夕方、いつもの日課であるモモの散歩に、私は一人で出かけた。

一人が淋しいなんて、鹿内さんが家に来るまでは思ったこともなかった。

でも、今の私はどうしてこんなに淋しいのだろう。

・・・・きっと鹿内さんと美也子さんは結ばれたのだ。

だってあの夜、鹿内さんは帰ってこなかったのだから。

美しい夕日も色とりどりに咲く花壇のマーガレットやラベンダーも、

私の沈んだ心を晴らしてはくれなかった。

リードを引っ張るモモも、どことなく不満げに見えるのは気のせいだろうか。

いつもの公園で、いつものようにペットボトルのお茶を口に含む。

いつもの日常が戻っただけ・・・ただそれだけ。

私が地面をじっと見つめていると、どこからかワンワンと聞き覚えのある犬の声がした。

ふと顔を上げると小太郎が、モモにすり寄ってクイーンと甘えるように鳴いた。

「おい!小太郎、失礼だぞ!」

リードを持っていたのは真奈美さんではなく、サラサラな髪を金髪に染め

青いストライプのシャツに破けたジーンズを履いた若い男の人だった。

「あ、大丈夫です。いつものことなので。」

モモは自分ではすり寄らないまでも、まんざらではない様子で

小太郎のされるがままになっていた。

「えっと、君、もしかして・・・つぐみちゃん?」

くりくりとした目がさらに大きく見開かれた。

「はい。そうですけど・・・」

「僕は高坂由宇。姉貴から聞いていたんだ。

小太郎が気に入っているワンちゃんの飼い主さんが家に遊びに来たって。」

「じゃあ、真奈美さんの弟さん?」

「そっ!よろしく!」

そう言って由宇さんは右手をサッと出した。

握手を求められていると気づいた私はおずおずと右手を出した。

こんなことを初対面の人間にサラッと出来ちゃう人もいるんだな。

私はイタリア人を見るような目で由宇さんを眺めた。

・・・そういえば鹿内さんとも偽彼女契約を結んだとき、握手をしたっけ。

ディズニーランドに行ったときも、はぐれないようにって手を繋いでくれた。


私は大きくて温かい鹿内さんの手の平の感触を思い出していた。

由宇さんは当たり前のようにベンチに座ると、うーんと一つ伸びをした。

「やっぱり夏の夕暮れはいいなあ。なんだか子供の頃を思い出すよ。

昔はさ、暗くなるまで友達と鬼ごっこしたり缶蹴りしたりして。懐かしいな。」

「そうですね。私も暗くなるまで遊んでいました。」

でも私はあまり外で遊んだ思い出はない。

外は男子がうじゃうじゃと遊んでいたから、怖かったのだ。

主に家の中でおままごとやビーズでアクセサリーを作ったりしていた。

「小学生の頃、好きな女の子にかまって欲しくて、虫を捕まえてはこれみよがしに見せたりしたら、盛大に嫌われちゃってさ。あの時はまいったよな。」

私は由宇さんに昔からの疑問を打ち明けた。

「男子ってどうしてそんなことでしか愛情表現が出来ないんでしょうか。

優しくしてくれればこっちだって対応しようもあるのに。」

「それはさ。やっぱ、照れ臭いじゃん。

男子の頭の中なんて単純だからさ、それしか方法がわからないワケよ。」

そう言って由宇さんは鼻の下を人差し指でこすって見せた。

「でもそれは昔の話。今は僕、ジェントルマンだから、女の子の友達一杯いるよ。」

「そうでしょうね。」

小学校の時にもそういう男子がクラスに一人はいたっけ。

女子の会話の中に難なく入ってくる中性的な男子が。

鹿内さんみたいなタイプの男子もいた。

俺様で、喧嘩が強い一匹狼的男子。

いけない。また鹿内さんの事を考えてしまっている。

「つぐみちゃんは今高校生?夏休み中って感じ?」

「はい。そうです。」

「僕も夏休み。ダンススクールに通っているんだけど、友達は皆帰省していたり、

長期の旅行に行っちゃっていて、暇を持て余しているんだよね。」

「へえ。どんなダンスを?」

「まあ色々とね。主にブレイクダンスやヒップホップかな。」

そういうと由宇さんは私に小太郎のリードをゆだね、勢いよくベンチから立ち上がった。

そしておもむろに軽やかなステップを踏み始めた。

くるくると舞うその体はしなやかで、心からダンスが好きなんだという情熱が伝わってくる。

由宇さんがダンスのフィニッシュを決めるまで、私はボーっとただ見惚れていた。

「わあーすごい!」

私が惜しみない拍手をすると、由宇さんは少し照れ臭そうにえへへと笑った。

「そうだ!つぐみちゃん、連絡先教えてよ。暇な時にこの街を案内してくれないかな。」

私は断る理由が見つからず流されるまま「いいですよ。」と答えていた。

私と由宇さんはお互いのスマホを出すと、ラインの交換をした。

「おっと。あまり遅くなると姉貴に怒られる。今日、僕の食事当番なんだ。」

「さっきはダンス、ありがとうございました。」

私がお辞儀をすると由宇さんは私の手を取って一礼して見せた。

「お姫様のご所望ならいつでも何なりと。なんてね。僕、ミュージカルもやっているんだ。」

「すごい・・・。」

「じゃあ、またね。」

そう言って大きく手を振ると、由宇さんは小走りで小太郎を引っ張って行った。

なんて軽やかな人なんだろう。

その軽い身のこなしに、私は圧倒されっぱなしだった。

男の人でもあんなに接しやすい人もいるんだな。

気が付くと私は、少しだけ淋しさの呪縛から解放されていた。

夜の帳はもうすぐそこまで来ていた。