【短】逃げないことを、逃げの言葉にするのはいい加減して


「愛してるって、なんなの?もう聞き飽きた。もう信じられない。貴方は何度も、私に傷痕を付ければ気が済むの…?」

「奈々恵…」


と、そこで初めて目頭が熱くなっていくのを感じた。


このままじゃいけない。
今ここでする訳にはいかない…。


そう、思うのに一度弾け飛んだ感情は思う様にコントロールが出来なかった。


「私は、嫌なのよ。もう…こんな生活。無理なの…」

「奈々恵、俺は、それでも…」


と、伸ばされた腕を思い切り叩き落とす。


「触らないで!余計に惨めになるじゃない…。修復できる環境にもないのに、何時も貴方は肝心な事を言わない…。何時も何時も、私から…っ。そんなのは耐えられない。そうしたら…もう、別れるしか術はないでしょう…?」


頬を伝った涙は、これでもかと言う程とても冷たかった。

今の私の想いは届かない。
彼には絶対に届かない。


だから、最後の言葉で…私は彼を殺めてしまおう…。



「離婚届に判を押してちょうだい。それ以外は受け付けない…」



死刑宣告をされた様に、震えるだけの彼から視線を逸し、私は窓の外の満月を見つめる。


それが、霞んで見えてしまう事には、気づかないフリをして。



愛してるって、幾ら言われても…。
掻き口説かれたって…。


もう、遅いのよ。
思う遅い。



こんなにも離れてしまった二人の距離。


私は少しだけ歪んだ彼の捺印を、遠目で見つめて深く息を吐いた。


ねぇ…?


愛してる。

だから、なんなの…?

それはもう…二人の間ではなんの呪文にもならない。


私はそっとひしゃげた指輪をことんと机の上に置いて、自室に戻ると、密やかに纏めていた荷物を手にして、ひらりと彼の手から離婚届を引き抜いた…。


「あとの荷物は、好きに捨ててくれて構わないから…」


そして、私は前を向いた。

溢れていく、涙を彼に見られないようにして…。


結局、好きになったのは私の方で。
拾ってあげたのに、なんて言いながら…其処に胡座をかいていてのは、私の方…。


愛してるを、伝えたかったのも…抱きしめたかったのも…繋ぎ止めておきたかったのも…。



だけど、私はそれでも離れる事を選んだ。

これ以上、溺れていくのが怖くて。
これ以上、彼を…何も言わない彼に逃げ道を作らせるのが嫌で。


「敦…"愛して"た…」


そう呟いて、満月の光の下…私は一人歩き出した。





Fin.