轟々と燃え盛る炎。いつも見慣れたはずの我が家が濃い黒煙をあげて燃えている。
 日常であるはずの場所が非日常になっている光景に、私はただ呆然と見ていることしかできなかった。
 私は住む家を無くしてしまった――。


  *  *  * 

二月四日(初日)

「本田さん、これコピーとって課長のとこに渡しといてね」
「はい、わかりました!」

 女はゆるいウェーブがかったロングヘアーを揺らして、雑務の押し付けにも歯切れ良く返事した――と、思いきや

「ったく、自分でやってよね」

 相手には聞こえないボリュームで悪態をつく。といっても、相手は用事を一方的に押し付けると、こちらの返事を聞くより先に立ち去っていたので聞こえるはずもなかった。
 雑務を押し付けられた女――本田(ほんだ) 真琴(まこと)はいたって普通のOLだ。
 入社二年目にして同じチームの先輩に顎で使われるのはもう慣れていた。正直自分の仕事は自分でやるようにと正論をぶつけたいが、社会で生きるためには波風立てずにうまくやることも必要だ。
 実際、先輩の雑務をこなしていると、他部署の人間と関わる機会も多く、顔が広くなるので今はこれで良いと思いこむようにしていた。
 それでも心に積もるモヤモヤは次第に膨らんでいくので、たまには息抜きしないとやっていられない。今日は何がなんでも定時退社し、贅沢なケーキでも買って帰ろうなんて考えていたら、同僚から呼び止められた。

「本田さん、電話。受付から転送きてる」
「受付から? 何だろ… はい、本田です」
「受付です。本田さん宛にアパートの大家と名乗る方からお電話が入っておりますが、このままお繋ぎして良いですか?」
「アパートの……? はい、お願いします」

 心当たりのない着信に動揺を隠せなかった。嫌な予感がどっと迫ってきて、鼓動のリズムが早くなっているのを感じる。
 受話器の先から聞こえた声は、何やら喚くような声で、挨拶でしか聞いたことがなかった大家の声と本当に同一人物なのか判断ができなかった。そのため、一言目は何を言っていたのか頭に入らなかった。

「本田さん! 大変だよ! 火事! 隣の山本さんの部屋が……」

 電話の相手が大家だと判断できたとしても、今度は内容が突然のことすぎて頭に入らなかった。それでも大家は「火事」という単語を連呼するため、数秒経ってからその意味を飲み込む。

「す、すぐに帰りますから!」

 それだけ伝えて通話を切る。すぐさま自分のデスクに戻り、バッグにスマホと財布だけを詰めこみ肩にかける。

「緊急事態なので早退します! 事情は追って連絡しますから!」

 課内に響き渡るよう声を張り、それだけ言い放って会社を出た。
 道中、誰かに声をかけられた気がしたけど今はそれどころではない。無視して全力で走って駅に向かう。
 電車に乗ってしまうとこれ以上急ぐ術などないのに、座ってなどいられなくてドアの前に立ちつくす。
 外の景色を眺めながら表情はこわばったままだった。全身にじっとりと嫌な汗をかいていた。
 最寄り駅につくとドアが開き切る前にいち早く降車した。
 駅を出た途端、我が家の方向を見ると、そこからでもハッキリと見えるほど、異様な黒煙が立ち上っており、辺りも騒然としていた。
 顔から血の気が引いていくのを実感した。そこからの記憶はない。気がつくと、無残な我が家の姿をただ眺めていた。炎と煙に包まれた我が家を。