私の声を待たずに、ロベリアは辺りを見渡し、はっと息を飲んだ。
 視線の先にはたった今治療を受けている一人の青年がいる。

「兄さん! アイオラ兄さん‼」
「その声は……ロベリアかい?」

 ロベリアが走り寄り声をかけるが、アイオラはロベリアが見えていないようだ。
 よく見ると、ロベリアに向けた目は光を失っていた。

「兄さん! まさか。見えないの⁉ ああ、神様‼」
「大丈夫。心配しないで。きっとここの人たちが治してくれるさ」

 ロベリアとよく似た顔をしたアイオラが、微笑みながらそう答えた。
 しかし、無理をして笑っているのがはっきりと分かる。

「部隊長! 損傷した目を再生させたはずなのですが、上手くいきません!」
「なんですって? 状況を出来るだけ詳しく説明して」

 アイオラの腕に巻かれている布の色は黄色。
 再生が必要な傷を受けた者に付けられる色で、治療に当たっている者のリボンタイを見れば、問題ないはずだ。

「それが……間違いなく治療し、傷も癒えているはずなのですが……」

 説明によれば、アイオラは両目に大きな傷を負って運ばれて来たらしい。
 それ以外の傷も多くあったが、それは後回しにして一番重度な目の治療を最初に行った。

 これまでにも目の再生を経験したことはあるらしく、特に心配もせずに回復魔法を使い、無事に目は再生した。
 その後身体の傷を治療している間に異変に気付いたという。

『衛生兵さん。僕の目は、治ったのですか? 何も見えないのですが』

 アイオラがそんなことを言い出したのだという。
 慌てて確認したが、問題なく目は再生し、傷も跡形もなく消えていた。

 それでも視力を取り戻さないアイオラに、彼女は再度回復魔法をかけてみた。
 しかし結果は変わらず、一向に視力を取り戻す様子がないアイオラに困っていたところ、ロベリアが来たのだとか。

「そんな! 部隊長! お願いです‼ 兄を! アイオラ兄さんを治してください‼」
「落ち着いて。あなたに言われなくてもそのつもりよ。アイオラというのね。ちょっとその目をよく見せてもらうわよ」

 確かに治療に当たった衛生兵の言う通り、外から見た限りは問題なく治療されているように見える。
 私は試しに、魔力で目の内部に問題がないかを確認してみることにした。

 純粋な魔力の流れ方は、物によって様々で、片方の手から放出させた魔力をもう片方の手で受け取るように流すと、間に挟んだ物の様子が内部まで見られるのだ。
 私は右手でアイオラの両眼を押さえ、後頭部に左手を当て、魔力を流した。

 魔力の強さをいくつか変え、流れやすさで内部を立体的に確認していく。
 すると、アイオラの目に重大な問題があることが分かった。

「こんなことが……アイオラの目の裏側辺りに、小さな魔獣が潜んでいるわ。恐らくアイオラの目が見えないのは、その魔獣のせいね……」
「魔獣が⁉ ああ、兄さん‼ どうすれば‼」

 魔獣を駆除しなければ、アイオラの視力が戻ることはないだろう。
 しかし問題はその場所だった。

 これがもし腕や足ならば、切除して回復魔法で再生すると言うこともできる。
 もちろん目も治療できるのだが、よほどうまくやらなければ、治療する前にアイオラを殺しかねない。

 生きていれば救えるが、死んでしまった者を生き返らすことは、どんな回復魔法を以てしても不可能だ。
 しかし、思い悩んでいる暇もそんなにないだろう。

 目の裏に潜んでいる魔獣が、そのまま大人しくしている保証はない。
 もしかしたら、魔獣自身がアイオラを傷付け、死に至らしめてしまう可能性も高い。

「魔獣だなんて……ああ、私に魔獣を倒す力があったらどんなに良かったか。回復魔法すらろくに使うことのできない私は肝心な時に役に立てない!」

 ロベリアは私の話を聞いて再び嘆き始めた。
 しかし、その一言が、私にある可能性を示唆した。

「魔獣を倒す力。攻撃魔法。そうよ。もし、そんな力が使えれば……」

 ロベリアが回復魔法を使えない理由は、魔力を練る方法が間違っているからだ。
 しかし、それはある可能性を示していた。

 確かに女性は回復魔法を、男性は攻撃魔法を扱うことに長けると言われている。
 私もなんの疑問を持たずに、回復魔法だけに専念してきた。

 だけどロベリアが実際に見せてくれたように、女性でも攻撃魔法用の魔力を練ることは可能なのだ。
 私は頭の中で、ロベリアの魔力を感じた時のことを思い出す。

 そして、学んだ知識を総動員して、腹部の下側で魔力を練ることを試してみた。
 いつもと違う感覚に、強いもどかしさを感じながらも、頑張ってみたができない。

 やはりロベリアが回復魔法に必要な魔力を練ることが未だにできないように、私も一朝一夕でできることではないらしい。
 諦めかけた時、目の前のアイオラが不思議そうな顔をしながら声をかけてきた。

「衛生兵さんは魔力を練ろうとしているのですか? 何故だか知りませんが、酷く苦戦しているように思いますが」
「あなた、分かるの?」

「いい方法を知っています。妹も、ロベリアもこれで魔力を練ることができるようになりました。手を。私の両手をそれぞれ握ってください」

 そう言ってアイオラは、自分の手を前に差し出す。
 私は一瞬戸惑ったが、アイオラの手を握った。

 ちょうど二人の腕で輪を作るような形になった私は、アイオラが何をするのか見逃すことの無いように、全神経を集中する。
 ロベリアが学んだ方法、つまり、攻撃魔法に必要な魔力を練る方法をアイオラが教えてくれる可能性にかけた。

「それじゃあ、行きますよ? 力を抜いて。楽にしてください。徐々に暖かくなる場所がありますから、そこを意識するんです」
「暖かくなる場所……」

 アイオラが言った途端、繋いだ右手を通じて、アイオラの魔力の波動が流れ込んで来るのを感じた。
 それは私の身体を通り、やがて左手からアイオラへと戻っていく。

 その魔力の波動によって、私は腹部が温かくなるのを徐々に感じた。
 本で学んだ、攻撃魔法にための魔力を練るための器官があると言われる場所だった。

「すごいわ! アイオラ!! ありがとう! もう大丈夫。あとは一人でやるわね!!」

 私は先ほど熱を帯びた場所に意識を集中し、魔力を練り始めた。
 やがて普段とは異なる波動を持つ魔力を手の平に集めることに成功した。

 問題はこの新しい魔力を上手く扱えるかどうかだ。
 上手くいった喜びを押し殺し、真面目な口調でアイオラに話しかける。

「アイオラ。はっきりと言うわ。よく聞いてちょうだい。今あなたの頭の中には魔獣が潜んでいる。その魔獣は放っておけばやがてあなたを内部から殺すかもしれない」

 アイオラはその見えない視線を私に向け、じっと聞いていた。
 隣ではロベリアがすすり泣きをしている。

「回復魔法は魔獣を倒す力はない。もし物理的に排除しようとしても場所が悪い。最悪その行動があなたを死なせてしまうかもしれない」
「つまり、僕が助かる手段はない。と言うことですね」

「いいえ。可能性はあるわ。でも、今からやることは私も初めての試み。上手くいく保証も失敗した時にどうなるかも分からない。それでも、私はあなたを救いたいと思っている。受け入れる覚悟はあるかしら」
「どうせ死ぬかもしれないのなら。何にだってすがってみたい。僕は死にたくない。ロベリアを、妹を悲しませたくないんです」

 アイオラははっきりと強い口調でそう答えた。