マリナラとの交渉を終え、無事に門限前にケルシェ村から帰ってきたラルフは愛馬をこっそり厩舎に戻すと詰所までの道を歩き出した。

すっかり日が暮れ、篝火が焚かれようとも足元が見えない中、すいすいと歩くその姿は闇夜に紛れる(ふくろう)よりも素早い。

「お戻りになられましたか。ラルフ団長」

細心の注意を払って裏口の戸を開けたというのに見咎められ、ラルフは思わずギクリと肩を震わせた。

「また新人の団服を着てこっそり出掛けていましたね?今日はどこにお出かけですか?」

レジランカ騎士団副団長のグレイ・ゴードルトンは腕組みしながら戸裏から現れ、きっちりラルフの行く手を塞いだ。

どうやら小言をくれてやろうとラルフが戻ってくるのをわざわざ待っていたようだ。

鈍色の長髪を一つに結わえ切れ長の目をギラリと光らせラルフを睨みつけるその様は、まるで執念深い蛇のようだった。

「急に屋台の鳥の串焼きが食べたくなってな。ほら、土産だ。宿直の合間に食べてくれ。しばらく行かないうちに女将が新作を出していてな。甘辛いタレを絡めた串がこれまた絶品だったぞ」

ラルフが冷静にそう言って串焼きを渡すと、グレイの眉間に不愉快げな皺が深く刻まれていくのが見てとれた。

「第4王子ともあろう方が、庶民と同じ食べ物を食べて喜ばないでください」

「何を言っているんだ?野営の時にはカエルの脚やらイモ虫なんぞ食べているんだ。きちんと調理された肉は私にとっても何よりのご馳走だぞ?」

「論点をずらさないで頂きたい。そう言うことを申し上げているのではありません」

なんのことやら?と空とぼけようとしたが、この掴みどころのない団長の元で何年も働いているグレイは一向に騙されなかった。

「貴方にもしものことがあったらお母上と妹君になんと申し開きしてよいものか……。妹君も貴方のことを心配されておりました」

「妹を送ってもらって助かった。急に留守を頼んで悪かったな。少し野暮用でな」

詰所に戻る前になんとか己の職務を思い出したラルフはマリナラと結婚の契約を交わしたことをおくびにも出さず、しれっとした顔で副団長に留守を詫びたのだった。

「皆、変わりないか?」

「はい。レッジがまた馬に唾を掛けられていたことを含め変わりありません」

「おいおい何度目だ!!馬に舐められているようでは騎士として未熟だぞ。鍛え直してやれ」

ラルフは声を上げて笑ったが、次の瞬間真顔になってグレイに耳打ちした。

「そろそろ北がきな臭くなってきた。近々動きがあるかもしれぬ。心してかかってくれ」

「はい」

グレイは先ほどまでの気軽なやり取りとは打って変わり真面目に返事をすると、唯一腕前を認める団長に廊下を譲りそっと首を垂れたのだった。