朝の一悶着のことはさておき、お昼の十三時を回った頃、真琴は元々住んでいたアパートを訪れていた。
 当然ながら、自分の部屋を覆っていた炎と煙はもう無かったが、壁一面が真っ黒な(すす)で覆われていた。
 変わり果てた我が家の姿になんとも言えない気持ちになった。
 本日ここに来た理由は、部屋の解約の手続きを済ませるためだ。
 大家は私の顔を見ると、自分の監督が行き届かなかったことを謝りだした。
 すでに色んな人への説明や謝罪などで疲れているのだろう、肌色はいつもより暗く、目の下のクマもひどくなっていた気がした。
 私はひとまず住処を確保したこともあり、この大家への怒りの気持ちなどはなかった。
 このアパートには合計六部屋あり、燃えた部屋は三部屋、無事だった三部屋は、一つが空き部屋、残りは大家と別の住民が住む部屋だった。
 築三十年のボロアパートだったこともあり、改修はせず取り壊しをするらしい。
 今住んでいる住民が半年後に退去するため、その後に解体工事が入るのだとか。
 肝心の出火元の〝山本さん〟は火事の日以降消息が掴めず、夜逃げをしたのだろうと大家は語った。
 必要な手続きを終え、真琴は居候先のマンションへと帰宅する。
 そういえば、本日の夕食は誰が作るのかまだ決めていない。
 奏に連絡をして決めるべきなのだろうけど、〝朝の悪意〟を思い出すと胃がムカムカするので連絡をしたくない。
 その問題については今は思考すらしたくないので、ひとまず放置し、今度は会社へ連絡することにした。
 思ったよりも良い環境で生活できているため、週明けにでも復帰するということを伝えておいた。
 そして、今はせっかく勝ち取った休暇を思う存分満喫しようと思って、布団の上に転がった。


 夜の七時を過ぎた頃、奏が帰宅してきた。
 真琴はその物音で目が覚めた。いつの間にか寝落ちしてしまい、今の今まですっかり眠ってしまっていたらしい。
 半分開ききっていない目のままキッチンへと向かうと、机には食材の入ったレジ袋が置いてあり、奏は夕食の準備をしようとしていた。

「おかえりなさい」
「寝てたの?」
「そうみたい……今起きた」
「お目覚めのキスはいる?」
「次その話したら本気で怒るわよ」
「はいはい。今から夕食作るから、座って待っててよ」
「……ありがとう。……私が準備してないこと、よくわかったわね」
「真琴が作る時は絶対主張してくると思ったから」

 真琴の思考と行動を完全に理解しているかのような口振りだった。
 現に思い当たる節があるので真琴は何も言い返せず、リビングのソファに向かった。

 いつもこの二人の会話は必要なことだけを話す。本日の夕食も特段会話が弾むことはなく終了した。
 食後、奏はリビングのソファに座り、日課のようにパソコンを眺めていた。あんまりテレビは見ないらしい。
 奏が座るソファの横に、少し間を空けた状態で真琴が腰掛け、話を切り出した。

「あの、昨日の……ことだけど」

 いつも強気で勢いのある真琴が、恥ずかしそうに目を逸らしながら、震えた声で話し出す。

「その話題禁止じゃなかったの?」
「確認が必要なことがあるのよ!」

 奏は何も言わず、相手の話の続きを待っている。

「昨日の〝アレ〟は演技だったの?」

 相手の真意を見極めるため、疑いの眼差しで奏を見る。
 奏は真顔でその瞳をじっと見つめ返す。この数秒の沈黙に真琴は心臓が痛くなる思いだった。

「お酒が飲めないのは事実だよ。だから今まで隠していたんだけど……酔った時に何を考えてたとか、どういう気持ちだったかとかは覚えてないんだ。でも、起こった事実だけは……まぁ……割と覚えてるかな」

 奏の告白を聞いても、まだ真琴は疑惑の目で見つめている。
 証明ができない事柄に、奏も眉を八の字に歪め、さすがに困った様子だった。

「嘘じゃないよ。信じて欲しい。もう今後お酒は飲まないって約束するから」

 胡散臭い男ではあるが、十年以上の付き合いの中で、彼が真琴に嘘をついたことは無かった。
 今回の言葉も、嘘をついているようには思えなかったので、真琴は疑惑の目を向けるのはやめた。

「わかった。信じる。じゃあ、この話はもうおしまいね」
「待って、こっちからも一つ確認したいんだけど」

 一方的に話題を終わらそうとしたのに、「待った」がかかり、真琴はギクリとした表情を浮かべる。
 この男に何をツッコまれるのかと怯えた。