頭が痛い。
けたたましく鳴る時計を止めた瞬間から、休んでいた脳に情報が流れ込む。寝起きでここまで脳が動くなんて我ながらすごいと思った。考え癖のある私にとって頭がうるさいのは日常だ。
ヤダなぁ…
特になにがというわけでもないのだが、1日が始まるということそのものが苦痛に感じる。ずっと眠っていられればいいのに。どうして人間は労働しなければいけないんだろう。どうして生活しなければいけないんだろう。たまたま生まれただけなのに。
だんだん発想が幼児化してきたところで、ようやく私はベッドから出た。時計を止めてから20分経っている。こんなだらしない人間が職場ではそれなりに頼られているから不思議だ。「しっかりしてる」なんて言ってくれる同僚たちが知ったら幻滅するだろう。他人の中にある「私」のイメージが崩れるのは怖い。幸い37年間器用に生きられたので、どの環境においても私は信頼される。
リビングでは夫が着替えを済ませていた。共働きの私たちは今日もお互い出勤の準備をする。簡単な朝食をいっしょに摂り、夫を見送って35分後に出勤。結婚してから8年間のルーティーン。こうして私の1日は始まるのだ。同じことの繰り返しと言ってしまえばそうなのだが、なんだかんだ幸せな結婚生活だと思う。仕事は続けられているし夫も干渉しないが優しい人。どう考えても私は恵まれているだろう。
2人分の食器とカップを軽く洗ったところで、思ったより時間が迫っていることに気づいた。そろそろ着替えないと電車に間に合わない。仕事着はジャージにTシャツ、上から薄いパーカーというラフの極みのようなコーディネートだ。職場が温水プールなのでスタッフのほとんどがそれくらいの服装をしている。私はそのプールのマネージャーとして勤めているが、特段地位が高いわけでもなく、あくまで管理や調整といった感じだ。それでもやりがいはあるし仲のいい同僚もいて職場はけっこう好きだ
服を脱ぎ、容赦なく現実を見せてくる姿見の前に立つと、どうしても年齢を実感せざるを得ない。いかに20代の身体が恵まれていたか当時はピンと来なかったが今ならよくわかる。今日より若い日は永遠に来ないということは平等な事実であるはずなのに、それでもそんなこと考えたくなかった。
こんな身体じゃ…仕方ないよね
12年も同じ人間と暮らして、しかもここまで明確に老いを感じる身体をしている。私たちが男女でなく家族になってしまったのはきっと私のせいだろう。それなりに見た目には気をつかってきたつもりだが、日に日に年齢を感じることの積み重ねに私自身疲れてしまった。仕事や家庭に一生懸命になるほど自分への投資が疎かになった。
美容院何ヶ月行ってないっけ…かわいい服も下着もずっと買ってない…
結局私が自分で限界を作ってしまっただけだ。もっとしっかり自己管理や努力をしていたらきっと違う未来だったろう。今やそんなことを考えることすら無駄なのもわかっていた。
ハハッ
惨めな自分に思わず嘲笑してしまう。止めよ止めよ。もう家を出る時間だ。考えたくない時は忙しさに救われる。とりあえず今日も仕事だから、終わるまでは仕事に没頭してしまえば大丈夫。
玄関のドアを開けると刺すような光が降り注いだ。陰鬱な心を嘲るような憎たらしい灼熱の晴天。肌にまとわりつく熱気がうっとうしくて仕方なかった。頭が痛い。軽く目眩がするものの2ヶ所の鍵をしっかりと掛け、私は駅へ向かった。