「波那っ、大丈夫か⁈」

 雅人は真っ青な顔で波那を抱き起した。そのまま先程まで波那が座っていたベッド横の椅子に波那を座らせ、自分は膝立ちになって波那の顔を覗き込んだ。
 心の整理がつけられないままだった波那はただ呆然と雅人の顔を見つめて、こくりと一つ頷いた。

「…大丈夫。寝不足でちょっとふらついただけ。」
 その言葉にも眉間の皺を取らず、ベッドで眠る幸汰と琴乃をちらと見てから、雅人は声を潜めて口を開いた。
「ごめん。ずっとスマホ見てなくて、朝になってやっと波那からのメール見たんだ。…何があった?」

 雅人の目には心配の色しか浮かんでいない…ように波那には見えた。
 けれど自分のその感覚に自信は持てなかった。

 波那はゆっくりと、夕べからのことを雅人に話した。
 駆けつけてくれた救急隊員が本条であったこと以外を。


 波那の話を聞き終えると、大きなため息をついた雅人は立ち上がって幸汰の頭をそっと一撫でした。
「…ごめん。自転車で遊ばせ過ぎたんだな。…ごめんな。」
 それから琴乃の頭も同じように撫でると、波那に向かって頭を下げた。
「大事な時にいなくて、本当に悪かった。でも波那が頑張ってくれたおかげで幸汰が無事だった。ありがとう…ありがとう、波那。」

 雅人のその姿を見た波那の頰に涙が転がり落ちていった。
 顔を上げてそれに気付いた雅人は、安心した気の緩みからのものだと思い、波那の頭を自分の胸に押し付けるようにして抱きしめた。

「心細かったよな。ごめん。もう後は俺がいるから、安心して。…波那も横になって休もう、な?」

 とんとん、と片手で背中を叩かれながら、波那は。

 家のではない、甘いボディソープの香りを嗅ぎ分けていた。

「…雅人、いい匂いするね。」
「…え?」

 胸元に顔を押し付けたままくぐもった声でぽつりとこぼすと、自分を包む体がこわばったのを感じた。
 手をついて、雅人から体を引き剥がす。

「もっとお酒臭くなって帰ってくるかと思ってた。…お風呂借りたの?」
「あっ…うん。やっぱり最後は本条んちで家飲みになってさ。でも飲むより喋るのに夢中になったからかな。朝になってシャワーだけ借りたんだ。その前にスマホの確認しとけば良かったよ、そしたら…」

 波那はじっと雅人の目を見ながらその言葉を聞いていた。
 雅人は最初こそ微かに目をうろつかせたが、すぐにいつもの顔に申し訳なさをプラスさせた表情で話している。

 …こんなに簡単に、上手に嘘をつけるんだ…

 本条とあんな形で会っていなければ、波那が雅人の言葉を疑うことはなかっただろう。



「…そっか。」

 波那はそれだけ言うと立ってキッチンに向かった。

「…波那?」

 雅人が少し戸惑った声で名前を呼んだが、そのまま部屋を出た。

 まだ自分が雅人に言いたい言葉が見つからなかった。