「なんてこと‼︎」

 エリカから話を聞き終えた後、私は思わずその場から立ち上がり、叫んでいた。
 その声にエリカは身体にビクンッと力を入れる。

 私はそれをなだめるように声をかけた。

「ああ、ごめんなさい。あなたに言ったわけじゃないのよ。ありがとう。状況はよく分かったわ」
「聖女様! 間違いなく、衛生兵たちの能率が下がったのはわざとです! 手を抜いているんです‼︎ このままでいいわけありません!」

 デイジーが眉を吊り上げて、怒りをあらわにする。

「聖女様がこんなにも頑張っているというのに! 聖女様が頑張っているからこそ、この部隊が成り立ち、負傷兵たちは命を落とさずに済むというのに! これは懲罰ものです‼︎ 今すぐに該当者を呼び出しましょう‼︎」
「落ち着きなさい。デイジー」

 今にも部屋を飛び出していきそうなデイジーを落ち着かせ、私は思案した。
 まず賞賛すべきはカルザーだ。

 人心の把握といった点においては、私の何倍も長けているのだろう。
 衛生兵の多くは望んでこの戦場に配属されているわけではない。

 私だって死にたくはないと思うのに、どうして彼女たちを一方的に責めることができるだろうか。
 意図的に手を抜くことは誉められたものではないが、確かにそうすれば後衛の別の部隊に異動できたり、除名されると思えば、やってしまう者も出てくるだろう。

 カルザーのいう通り、今の時勢ならば、緑色のリボンタイを付けている衛生兵ですら、街で職に困ることはないはずだ。
 命の危険に晒されてまで、この戦場に尽くすよりも、そっちの方が賢明な判断とも言える。

「それだとしても……!」

 私は思わず口から言葉を漏らし、右手で拳を作り、力を込めていた。
 短く切り揃えた爪が、手のひらに食い込む。

「あの……部隊長。私は知っていることは全て話しました! すぐに報告しなかったことはこの通り! 謝ります‼︎ だから……」

 今まで黙っていたエリカが必死の形相で、温情を迫ってきた。
 先ほどは優しい笑顔を見せていたデイジーも、これについてはどう判断すればいいのか迷っている様子だ。

「確かに聖女様は大丈夫と入ったけど……あなたがもしすぐに報告してくれたら、今ほど酷くなってはいなかったはずよ?」
「いいのよ。デイジー。私が最初に言った通り、この件でエリカに何かするつもりはないわ。むしろ、よく話してくれたわね。ありがとう。もう行っていいわ。あ、それと。今日私たちに話したことは、他の衛生兵には秘密にしてちょうだい」
「分かりました。それでは……失礼します」

 元の緊張の状態のまま、エリカは隊長室を後にした。
 デイジーはそれを見届ける間も無く、私に質問してくる。

「それで。どうするんですか? いくらカルザー長官の言葉があったせいとはいえ、彼女らがやっていることは明確な裏切りです! 自分たちが手を抜いた分のしわ寄せを、他の衛生兵たちが受けるなんて、分からないはずないんですから!」
「そうね。このまま、続けば、負傷兵の治療にも問題が発生すると思うわ。ひとまず……彼女たちのことはどうにかしないとね」

 そこでしばらく二人とも沈黙が続いた。
 私の代わりに怒ってくれているデイジーも、できることなら仲間に罰を与えるなどしたくはないだろう。

「あ! こういうのはどうですか? 手を抜いている衛生兵だけで集団を作るんです。治療の。誰もが手を抜いたら、回らなくなりますから、必然的に頑張ってくれるかも」
「ダメよ。もしそれで、手遅れになってしまう兵士が多発したらどうするの? 人の命が優先よ」

「うーん。やる気かぁ。手を抜くなんて、思ったこともなかったから分からないですね。聖女様なんてもっと分からないんじゃないですか?」
「そうね。私は一人でも多くの人を助けたいと思っているから、手を抜くなんて発想がまずなかったわ。それにしても……デイジーはどうしてこんな危険な戦争に志願したの?」

 これまでに色々あり、最も仲の良いデイジーとは、思えば互いに身の上を話したことはなかった。
 少なくとも私よりは手を抜いてしまっている衛生兵の気持ちに近いだろうと、私は何気なく話題を振った。

「え? 私ですか? 私は、家族を、兄弟を養うためですね」
「兄弟? どういうこと?」

「私は、貧しい村の出身でして。家は裕福じゃないんですが、兄弟ばっかり多くて。私、長女なんです。初めは貴族のお屋敷にメイドとして奉公に行ったんですが――」

 デイジーの話だと、思ったほど給料が得られず、さらには若い女性が働く環境としては好ましくなかったらしい。
 つまり、雇い主が好色家だったのだとか。

 そういう道を選ぶ女性も少なくないが、デイジーは拒み、そして解雇された。
 しかも、貴族の顔に泥を塗ったと、誹謗中傷まで受けて。

 結果、他の家でも職を探せなくなってしまったデイジーは、この若さで軍属を決めた。
 結局回復魔法を覚えることはできず、自分の不甲斐なさを噛み締めながら、日々の治療とも呼べない任務に追われていた。

「その時なんです。聖女様が第五衛生兵部隊にいらっしゃったのは。本当に驚きました。殺すしかないと思っていたクロムを、瞬く間に救ってしまったんですから!」
「そうだったわね。なんだか、懐かしいわ」

 デイジーの口から出た、クロムの名前に私は少しだけ楽しい気分になった。
 いまだに手紙をこまめにくれる彼は、おそらく会おうと思えば会える距離にいるのだろう。

 今はダリア部隊長の元、第一攻撃部隊でその剣を振るっているはずだ。
 この治療場で見かけないということは、大きな怪我はあれ以来していないということだろう。

「その後は、本当に夢のようでした。回復魔法を使えなかった私に、今では解呪の魔法すら使えるようにしてくださったんですから!」
「きっかけは私かもしれないけれど、今のデイジーがあるのはあなたの頑張りのおかげよ」

「いいえ! 私は、聖女様がいたから頑張れたんです‼︎ 今ではこんな私が副隊長ですよ? 信じられますか? 給与も上がって、家族に十分な仕送りもできています。これもどれも、聖女様のおかげなんです‼︎」
「分かったわ。分かったから。そうやって、声に出されて言われると、なんだか照れるわね……」

 私は普段あまり感じない感情に戸惑いながら、それでもデイジーから元気をもらうことができた。
 デイジーが頑張ってくれるのは、私の存在が大きいらしい。

 それぞれの事情は人それぞれだろうが、他の衛生兵にもやる気を出してもらうには、上官である私が、まずはやる気を出させる行動を示さないといけない。
 そう心に誓い、私は自分の任務時間になったため、治療場へと向かった。