「お主もなかなか悪くないのお。あの仏頂面の王太子といいリンデルワーグの男は妾の情欲を大層掻き立ててくれる」

ララ姫はキールにそろりと近寄ると、頬を撫で首筋へと指を辿らせる。

「だが、今回はお預けじゃ。お主は摘み取るにはまだ青い。この男をおいて砦へお帰り。団長に代わり騎士団の指揮を取れば、そなたの望むものが手に入ろうぞ」

赤く塗られた長い爪が僅かに皮膚に食い込む。刺されたわけでもないのにじくじくといつまでも痛みが残った。

(いっそのこと、この女を人質に取るか……?)

キールの頭の中に浮かんだ騎士らしからざる卑怯な考えを打ち消すようにラルフが首を振る。

ラルフはキールに何もするなと目で合図を送り続けた。

ララ姫の目的が分からない以上、ここで暴れてしまってはこの後どんな報復が待っているか分からない。

サザール平原にクルス兵の姿が見えないこともラルフを慎重にさせていた。

マガンダと共闘した割にはクルス兵の動きに積極性が見られない。

もしかしたら、クルスはこれを機にリンデルワーグを獲ろうとは思っていないのではないか?

なるべく様子を見たいというラルフの意向を汲み取ったキールは剣から手を離した。

「高貴なる方からのご厚意ありがたく頂戴致します」

キールはそう言うとララ姫の前で跪いてみせた。そして、忠誠の証として手の甲にキスを贈る。

「其方は狗のように可愛い男じゃな」

ララ姫の手は本当に生きているのかと疑いたくなるほどに冷たかった。

多くの女性と奔放な付き合いをしてきたキールだったが、どれほど金を積まれてもララ姫の相手だけはごめんだった。

背筋がゾッとするような美しさとはこのことだ。

春の陽だまりを思い起こさせるエミリアの温もりとは対照的に、薄氷のごときうすら寒さは見た者を凍えさせる。怖いもの見たさで足を踏み込めば、あっという間に割れて冷たい水底まで真っ逆さまに落ちていく。

「さあ、屋敷に戻るかえ」

ララ姫がそう言うとナイジェルは渋々兵に退却の指令を出した。ラルフは再び麻袋の中に入れられ、マガンダ兵の馬に乗せられた。

キールはラルフが攫われていくのを指をくわえて見ているしかなかった。

(くっそ……!!やられたっ!!)

蹄の音と土煙が消え去ると、キールは地面を思い切り蹴った。

己の無力さがひたすら腹立たしかった。