そんな樹莉の癒しがスナックでひとりしっぽり飲むことだった。『スナック樹奈』は樹莉の友人である山吹美奈子(やまぶきみなこ)の店だ。

 家と最寄駅の間にあるおかげで多少遅くなっても一杯飲んで帰ることが多かった。もちろん美奈子に愚痴を聞いてもらうまでがセットだ。閉店後もふたりで話したり飲んだりすることもある。

 そんなふたりだが、実は再会するまでほとんど話をしたこともなかった。ふたりは中学校の同級生で高校も別々だったためお互いが『同級生』であることを知っているぐらいの希薄さだった。

 だが、大人になって、正確には今から5年前ことだ。28歳の年に偶然出会した。
 当時の美奈子は1歳になったばかりの乳幼児を抱えて路頭に迷いかけていた。

 美奈子は高校卒業後、都内の服飾系の専門学校に通っていた。だが、小遣い欲しさに片足を突っ込んだ水商売が性に合っていたらしく、専門学校を辞め、そのまま水商売の道を進んだ。
 
 その結果銀座で名を馳せるホステスになった。毎日美奈子に会うために、時間とお金を費やす客が集まった。そのうち客のひとりと深い仲になった。彼は美奈子が入店した当時から指名する顧客だった。隠れて付き合っているうちに、男が美奈子に「店を辞めてほしい」と頼むまでそう時間はかからなかった。

 男は会社経営者だった。売上も右肩上がりの会社で都内の高層マンションの最上階に住んでいた。美奈子が働かなくても十分に贅沢できるほどには金があった。そしてその頃、美奈子の妊娠が発覚した。26歳だった。店からも客からも惜しまれつつ引退した。美奈子は幸せの絶頂だった。

 だが、それは長く続かなかった。男は美奈子以外の女性とも関係を持っていた。それだけでなく子どもまでいた。そして籍を入れたはずなのに入っていなかった事実も発覚した。美奈子がつわりで苦しんでいた時に「籍だけ入れてくる」と男が区役所に提出しに行ったため、美奈子はちゃんと確認していなかった。本当は写真を撮ったりしたかったが、起きているのも辛くてそれどころではなかった。結婚式は時期を見てとのことだったが、男の仕事が忙しく帰宅しない日も続く。出産後は動けない美奈子に変わり、家政婦を雇ってくれていたものの、ある日相手の女が美奈子たちが住むマンションに乗り込んできて事態が急変した。

 美奈子は家族と縁が切れていたこともあり、頼るところがなかった。あれだけ華やかに惜しまれて引退したのだ。かつての店の関係者に相談することはできなかった。憐れむどころか銀座中の笑いものに違いない。美奈子のプライドが許せなかった。