俺様御曹司が溺甘パパになって、深い愛を刻まれました


覚悟を決めて、ゴクリと喉を鳴らしながら一歩踏み出す。

音夜の横に並んだとき、千恵子は音夜が抱く夜尋に目を向け、「まぁ」と顔に花を咲かせた。


「まぁまぁまぁ! なんて可愛らしい」

「だろ? 夜尋っていうんだ」

「ヤヒロ君? どんな漢字なの?」

「朝昼晩の夜に、単位の尋だよ。尋《ひろ》はさ、深い人間になれるようにとか、意味あるんだ。夜は俺と、美夜の名前からとったんだ。だよな」

「?!」


物凄い覚悟をしたはずなのに、音夜はさらっと暴露した。
な? とはにかまれても、ひんむいた目が戻らない。これはどうやって返事をすれば。


「あ」とか「う」と変な返事をしているうちに、二人は盛り上がった。


「素敵な名前! 実はね、音夜が生まれたのも、この星林亭なのよ」

「え、地元の病院じゃなかった?」

「お父さんと大喧嘩をして、お兄ちゃん連れて家出して、たまたまたどり着いた旅館だったの。
まだ予定日は一ヶ月以上先だったし、しばらくなんとかなると思ってたんだけど、急に産気づいちゃってね」

「なんて無謀な妊婦だったんだ……」


「そうよねぇ。急な出産で、すごく迷惑をかけてしまったけれど、星林亭のみなさんがほんとうに良くしてくれて。
戸惑いながらもお湯を沸かしたり汗を拭いたり、近くに住んでいた産婆さんを連れてきてくれたり。

お父さんは、音夜が生まれた夜に駆けつけてくれた。何やってるんだって泣いて怒ってね。

満点の星空で、静かな夜だったわ。
風と、虫の音。胸に抱く赤ちゃんの寝息、あとはお父さんが鼻を啜る音だけが響く、とても静かで、素敵な夜だったの。
音夜の名前はそこからつけたのよ」

「初めて聞いた」

「あら、小学生のころ教えたわよ。自分の名前を調べる宿題があったじゃない」


「そうだったか?」と音夜は首を傾げた。


「とにかく、とても思い入れのある宿なのよ。久しぶりに来たわ」

「千恵子さん、お久しぶりです」


女将が前に出て、丁寧に頭を下げた。


「女将さん、契約交渉依頼というご無沙汰でごめんなさいね」

「とんでもありません。お忙しい身なのは存じ上げておりますから。その節は、旅館の経営難を救っていただいてありがとうございました」

「主人と、この旅館の経営状態のことを知って、どうしても残したいって思ったから、こちらから手を出させてほしいってお願いしたんですよ。
関わらせてくれてありがとう。こうして、また来ることができてうれしいわ」

「存続させてくださったお陰で、また新しい縁を結ぶことができました」

「そのようね。その話をしたくて、来たのよ」


千恵子は美夜を真っ直ぐに見て、にっこり笑った。