「君、もしかしたら私がいい人かもしれないなんて思い始めているとしたら、それは間違いだぞ」

 穏やかな瞳で私を観測しながらグラスを飲み干してそう言った近宮先輩の言葉の意味を、私はすぐに理解する。

 結論から言って、このヒトはやっぱりサディストだったのだ。

 何故なら、芳醇かつ洗練で、脳髄からつま先まで震えるような多幸感に包まれる、まごうことなきシャトー・ディケムの1995年の味は、生きることに絶望している身にはこれ以上なくツラクこたえる、「生きていて良かった」という味だったからだ。

 <完>