけです。」

「・・・ありがと、つぐみ。その言葉だけで過去の俺はもう十分救われたよ。」

鹿内さんはそう言って見たことのない優しい笑みを私に向け、あとはただ無言で歩き続けていた。

私もそれ以上、何も言わず歩いた。

手なんて繋いでもらえないけれど、鹿内さんの横を歩ける、ただそれだけで幸せだった。



その日の夜、由宇さんからラインが届いた。

(今日は偶然会えて嬉しかったよ)

(それにしても鹿内さんて面白い人だね)

(面白いですか?どこがですか?)

(僕がちょっとつぐみちゃんを構ったら、いきなり退席しちゃうんだもん)

(あれは・・・失礼しました。鹿内さん、煙草が吸いたくなっちゃったみたいで。)

(あれ男の嫉妬ってやつでしょ?怖いよね。僕も気を付けなくちゃ。)

え?!

は?!

・・・鹿内さんが由宇さんに嫉妬した?

私はバババッと由宇さんに返信する。

(鹿内さんは嫉妬なんて感情を持ち合わせていない人ですよ?

ましてや私なんかのために嫉妬するなんてありえません。)

またもやすぐに由宇さんからのレスポンスが来た。

(そうかな?僕の勘違いかな?)

(そうです。それに鹿内さんにはもうすでに素敵な彼女がいるんですから。)

(へえ!そうなんだ!!)

その文字の次にクマがぴょんぴょんと飛び跳ねているスタンプが送られてきた。

まったく由宇さんて変な人だ。

私は複雑な思いで、由宇さんとのラインのやりとりを眺めた。



後日、両親の結婚記念日に、ペアのパワーストーンを鹿内さんと一緒に、二人に贈った。

パパとママに同じような小箱を渡すと、ふたりは目を合わせながら包み紙を開け、蓋を開いた。

ママはそのブレスレッドを手に取って「わあ素敵!」と口を大きく開けた。

パパも「うん。つぐみはなかなかセンスあるな。」と喜び、さっそく手首にお揃いのブレスレッドを付けていた。

私は「左側につけるのがいいのよ。」と二人に教えてあげた。

あとでママは意味深な笑みを浮かべて

「あなたたちもお揃いで買ったら良かったのに」と私に耳打ちした。